In The Beginning 2

これまでのあらすじ

押入れの奥に眠っていたヴィンテージ期のバービーのドレスたちが発掘されたことにより、発見された喜びよりも、人形のいない悲しさと絶望に襲われた主人公は、ヴィンテージドレスが合う人形を求め、彷徨を始めた。91年、冬の事であった。
その中でジェニーとの運命の出会いがあったのである。

Prev.

ジェニーには、バービーの服はがぼがぼで合わなかった。
私がその時、癒しがたい絶望と焦燥に襲われたのは確かである。

だが意外に立ち直りは早かった。ジェニーを買う予備知識にと求めた「ジェニー」という雑誌が、新しい世界を私に提示したのだ。

それは驚くべき本であった。
特にその読者投稿欄が、圧倒的であった。

「私はジェニーを20体所有している」30歳主婦。

このような書き込み(笑)が何の躊躇いもなく、堂々とまかり通っていたのである。

私はこの時、非常に恥かしい思いをして買ったブスジェニー(Beginning参照)を一体、所有しており、それを撫でまわして暮らす日々だった。

だが、「ジェニー」を読んでいる主婦(30歳)は、ジェニーを20体以上も所有しているのだという。

あほか。

最初の私の反応は、これであった。

同じジェニーを10も20も持ってどうする。こいつはあほか。しかもええ年して。
私はあきれるというより、殆ど彼女を馬鹿にした。見下して、せせら笑った。

さらに、その投稿欄には、
"ジェニーフレンド、なんとかを求む。どうしても欲しいんです"

などという投書がされているのだった。
それは私には理解不能な言語であった。

なぜ、フレンドのマリーンだの、ロザーナだのに拘るのだ。
ジェニーではいかんのか。
同じようなものであろうが。
そもそも、マリーンだの、ロザーナだの、恥かしくないのか。
ええ年して。
ジェニーと、他の人形のどこが違うというのか。

多少の違いはあるかもしれない。しかし、目を皿のようにして見なければ分からん程度の違いではないか。
マリーンだの何とかだの、どうでもいいではないか。なぜそんなどうでもよい瑣末な事にこだわるのであろうか。こいつらは。

*

これは、初めてこの異世界に足を踏み入れた者としては、当然の反応であろう。
決して私が石頭だからではあるまい。

この異世界では、このような、正常な人間が聞いたら恥かしくて顔を赤らめないではいられないような言語が、平気で交わされているのだ。

あまりに恥かしくていても立ってもおられず、私はしばらくいざりながら生活した。
しかしあまりに恥かしい世界だったので、持ち前の探求心がむらむらと沸き起こり、なぜこのような世界がひとつの世界として成り立ち、形作られるに至ったのか、どうしても知りたくなった。

なぜ、私の知らないところで、このようなことが増殖していたのだろうか。

*

私は、この雑誌を、舐めるように見た。昼夜を問わず、毎食後、見た。
寝る前、寝たあと、起きる前にも必ず見た。

このような不断の努力の結果、まず私は、ジェニーと、ジェフの違いを判別する事が出来るようになった。
さらに、ジェニーとティモテの区別をすることが出来るようになった。

これは、通常の人間ならば、とうてい簡単には到達できない境地である。
本来ならば2、3年の修行がいるであろう。
私の上達は早かったのだ。

次には実地検分であった。

 

私はデパートのおもちゃ売り場をうろつく怪しい女になった。

「ジェニー」誌の毒気にかなり当てられていたかもしれない。
わりとさびれたデパートの、人の少ないおもちゃ売り場などへまでも出かけるようになった。

そこで、私は私の持っている、あのブスジェニーとは全く別の、同じ名前でいながらあきらかに美しい、小顔のジェニーに出会った。

エイティーンタイプのジェニーである。

私は初め、苦吟した。
ああ、最初に見たのがこのジェニーだったら、あのぶさいくなジェニーは買わなかったのに。

しばらく苦悩が続いた。
苦悩ののち、くだんのエイティーンを買った。

ジェニーの2体目を買う。

これは、敗北である。
もはや敵の軍門に下ったと同様だ。

2体目を買う、という行為が、私のその後を決定した、と言ってもいいかもしれない。
自分の金なのだから、自分で人形を好きに買っていいのだ。

そのことを発見した時でもあった。

先頭へ戻る beginningTop

intermission
Prev. | Introduction

In The Beginning 3

 

2体目のジェニーを買う。

そのことで目を開かれたと同時に、私はこのエイティーンタイプ・ジェニーに非常に満足した。
くるぶしまである足は、普通のジェニーと違ってハイヒールを履かせることが出来る。何か得した気分になる。

しかし私はここで、重要な事を悟る。ジェニーにも色々な種類があることがついに分かって来たのだ。

デパートで食い入るほどジェニーを眺めていると、髪の形、髪の色すらさまざまなのだ。横分け、真中分け、前髪つき…、顔は同じでもこれだけバリエーションがある。
私はそれらが既に判別が出来るほどに成長を遂げていた。

なるほど、そういうことか。
学習能力に長けた私は、この時点でジェニー世界のからくりに気づく。

現実的には、エイティーンタイプを探しまわるという行為がなされた。
そして、発見した時には既に、2体買うも3体買うも同じ、という開き直りモードが発生していた。

コレクターの誕生である。

しかし、本人にはまだ、これは認識されていなかった。

*

そのうち、新発売されたオリーブを見ておお!
などと感嘆して買っているうち、たちまち5体ほどになった。

ああ、やんぬるかな。子供の遊び物をこんなに買って、馬鹿な私。

自己嫌悪と恍惚の間で揺れ動く不安定な心を抱えつつ、ついに10体となり、押入れの中の人形の箱のむなしさに吐息をついた時、私は、もう終わりだ、
と決心をした。

10体も買った。
同じ物はひとつもない。
これだけ買ったのだ。もういらないだろう。もう、欲しい物は出てこないだろう。
今後新しい人形が発売されたとしても、私の持っている10体の中のどれかに違いない。
私はこれだけのバリエーションを揃えたのだから。

そう思った。

だからもう、10体でおしまい。

私はあのようなばかな主婦のようにはなるまい。
私は彼らをせせら笑うのだ。
おまーらばっかじゃないの、とせせら笑う立場でいたいのだ。

しかし運命の時は来た。

10体も持っていた私なのに、もうひとつ、どうしても欲しい人形が出現してしまったのだ。
どの人形だったかはもう忘れたが、それが私の持っていた10体のどれとも違うものであることだけは確かだった。

この時、私は10体持っていようが、11体持っていようが、まだ持っていない人形は発売されるのだ、という事実をつきつけられた。
そして、新しい人形は発売され続けられるだろう。今までのものとは少しだけ違い、しかし全然違う新しいものが。

私はどうしたか。
言うまでもない。
どうしても欲しくなり、抵抗を諦めて、買ったのだ。

私の最大の転機がこの時であった。

つまり私はその時、決心したのだ。

こうなったら買おう。
欲しいだけ買う。とことん買う。何が何でも買う。

10体買うも20体買うも同じだ。買うなら買おう。

もう遠慮などするまい。
私の金だ。何に使おうと誰も文句は言わない。
私は私の金を人形に使っても良いのだ。
それならば買う。買おうではないか。
欲しいものが出てくれば、我慢せず買おう。それが精神衛生に最も良い行為なのだ。

そう言うわけで、今日の伊佐子の原型が出来あがったのが、この時なのであった。

It's not the end of the Beginning.

このページの先頭へ戻る

beginningTop

[自己紹介 | 人形収集の始まり壱| 始まり弐 | 私の部屋 | 私の愛らしい本]