梅原様の話2
または私の抱かれたい男(汗)
05/11/5
時々、巷の女性雑誌には、「抱かれたい男ベスト10」などという特集が載るそうだ。
私は女性誌というものを生涯で一切買ったことがなく*、今現在まで無縁の存在だったのだけれど、私の中に思う「抱かれたい男」はあるのだ。
で、今回はその話なのだが。
*一切というのはちょっとオーバーかもしれない。生涯で、2、3冊は買ったことがあるかも。
私の抱かれたい男はずばり、
梅原猛
不破哲三
毛利衛
って、おじさんばっかりじゃん。というか、じいさんだ。
梅原様は、もう80歳を超えておられるのだ。
抱かれるどころか、もう、ご本人はすっかりアクが抜けて、じいさんと言うよりもばあさん化しておられる(失礼)。
それでも梅原様が憧れの男性であることには変りがない。ないのだ。ないのだったら。
梅原様は、京都市左京区に住んでおられる。京大エリアである。
学者らしくいいとこにお住まいなのだ。
左京区のN町だということまで知っている。左京区でも、ちょっと南である。
その気になれば、今日にでも会いに行けるのである。
梅原氏に最も熱を上げていた時には、実際に会いに行こうかとまで思った。
会って、「抱いてください」と言う。
妄想は恐ろしい。そう思って、そこで妄想は止めにした。
梅原様を愛しているが、迷惑をかけてはいけない。
「うーむ、伊佐子ちゃんのおかげでワシは若返ったよ」などと言われたらどうするのだ。
そんな妄想はさておき、2番目に抱かれたい不破哲三氏は、もとの共産党委員長である。当時は書記局長と言った。
私は政治的にはどこにも属しておらず、共産党を支持しているわけではない。
ただ不破氏に関しては、政治家としてより、カリスマ的魅力を持った人物として、大変な憧れを持っていた。
現在のキョーサントーの委員長、志位氏(名前忘れた)が、そのようなカリスマ性のまったくない普通のおじさんで、魅力もなにもない(失礼)人物であることを思えば、いかに不破氏の魅力が抜きん出ていたかが分かると思う。
演説が上手い、というよりは、言うことに説得力がある。
どんなに議席を減らしてもどこ吹く風で、理論的に、こんな事もありましたから平気です、などと言うリーダーとしての頼もしさもあった。どことなく男としての色気もあった。
声は手塚治虫に似ていた(関係ない)。だから真面目一徹と言うより、女性にもツヨイのではないか。ちょっかいを出せば応えてくれるのではないか、そんな希望を持たせてくれるところが、憎かった。
中○根Y弘氏が、女性の間で、お金をくれても抱かれるのは嫌だ、と評判になったのと正反対である。
そんなわけで、不破哲三氏が私の中でナンバー2である。
この二人に比べれば、宇宙飛行士の毛利衛氏は若い。青いとすら言えるかも知れぬ。
ちょっと毛色が違う気もするが、知的で、発する言葉に淀みがない。しかし、頭の良さをひけらかすことをしない。
何か、世の中の欲得を脱した仙人のような穏やかさがある。私は大体、頭のよい男性が断然好きなのだ。
しかも、その頭の良さを決してひけらかさず、奥ゆかしい。
真に頭のよい人間というものは、それをひけらかさないものなのだ。私は多分馬鹿な男はきらいだと思う。
馬鹿な人間は、それが顔に出る、と信じている。
金儲けだけに汲々としているような男は顔が卑しい。何ごとも、顔に出てしまうのだ。
卑しくて、馬鹿な顔をしている男は嫌いなのだ(例、H江T文氏…ブタ顔はきらいなのだ。失礼)。
梅原様だとか、毛利衛氏は、実にいいお顔をしておられる。
イケメンだとか、男前という次元の問題ではない。
ちなみに、イケメンというのは、顔だけで中身が何もない薄っぺらな顔、という具合に私は解釈している。
まあ同じく中身がないのならばぶさいくな男よりイケメンの方がいいのは言う間でもないが。
で、そのように顔というものは、その人の性格、人生、信条などが表われてしまうと思っている。
だから、若い男のそれは物足りない。いくら男前でも物足りない。何かがないという顔をしている。
それだからきっとじじいの顔が好きなのだろう。