京都という区域

 

05/2/27

京都人とは誰か、という考察を行なった時に、同時に京都とはどこかということを考えた。

その結果、4つの通りに囲まれた極めて狭い範囲が京都ではないか、と提唱した。

この範囲は、また、旧京都市街にそのまま当てはまるのではないかと思う。

前回、左京区は山の手だが田舎で…と書いたが、明治時代、下鴨は村だったそうだ。
つまりきっと、京都府なんとか郡下鴨村、だったのだろう(ああ、びっくり)。
それが、大正時代の統合によって京都市に含まれた。

修学院や松ヶ崎、上賀茂は昭和6年に京都市に吸収された。この時は伏見市、太秦や、嵯峨なども合併された。
戦後の昭和24年には岩倉、八瀬、大原、静市などが合併された。
京都市に含まれる前は、それぞれ村だったというから、ますますびっくりだ。

そのようにいろいろな時代に統合があって、その結果、現在の京都市が形作られたということを、最近知った。
だから、おそらく明治時代より前、室町から江戸にかけて都であった部分が旧市街で、そこがコアな京都と呼んでよい場所であり、現在京都市となり、京都市を形作っているのは明治から戦後にかけての時代の統合によるもので、それらによって現在の形が出来たものと言ってよいのだろう。

本当の京都、という区域は、だから明治時代以前に形作られていた旧市街のみ、ということが出来るかと思う。

 

旧京都市街、前回で便宜上、4つの通り(今出川、堀川、七条、川端)に囲まれた区域として指定した「みやこ区域」はまた、例の上ル下ルで呼ぶ区域、「町名よりも通り名が優先される区域」でもあるのではないか。

京都の住所の書き方が独特なのは、わりと全国的にも知られているだろう。
もし京都に住んでいる住人と文通(!)をしたことがある人ならば、京都のだらだらと長い住所に辟易した覚えがあるだろう。

つまり、四条烏丸東入ル長刀鉾町とか、河原町通御池下ル、などと書く住所である。

けれども、通り名を羅列する、このだらだらとした長い住所は京都市の中の一部分であり、京都市全体ではない。旧京都市街、つまりコアな「みやこ」区域だけなのである。

左京区になると余所の府県と同じように町名だけで呼んでいるし、右京区、南区、北区なども町名で呼び、上ル下ルの通り名表記はない。
つまり、左京区下鴨、右京区鳴滝、南区吉祥院、北区衣笠…という風に場所の名前の次に町名を書き、番地を書くという具合だ。

そして、上ル下ルで呼ぶ区域は、例えば中京区なら中京区の全体でもない。

 

ここで、少し煩雑になり、とてもローカルな話なので、分かりにくいかもしれないが、町名と通り名について、僭越ながら解説をばしておこう。

 

上ル下ルの通り名表記をしている区域は、上京区、中京区、下京区、東山区だけだが(左京区などでもほんの一部はあるが、例外)、中京区の中でも通り名ではなく、町名でのみ呼ぶ区域があり、下京区でも町名でのみ呼ぶところがある。

中京区の壬生、西ノ京、下京区では中堂寺、朱雀、七条御所ノ内などだ。このあたりになると、通りももちろん通っているが、通常は町名のみで呼ぶ。
つまり、中京区や下京区でも、西寄りの区域では通り名では呼ばず、町名になるのだ。

そしてその境目こそが、堀川通だと私は推測したのだが、今考えると、千本通かもしれない。

東山区では、清水寺などがある区域は町名でだけ呼ぶ。
しかし、大和大路通付近では「大和大路通五条上ル」というような表記になっている。だから、「みやこ区域」における東の端は大和大路通だといえるかもしれない。

ローカルな話なので、川端通だろうが大和大路通だろうが、全国民的にはどちらでもよいかもしれないが。
とにかくある区域、ある通りを境にして、上ル下ルで呼び始める。

その区域こそまぎれもなく旧京都市街、そしてみやこエリアだと私は思う。

そしてそれはまた、通りが碁盤の目状に規則正しく並んでいる区域、でもあるのだ。

 

外部の人(ヨソサン)は京都といえば、市内がすべて碁盤の目になっていると思っているかもしれない。しかし実は、コアな区域では碁盤の目になっているが、中心から少し外れると碁盤の目は崩れている。
それが左京区であり右京区であり、東山区の東半分、下京区と中京区の西半分である。

下京区も中京区も、西の端へ行くと上ル下ルでは呼ばなくなり、通りは碁盤の目になっていないのだ。

つまり、碁盤になっていない区域とは、ほとんど正確に「明治時代または大正時代になってから京都市に統合された区域」であり、そして逆に碁盤の目になっている区域は、それ以前から京都であり続けた、上ル下ルで呼ぶ、コアなみやこ区域と呼んでも差し支えないということだ。

まあ、考えたら当たり前のことなのだ。

通りが碁盤の目状に通っているからこそ、上ル下ルという座標軸に沿った呼び方が発明されたのだし、碁盤の目になっていない部分は町名で呼ぶしかないだろう。
しかしまあ、私は今まさにこのことを発見したのだ。

上ル下ルという呼び方が京都をシンボリックに表しているのは、そう呼ぶその部分が、みやこ区域だからであろう。

因みに、上京区に智恵光院通という長い名前の通りがあり、そこと上長者町通が交わると、「智恵光院通上長者町上ルなんとか町」という、天文学的に長い住所になる。
下京区にも上数珠屋町通という長ったらしい通りがあり、そこと東洞院通(ひがしのとういんどおり)が交わると、上数珠屋町通東洞院西入ル廿人講町(ほとんど読めない)と言ったりするわけだ。まるで落語の寿限無のようではないか。

 

そういうわけで、だんだん核心に(何の?)近づいて来た。

次回は、この、京都の町名と通り名のせめぎあいについて熟考してみる。

予告) 通り名表記がされている区域の町名は、ほとんど付け足しでしかない、という事実について。


参考 「京都のナゾ?意外な真実!」 日本実業出版社

註) 広辞苑で寿限無を引いたら、名前の全文が載っている。大したものだ。引くように。

 

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