京都人とは誰のことか

 

05/2/15

京都人とは、どういう人のことを指すか。

京都について、ちょっぴり書くようになると、どうしてもこの命題に突き当たる。避けて通れないことであり、これをはっきりさせておかないことには何ごとも書き進めることが出来ない。であるからここでその定義を私なりにしておこうと思う。

それというのも、既に言っているのだけれども、私自身は京都に生まれ育ったものの、純粋の京都人ではない。
だから私が京都人と言う場合、それは自分のことを指して言っている第一人称ではなく、京都人だといわれている人たち一般のことを言っているのだ。

そのことを混同されたら困るということと、では、私と京都人とはどう違うのか、をきちんと述べておくことは必要だと判断したので、ここで明らかにしておこうと思うのだ。

そこで、京都人とは、どういう人のことを言うのだろうか。

それを判断するのに、二つの軸がある。
ひとつは時間軸、もうひとつは、二次元軸である。

 

さて、一般に三代続かないと京都人とは言わない、と言われている。
これは、どこの地方でも当てはまると思う。

東京でも三代続かないと江戸っ子とは言わないだろう。
これはつまり、外国から来て、その土地に住んだことを考えればよい。

両親がともにアメリカ人で、京都に来て住んだ。そして京都で子供が生まれた。その子は京都生まれ、京都育ちだが京都人とは呼ばれない。これが私の境遇だ。

私の両親はともに富山生まれ、富山育ちの富山人で、京都に来て結婚し、私を生んだ。

私が京都人でないということは、正月のお雑煮が、私の家ではおすましだということに端的に表われているだろう。
そればかりでなく、私は白味噌仕立ての、いわゆる京都式のお雑煮が気持ち悪くて食べられない。
これが、富山から来た両親の、食事の風習が京都に染まなかった、ということで、喋り言葉は京都風だが、本当の京都人ではない、という証拠だと思う。

親が他府県人だと、まだまだ京都に染まり切らず、もとの土地の風習を引きずっているということだろう。
私は言わば、京都人ゼロ世代であろう。私が結婚して子供を産めば、その子供が京都人第一世代となる。
そうなると、周囲の影響がかなり濃厚になって、京都人らしくなって来るのではないか。

そういうわけで、時間軸の定義としては、少なくとも三代続いて京都に住んでいる人が京都人だ、と言うことになる。

*

次に、京都人の定義として出て来るのが、どこに住んでいるか、ということである。
そして、これがなかなか複雑であり、しばし考察が必要であると思う。

どこに住んでいる人が京都人なのか。それはつまり、京都人がどこを京都だと考えているか、ということに繋がる。

一般に、五条より南は京都ではない、と言われる。

その考えで言えば、私の住んでいるところはまさに五条より南なので、京都ではない。私は時間軸においても、二次元の土地軸においても京都人ではないことが立証された。

この、五条より南は京都ではない、という考えは、京都の「通り名のわらべ歌」に、おおむね寄るものと言っていいだろう。

わらべ歌は「まるたけえびすに…」と言って、丸太町から始まり、「まつまんごじょう」の、五条で終わる。
よって、北限は丸太町通。

つまり、丸太町から五条の間(だけ)が京都、という定義になる。
随分狭い定義だ。

 

京都という名前には、全国的に見ると二つの意味がある。

京都府と京都市という意味である。
大阪と同じように、府があり市がある。

だが、一般に、「大阪」と言って通じるイメージがあるように、京都にもそれがあるだろう。
京都人は、京都府のことを京都だとは思っていない。

京都府には、舞鶴とか、宮津だとか、福知山とか、園部とかいう土地があるが、京都人にとっては、それらは京都ではない。

*ここでいう京都人とは、もちろん私のことではないので、念のため(^_^;)。

元モーニング娘の中澤というのが京都出身だというので、京都人は色めきたった。ところがよく聞いてみると、中澤は福知山出身だということが分かった。
その途端、京都人はなんだ、福知山か、ケッ。という態度になった。

まあ、そのくらいの認識である。

京都府のそれらの土地のことを、京都人は府下と呼ぶ。府下と呼んで、「本当の京都」とはきっちりと区別する。
府下は、その他の県(他の都道府県)と同じ扱いである。
「本当の京都」以外は北海道だろうが園部だろうがどこでも同じ、田舎であるという認識である。

 

ここで少し本題からずれるが、京都人の「田舎」認識についてちょっと書いておこう。

京都人は、何度も言うが、自分たち(のいる場所)が日本の中心だと信じている。だから、自分たちの住んでいる場所以外は、すべて田舎なのだ。

私自身は田舎という言葉を使う時、それは「両親の出身地」という意味で使う。
私の親がそういう使い方をしていたからだ。
夏休みになると田舎へ帰る、というような使い方をしていた。

ところが、京都人は田舎という言葉を、「京都以外の辺鄙なところ」という意味で使っている。
京都という土地から離れていて、行きづらい場所は、すべて辺鄙であり、すべて田舎なのだ。

だから園部も福知山も、静岡も東京もみな同じ。すべて辺鄙な田舎。京都人の尺度からすれば、そういう考えになる。

このように、京都人は、自分たちこそが世の中の中心であり、自分たちがその中心に住んでいる選ばれた民であるという、拭い去り難い選民意識に染まっている。

こういう考えのことを、ある人は「京都中華思想」と呼んだ。言い得て妙な命名だと思う。

京都人ではないと宣言している私でさえ、この考えに少し毒されているくらいだ。だから、真の京都人は、心からそれを信じていると思う。

「徳川さんは言うてもたかが三百年や四百年でっしゃろ」。

傲慢な言葉に聞こえるが、逆に、どんな権威にもびびらない。どんなエラぶりっ子にもおもねらない、どんな政治的圧力にも経済力にも屈しない。そんな、貧乏だが精神は貴族、という京都人の心意気が感じられるのではないか。

尤も、徳川は京都をないがしろにしたので、京都人はあまりいい印象を持っていないこともあると思うが。

私がもし京都と京都人を好きだというなら、この京都の独立独歩の精神、にせものではない真の個人主義が精々しいからだ。

穏やかそうで頑固、人当たりは良いが、決して考えを曲げない。それは、「京都中華思想」を経て培われた京都人民の精神だと思う。

 

と限りなく話が逸れたところで、京都とは、どこのことをいうか、に話を戻す。

京都人にとって、本当の京都とはどこか。

 

京都府ではなく、京都市が京都なのではないのか。

だが、京都人にとっては、京都市全体も「本当の京都」ではない。

京都市は存外広い。そして、左京区の北など、山奥としか形容のできない土地もある。そんなところを京都人は京都だとは考えていない。

山科区、伏見区は京都ではない。どこか別の土地だ。南区も京都ではない。
西京区はつい最近京都市に含まれたので京都ではない(と言っても30年ほど前だろう)。
京都人の中には、西京区がどこにあるかを知らない人もいるだろう。

近々京北町が京都市に編入されるが、京都市民は戦々恐々である。京北町がどこにあるのかを知らないからである。
右京区は観光地であるから、おまけで京都だと認められているかもしれない。しかし昔はそこは別荘地であった。だから今もかっこつきである。
左京区は田舎であるが、その一角に文化人や大学教授が多く住むので(京都大学があるため)、京都の山の手であり、憧れの地であるので、特別扱いされている。

さてそんなわけで「本当の京都」は、上京区・中京区・下京区・東山区と、範囲が狭まって来た。
それらの区の一部分が本当の京都にあたるだろう。

 

丸太町通より北は京都ではない、というのはあまりにも乱暴で可哀相かもしれない。よって、北限をもう少し広げ、今出川通とする(あんまり変わらんやんけ)。
南も同様に七条にしよう(勝手だ…)。
東西はどこか。

昔、鴨の河原は処刑場だった。鴨川は街の外れだったのだ。そういうわけで、川端を東の端として、西は堀川通ということでどうだろう。大宮という選択もあるが、堀川でも大宮でもそんなに変わりはない。堀川は広いのでここを区切りとするのが適当であろう。

さて、そういうわけで、前記の4つの通りに囲まれた区域が、京都人のイメージする「本当の京都」である、と提言してみる。

やはり、限りなく狭い区域だ。
そしてこの狭い区域、「本当の京都」域に住んでいる人々(もちろん、3代以上続けて)が、京都人の考える京都人である。
この範囲に住んでいなければ京都人ではない、と京都人は考える。

 

要するに、京都人にとっての京都とは、「みやこ」のことである。
京都、という言葉は「みやこ」という意味なのである。

そしてさらに、「みやこ」とは、単に国の首都であるなどの、機能性を指すのではない。

みやこは、雅であり、歴史があり、文化があり、そして文化を大事にしていなくてはならない。
文化が育ち、それを継承しているところが「みやこ」である。

そのような誇りをもって、京都人は、京都という場所を限りなく狭い区域に見立てるのである。

そうしてその都に代々住み、都の文化を継承している者だけが、たぶん京都人と名乗れるのだろう。

間違いない。

 

この項続く

 

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