京都人の奢り

京都人の属性1

02/11/13

 

他府県でもそうなのか良く分からないが、京都では書店へ行くと、必ず京都本というものが置いてある。
一番目立つ所に平積みされている。

それは大抵が京都の観光案内、町案内、スポット案内で、「秋の京都」とか、「これ一冊で京都巡り」(でたらめ)とか、「まだ他の本が必要ですか京都」(同)とか、要するにそういう類いの案内本だ。
京都に関するあれこれを論評した新書なども置いてある。

他の県では、例えば大阪でも大阪本が書店の目立つところにおいてあるのだろうか。
東京には置いてありそうだ。北海道もありそうだ。他は良く分からない。
置いてあるだろうとは思うが、京都ではそれが格別異常に多く置いてあると感じるのは気のせいだろうか。

 

ともあれ、どんな小さな書店にも京都本は置いてある。
京都に京都案内を置いてどうする、と時々思うのだが、違うのだろうか。

これはもしかして、京都に来る他所からの観光客のために置いてあるのだろうか。
しかし、観光客は京都に来る前にそういう本を買っておくのではないか。
京都に来てわざわざ書店へ行く人がいるだろうか。
まず観光名所へ行くのではないのか。

そのような疑問が溢れる。

いくぶんかの観光客が買うのかもしれない。
しかし、案外それらの本を買うのは京都人自身ではないかとも思う。

***

 

京都人は、あれらの本から情報を得てここが穴場とか、今旬のスポットなどを探すのではないか。

今の若い者はマニュアル通りに動くから、これらのマニュアル本で最新情報をゲットするのだ。
京都人は、本当は遊び場を知らず、おいしい料理屋も知らないのだ。
これらの本で知識を得ているのだろう。

もちろん他の都市の若者もマニュアルがなければ動けないみたいだから、どこでも都市の遊び場案内の本は置いてあるだろう。

しかし京都はそれとは別に、古くからの観光地がある。それらは全国的に有名であって、京都人ならば知っていて当然のもののはずなのだが…

 

京都ウォーカー(そんなの、あったっけ)などでは、夏になると、大文字が一番良く見える穴場などが特集されている。
大文字を見るのさえ最近はマニュアル本頼りなのだ。

いや、それは私だってそうだ。
本で見て、へえ、ここならおおよその大文字が見えるのか、というようなていたらくである。
京都の人間は、郷土について何も知らないのに違いない。

 

***

 

最近その平積みの中に、「京都人だけが知っている」とか、「京都人しか知らない」(?)とか、「京都人だけが食べている」などという、尊大なタイトルの本が目につくようになった。

このタイトルがどうも気になって仕方がない。

京都人というのはもともと尊大で無意味に威張っており、えらそうである。
根拠もないのに他府県の人間を軽蔑し、自分はえらいと思っている。
京都に生まれたというだけで何かとてつもなく自分が偉大だと勘違いしているのだ。

そのようなもともと尊大な京都人の自尊心をいかにもくすぐるような、そして京都を差別化して他県の人間に対し威圧感を与えるような、京都人をますますつけ上がらせるようなこのタイトルはただごとではない。

果して京都以外で売っているのかどうかは知らない。
他県の人間はこの尊大なタイトルをどう見るのだろう。

私がちらりと立ち読みしたら、京都人も知らないむつかしいことが書いてあった。
京都人も食べない食べ物が紹介してあった。
ますますただごとではない。

 

しかしここで言う京都人というのは、最低三代京都に住み続けている人、例えばサンプルとして京都市中京区に住む営業関係の人間―などを指すと思われる。
京都では三代続かないと京都人とは言わないらしい。*
(しかし江戸っ子も同様だろう)

*六代とも、十代とも言われているが…。

私は京都人失格であった。
どうりで京都のことを知らなすぎると思っていた。

やはり、三代くらい住み続けないと郷土のことは分からないものだ。つくづくそう思う。
私の家では鞍馬の火祭、そのほかの京都のしきたり*をまったく無視している。
流入者ならではである。

*しきたりの名前さえ知らない。

しかし、京都人だけが…というのは、奢り以外の何物でもないのではないか。
そんなに威張って嬉しいのだろうか。
「京都人だけが食べている」は食べ物案内だから、こっそり美味しいものを教えてあげよう、というコンセプトなのであろう。

しかし、教えてあげるから感謝しなさいと言わんばかりで、いかにも上から下に物を申す、という態度が見えて感じが悪い。

 

別の本を見ていたら、京都で、「若い人は何を着てもよく似合う」と褒められたら、それは場違いなものを着ている田舎者め、というあざけりの言葉なのだということが書いてあった。

なるほどそうなのか。
今度から使おう、と思った。


追記

京都人がなぜそんなに尊大になったかというと、他県の人間に褒められてばかりいたからだ。
京都出身というと、羨ましがられることはあっても、軽蔑されることは決してない。
憧れられることさえある。

少なくとも、京都ってどこの隣だったっけ、と言われることはない。
日本のどこに行っても京都で通じる。
日本どころか、世界に行っても通じる。
世界に行けば行くほど、京都出身というと憧れられるのである。
世界で特別扱いされているのである。

これでは鼻が天狗になるのも無理からぬ。

このプライドの高さに対し、観光客の前では愛想よく、へこへこしなければならぬという矛盾のためにストレスがたまり、腹の中では何を考えているのか分からぬ京都人、という性格が形作られていったのではないか。

++

その他、京都人の属性として一般的に頑固、イケズ、人が悪い、決して本心を見せない等が挙げられている。
私は半分の京都人なのだが(1/3くらいかもしれない)、ということは半分はその属性が入っていることになる。

だから、時々、いやしばしば、尊大で鼻持ちならない属性が顔を出すのか。
つまり、それをお許し願いたいと、弁解しているのである。

追追記 京都人の属性については、連載する予定 Next

[TOP]