寺と神社

その二 神社

04/7/24

死んだ父は親鸞聖人を深く尊敬していて、真宗の熱心な信者だった。
毎日早朝に東本願寺へ行き、お坊さんの講和を聞いた。雨の日も風の日も、台風の日も見事なほどに休まずにお東さんに行っていた。
そのうちお坊さんと顔見知りになり、友達になり、一緒に喫茶店でコーヒーを飲み、年賀状のやり取りをするようになった。
父が死んだ時は、お坊さんたちが残念がってくれたという。

そんな父だったが、お正月、元旦には毎年、伏見稲荷のお稲荷さんにお参りに行った。
子供の頃は、私たちも父について、一緒にお参りに行ったが、大人になるとだんだんものぐさになり、元旦は寝ているので、父は一人でお稲荷さんに行くようになった。
それでも父は毎年欠かさず行った。

このように日本人とは不思議である。父のような熱心な仏教徒でさえ、何の矛盾を感じることもなく神社にお参りに行くのだ。

かつての神仏習合のなごりなのであろうか。日本人の何でもありのいいかげんさのなせる技なのであろうか。
神と仏とを、同時に祈っても何の違和感も疑問も感じない。
明朗闊達にそれが何か?という態度である。

いや、父の場合、お稲荷さんに行っていたのは正月の恒例の行事、という感じで、神に参る、という意味よりも、お雑煮を食べるのとほぼ同格の、正月だからする行為のひとつ、という意味合いが強かったのだろう。

 

正直に言うと私は神社は苦手だった。今でも苦手である。生涯で数えるほどしか神社に行っていない。

カミ、というと抵抗がある。多分、戦後教育のせいかと思うのだが、仏教は許せても、カミはうさんくさい。
ちょっと考えても、伊勢神宮や、出雲大社など、なにか非常にうさんくささを感じる。

日本のカミというと、ヤマトタケルとかアマテラスとかオオクニヌシノミコトとか、要するに古事記が出て来る。そして古事記→神話→天皇崇拝
という具合に連想が進み、いやな気分になるのだ。

 

それ以外に、私は神社で、かしわ手を打つのがとても苦手だ。私は、今でも上手に拍手が打てない。

とにかく、抵抗があって、ぱんぱん、と手を鳴らすことが出来ないのだ。
他人が平気で手を打っているのを見る度に、よく平気で出来るなあと感心する。
ぱんと音を立てないとあかん、と言われても、どうしても音を出すことが出来ないのだ。

そういえば私は、お焼香のとき、いただくことが出来ない。
真宗はいただかないのが作法なので、これで正しいのだが、自分の気持ち的にも、何だか気持が悪くていただくことが出来ない。
いただいている人を見ると、よく平気で出来るなあと思ってしまう。

お焼香にしても、かしわ手にしても、ああいうことをするのが恥ずかしいのだと思う。ものすごく、恥ずかしい。そして気持が悪い。
恥ずかしくて気持が悪くて、到底出来ないのだ。

 

真宗は、そういう儀式ばった作法があまりないので安心感があり、抵抗がないのだろうと思う。

私の家には神棚がない。今も昔もない。
多分父がそういうのが嫌いだったのだと思う。それが私にも遺伝しているのだろう。

まだ父が生きていたある時、近所の人の噂を家族がしていた。
そこの家は不幸続きで、誰それが病気になり、続いて誰それが交通事故にあい、借金だらけでボロボロだというのだ。

私はそれを聞いていて、ふとそんな不幸が続くならお払いをしてもろたら、と言った。
冗談交じりで、口をついて出た言葉だった。

しかし、その言葉を、父が咎めた。

父は大真面目に、急に私を叱った。

そんなアホを言うな。

父の気持では、お払いをしてもらったら幸福になるかもしれない、というような考えは許せない、ということだっのだろう。

普段はやさしい父が、むきになって私の言葉をしかった時、私は、なぜかとても安心した。
父が、そういう考えであったことに安心したのだ。

父は、神頼み、という行為を嫌っているのだ、と悟った(私が仮にもそういうことを信じるような発言をしたことも、許せなかったのに違いない)。

 

私が神社とか、カミとかいうものに抵抗を感じるのは、ひとつには人がカミをこのようにいざという時に頼むご利益としか考えていないからなのだと思う。

仏様のように敬っているのではなく、幸福になりたいから、いい縁がありますようにと、家内安全・無病息災と、お金を出して、幸福を買う。
その行為にどうしてもいやらしさがあると感じる。信仰の純粋さを感じ取れないのだ。

でも考えてみたら、こういう形でのカミは、案外健康なのかもしれない。

日本人にとって、カミとは要するにその程度なのだ。
受験の時に思い出したようにお参りに行く。お正月になるとお参りに行く。

たんにご利益を期待しているだけ。都合のいい時に利用するだけ。イスラムやユダヤ教のカミを信じることに比べれば、安全なのかもしれないのだ。

 

それでも私は、そんなアホを言うな、と私を叱った父が誇らしい。

うち続く不幸が、自分の犯した行為と何らかの因果関係があるかもしれないとか、不幸が続いたらお払いをしたらよいかもしれないとか、カミに頼めば願いがかなうかもしれないとか、そのような考えを真っ向からきっぱりと否定する父が、たのもしかった。

不幸から立ちあがるのは自分の力で。金を出して何かに頼むだけで自分では何の努力もしないのは、筋が違う。
そのようにして生きて来た父の、カミの否定だったと思う。

寺へ

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