私の京都弁2

03/5/15

 

以前書いた、私の京都弁の続篇である。

他にいろいろ書きたいことがあるのに、これを完成させておかないと次に進めないので、慌てて続きを書くのだ。

 

前回で、私の使う京都弁ランキングベスト5は

1 そやし
2 いややわあ
3 いや
4 〜え(で)
5 〜しよし(よし)

となった。12については書いたので、今回は、3のいやから。

 

3 いや

いや は、noという意味の否定の言葉ではない。単なる感嘆符である。
標準語ではあら、とかまあ、である。
やや驚いた時に頻繁に使う。
2のいややわあ、とは微妙に違い、使う時も違うのだ。

いや、そうなん?
いや、ほんま
いやちょっと、すごいやん

など。

疑問形で多く使い、相手に同意や、答えを促す時の接頭語として定着しているようだ。

もちろん単体で、驚いた時に「いや」とひとこと言う場合もある。
この時、「いややわあ」は否定の気持ちが少し働いているが、「いや」は否定ではない。
ただ驚いたことを表わす。

発音は、にアクセントを置き、は低く発音する。

まれに同じ音で発音することがあるが、驚きの度合いによって、イントネーションが変わるのである。
「いやー」と同音で発音した時の方が、驚きが多いとされる。
「ひゃー」というくらいの感じになる。

 

「いや」もおおむね口癖のような言葉なので、いつ使うというのでなく、日常会話で何気なく頻繁に使ってしまう。無意識語のひとつであろうか。

 

4 〜え(で)

は、文章の終わりにつけ、京都弁の特徴のひとつで、京都弁を象徴するような言葉とされる。

お花を買うて来たえ
ここにあるえ
とぼこ(固有名詞)、お風呂え

など。

以前、京都以外の出身者に、京都の人間が頻繁に「え」をつけるのがおかしいと笑われたことがある。
きっと他府県の人が聞いたら、笑ってしまう語なのだろう。

意味としては標準語の「〜よ」に相当し、上の例文では

お花を買って来ましたよ
ここにありますよ
ともこお風呂ですよ

などとなる。

舞妓さん言葉で、「どすえ」というのが京都弁の代表みたいに言われているが、これは普通の人は絶対使わない。
ただうちの母は、「そうどっか」と「そうどすか」の間のような感じで、「そうどか」と言う。
「す」を小さく発音するのだ。ここら辺のニュアンスは微妙だ。

 

「え」は比較的優雅といえば優雅なのだが、これが「〜で」となると途端に言葉が汚くなる。

お花買うて来たで
ここにあるで
とぼこお風呂やで

濁音だと汚いという印象が強くなる。
でも、残念なことに、この「〜で」も、日常で頻繁に使う。

汚いと思いながらつい使ってしまうのが、このでなのだ。

 

肯定を表わす「そうや」のあとに付けて「そうやで」、否定の「ちゃう」の後ろにつけて「ちゃうで」と言って、言葉を強調する。

しかし「ちゃうで」はあまりにも汚いので、「ちゃうえ」などとも言う。なかなか笑える。

だからと言って、「そうやで」を「そうやえ」とは言わない。これは「そうえ」と変化する。
(たまに、わざと使う時もある。)

言葉の変化というのは、たとえ方言であっても一定の法則があって、面白いものだ。

 

因みに、「ちゃうて」という言葉も使うが、これは「違うったら」という意味で、「て」はたらを表わし、自分の意見を強く主張したい時に使うのだ。
(てを非常に低く発音する。)

 

5 〜しよし(よし)

さて〜しよしは、一応命令形なので、日常語ではあるが、原則として目上の人には使わない。
だから私はあまり使わないのだが、それでも命令形とは言っても形は柔らかいので、親しい人、母には使うこともある。

はよしよし
やめよし
食べよし

それぞれ、「〜なさい」という意味だ。

これは日常語なので、公的な場、仕事場などではもちろん使わない。
女性の上役が、部下に「はよしよし」などとは言わない(と思う)。

漫才の今いくよ・くるよは、「よし」の代わりに「さ」を使っている。

はよしーさー
やめーさー、
食べーさー

となる。

必ず、語が伸びるのだ。

正確には

はよいさー
やめえさー
えさー

だろう。

太文字の所がアクセントである。

どちらも京都人はよく使うが、強いて言えば「さー」の方が少しくだけた言い方か。
「よし」はやんわりした命令形、とも言えるだろう。

☆「やめよし」も「食べよし」も、標準語にすると単にやめなさい、食べなさい、と言うよりは「おやめなさいな」、「お食べなさいよ」というのに近い。少し丁寧な感じなのだ。

 

☆やめて、というお願いの言葉にさをつけて「やめてえさ(ー)」という言葉はあるが(意味は「やめて下さいよ」)、やめてよしとは変化しない。その場合は「やめてんか」となって、よしは使われない。
「さ」の方がさまざまな変化に柔軟に対応できる言葉のようだ。

 

ここまで京都弁を見て来て感じるのは、京都弁とは間延びした言語だということだ。
というのは、前回にも書いた。

とにかく何でも伸ばせば京都弁になる。

例えば例文の
「はよしよし」。(意味、早くしなさい)

これも、「はよしよしいさ」「はよしよしいてー」「はよしよしいなー」などにすることが出来る。
発言者の希望の度合いによって、言葉がどんどん伸びてゆくのだ。

末尾に適当に「さ」とか「て」とか「な」をくっつけて、動詞を無限に長くする。
その上で発音上でどんどんそれらの音を伸ばす。
伸ばすことによって、発言者の希望の度合いが大きくなることを表わしているのだろう。

 

通常のテンポで生きている他府県の人間は、この間延びした言語感覚にどこまで耐えられるのだろうか。
彼らは叫ぶだろう。
はよしよしいさあー。

 

なお、このランキングは私個人のもので、必ずしも(京都)一般のものではありません。

≪この項終わり≫

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