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4/12 砂の器についてもう少し…メモのようなもの。
4/20  テレビドラマは見ない?

 4/20  テレビドラマは見ないということ

テレビドラマは見ないということについてちょっと書いておこう。

私は中学生の時にルキノ・ヴィスコンティの映画を見て映像美の洗礼を受けた。

当時、「地獄に堕ちた勇者ども」の、国家社会主義だの、ハイデガー(?)だのの字幕の意味が分かったかどうか、いや全然理解してはいなかった。けれども、感覚的に、この背徳の美の世界に酔った。そのことで、ああ自分はこうだったのだと、自分はこういう趣味だったのだと、発見をしたのだ。
美を発見するのに、年齢は関係ないのだ。

当時は、私が一番映画を見ていた時期で、だいたい他の人だって、多感な思春期が映画を最も沢山見る時期だろう。私もそうだった。土日は必ず見に行った。二本立て、三本立てもどんどん見ていた。
当時アメリカ映画はニューシネマが流行り、衰退していた。ほかの映像作家ではフェリーニやパゾリーニが活躍していた。それらの映画や、またごまんとあったフランスの恋愛映画も片っ端から見ていた。
けれども私がショックを受け、選び取ったのはヴィスコンティだった。
これがもう私の美意識を一生涯決定したと言っていいだろう。

「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」を見てから、私はあの世界に耽溺するあまり、他の映像作品を受けつけなくなった。
あれくらいの水準に達したものでないと、満足出来ないのである。
そのような作品は、ヴィスコンティ以外ではあまりない。だから私は映像美に飢えていた。

その頃からテレビをいっさい見なくなった。

あのころは、今よりももっとテレビを見なかった。
生涯で、もっともテレビを見なかった時期だろう。
今はバラエティやニュースや、教育テレビなど、よく見ている。見るようになったのだ。
でも、当時は、映画を見るようになって、テレビを極端に軽蔑するようになっていた。
だから、見なかったのだ。

私はヴィスコンティ原理主義に走り、それ以外の映像をすべて駄目と、決めつけてしまったのだ。
時代が少しでもずれていて、思春期に見たものが、「スターウォーズ」などだったら、また話が違ったのだろう。
その時期に見るものによって、影響されるものはあまりにも大きいと思う。

とにかく、そんなわけで私はテレビを軽蔑した。けっ、という態度だった。
いわんやテレビドラマなんて、とんでもないのである。
それ以来、私はテレビのドラマというものを一切見ずに今日まで来た。
大した意志力である。

仕事場でも、テレビを見ない人間として知られていた。
あんたほんまにテレビ見いひんな、と言われつづけた。
テレビを見なかったわけではない、仕事をするようになってからは既に教育テレビなど(日曜美術館など)を見ていた。しかしドラマを見なかった。ドラマを見ないことは、テレビを見ないことと見なされたのだ。
それなので、ほかの人と話がまったく合わない。話が合わないので、話に加われない。シカトされる。それでも見ない。
皆と仲良くなろうと思って、テレビドラマを見ようというふうにはまったく思わなかった。
皆と話が合わないよりも、テレビでドラマを見る方が、私にははるかに苦痛であったのだ。
我ながら徹底している。

しかし最近見たドラマはある。それは「古畑任三郎」だ。

これは、仕事場の仲間にぜひ見ろと薦められたのだ。
絶対面白いから、と説得されて見た。そして見たら面白かった。推理ドラマだったので、拒絶反応が起きなかったのだ。
この「古畑任三郎」を見たのが、何十年ぶりかで見たテレビドラマだったと思う。

しかしそれでも、あれはあの映画のパクリだなどと思ってしまう。
日本のドラマにはパクリが多いことも、いやになる原因のひとつかもしれない。
ニール・サイモンなどどのくらいパクられているだろうと思う。

ついこの間は「恋する京都」を見た。京都が舞台で、きれいな芸妓さん(子持ち)がむさーい百姓(でも本当はかっこいい)に恋をする。視聴率は10%以下だったが、私の好みであった。
テレビドラマアレルギーも、少しずつ薄れて来たのかもしれない。

 

私がドラマアレルギーだったもうひとつの原因は、NHK朝のテレビ小説にある。

どの家庭でもそうだと思うが、私の家でもNHKのテレビ小説は、朝の時計代わりで、必ずこれを見ていた。我が家では朝はNHKである。朝の爽やかな時間に民放は見ない。民放のうるさいCMや、ワイドショー(モーニングショー?)などは朝の時間帯にはとんでもないのである。

しかしこのテレビ小説が、言い難いほどくだらないのであった。
とにかくデリカシーが何もない。
ヒロインの心を逐一、ナレーションが解説する。
見ている側の想像力の入る余地がまったくない。
ヒロインがあまりにも都合良く幸福になりすぎる。美人でないくせに男に決して不自由しない。
まったく、私の逆だ(えっ)。

とにかく、見ているとこちらの想像力が減退してしまうくらい、くだらないのであった。
それを見ることは苦痛だった。

仕事の時間帯の都合で見ていたものと、見ていなかったものがあるが、見ていた中では「さくら」はなかなか良かった。
ヒロインの恋人役の小沢征爾の息子の芝居が上手で、ヒロインとの恋の行方が気になった。
しかし、「ちゅらさん」はひどかった。
まったくひと昔前の少女漫画そのままなのだ。ヒロインが何をやってもうまく行く。
家族は沖縄に住んでいるのに、東京にいるヒロインのところに、すぐに会いに行く。
まるで家族も都内に住んでいるみたいに、すぐに会う。
そんなに裕福でもないのに、飛行機代がかかるだろう、と、普段は平然としている母でさえ、突っ込んでいたくらいだ。

このように、ろくでもないテレビ小説を見るという苦行をしたおかげで、テレビドラマに拒絶反応が起きたのは否めない。

しかしある時、手塚治虫がこのテレビ小説を欠かさず見ている、と発言しているのを知って、ショックを受けた。

だから僕はね、NHKの朝の連続ドラマとか毎日観ててね。何故かっていうと、その引きを見てるんだ。だから感心するね、僕は。よくもまあ、あんなにダラダラした話…悪いけど(笑)

毎回、何十回も引きやるってねぇ

手塚治虫も、ダラダラした話だとは分かっていながら、引きを研究するために見ていたのだ。

私はこの時、芯から手塚治虫は偉大だと思った。

天才とは、生まれながらに才能に恵まれていることではない。もちろんそれもあるだろう。
けれども、それにプラスして、自分を高める努力、常に全方向にアンテナを張り、それを自分の中に取り入れる努力をすること、努力が出来ること、それが才能なのだと思った。

そして、取り入れたものをフィードバックすることが出来る。入力して、咀嚼して出力する。その回路を持つ人のことを、天才と言うのだと、悟った。
天才は、くだらないダラダラしたドラマからでも、いくらでも出力が出来るのだ。
観る者の、感性でどのようにでも受けとめることが出来るのだ。

反省した。

4/12 「砂の器」についてもう少し 映画・テレビ

「砂の器」について、もう少し。映画を見ないままに書く。

一点集中タイプなので嵌るとどこまでも嵌るのでいけない。

テレビ版が映画に準拠して作られている以上(ものまねである)、映画より優れたものになるはずがないので、テレビに、映画並みのクオリティを求めるのは間違っているのではとも思う。
ヒステリックにテレビ版器は糞だと叫ぶ映画至上主義者にちょっと疑問を持った。
わざわざ映画と比較しなくても決して出来の良いドラマではなかったのだし。
そう、あまりにも欠点が多すぎた。あまりにも脚本がひどかった。
でも満足した。それでも良かった。最後は何度見てもいい。

 

私は第1話の始まるのを忘れていて途中から見て(だから殺人場面を見ていない!)第2話も途中から見て、そのあともネットをやりながらだったりしたから、画面をかじりつくようには見ていなかった。
あまり熱心ではなかったのだがその方が良かったのかも。
ただ、ラストはどうなるのか、ハンセン病ではなく、どのような動機なのか、それが知りたくて中だるみ中も我慢して見続けたのだ。
結局真面目に見たのは最終章の前後2回だけだったかも。

*

原作は、和賀が主人公ではない。単に犯人というだけであって、しかも連続殺人を犯している。
けれどもちょっぴり「陽の当たる場所」テーマが入っている。
このテーマも随分時代錯誤なのだが、それでも、ある意味で、男性の上昇志向を扱う時には恰好のテーマかもしれない。
アイラ・レヴィンの「死の接吻」も同じだ。
「太陽がいっぱい」などもそうかもしれない。
このテーマが、テレビドラマにも入るのだろうと思っていたが、消化されなかった。

いい男が美貌を武器に、女をコマして(失礼)のし上がってゆく、という物語(そして最後には野望がついえる)は、女から見るとなかなか魅力的なテーマだが。

もうひとつ「罪と罰」テーマというのがあって、罪を犯した尊大な男が、平気そうなふりをして、実は犯した罪の重さにおののく、というパターンだ。
これはこれで、男が苦悩に引き裂かれる、という女に魅力的なテーマである。
テレビはこちらを採用したようだ。

 

私は映画「砂の器」の評判を知っていたので、ずっと以前から見たいとは思っていた。
ただ、犯人が加藤剛、というのが萎える点だった。
別に嫌いではないが、加藤剛では、ちょっと見る気がしなかった。
あの七三分けがどうしても許容出来ない。
あの馬づらが、あの鼻の下の長さが、大岡越前が、そう思うと、萎える。
それはもう、単なる好みになるが。
でも、映画を見る時に、イメージは重要なのだ。
それに比べれば、テレビ版の中居正広の方が、私ははるかに良い。

自分が中居のファンだとは、今まで思っていなくて、彼の出ているテレビも、「笑っていいとも」以外は、スマスマも見ていないし何に出ているか全然知らない。基本的に、私はテレビドラマは見ないのだから。
けれども、中居で「砂の器」の企画はいいと思った。
それで、テレビドラマはたるいだろうけれども、見てみようという気になったのだ。
そのことにより、私は実は中居のファンなのかもしれないと思った。
でもまあ、「砂の器」以外の中居は、やはりあまり見る気はしない。

彼は、実生活でも女に冷酷そうな気がする。
たぶん寄って来る女はいっぱいいるだろう、それらと関係しても飽きたら平気で捨てそうな気がする。
バラエティでいくらおちゃらけていても、目は笑っていないというか、本気ではないというか、妙に冷めているのではないかというような気もする。
実は、ものすごく冷酷な性格なのではないかとも思ったりする。
どこか、そういう得体の知れない所があり、だから二重人格的な和賀にぴったりなように思ったのだ。

これ以上は、映画を見てのち書く。


と書いて、放置していたら映画もどんどん見てしまった(ビデオで)。

映画の設定は昭和45年となっている。
ハンセン病の父千代吉と、子秀夫は、その病に対してどれだけの知識を持っていたのだろう。

大体そのころに、私は学校で聖書を読み、らい病の存在を知った。
学校はキリスト教校なので、らい病について、朝礼や宗教の時間で教えていた。

そのころは、ハンセン病(ハンセン氏病)という言葉はない。らい病であり、聖書ではレプラだった。

福音書の中にイエスがらい病患者の元へ行き、彼らに触って病を癒す、という場面があったと思う。

イエスの頃、2000年前のローマ統治下のユダヤではらい病患者が沢山おり、やはり洞穴などに隔離されてひとまとめにされ、健常者から離れた生活をさせられていた。
らい病だけでなく、病というものは罪を犯したから罹るものだとされていた。
イエスはそうでないことを知っていたので、彼らに平気で近づき、彼らに、神はあなたがたを見捨てていないと説いたのだ。

朝礼や授業で、日本にもらい病患者がいることを初めて知った。それに驚いた。

 

らい病について、そのころ私はどの程度知識があっただろうか。

完治することは知っていただろうか。完治しても跡が残る、と聞いたことはあるような気がする。

キリスト校なので人道教育がされていて、らい病者への不当な差別と偏見は、絶対に良くない、今でも日本で隔離されているのは、不当であるということを教えられた。

その偏見の根本にあるのはそれが遺伝病だという誤った理解のためだった。
遺伝病であると認識されていたため、隔離施設では断種手術が行なわれていた。このことを、私は当時、理解していたかどうか。

断種を強制される。こんなことは、人が人に行なうことではない。

このために、隔離政策が偏見であり差別だと非難されていたのだ。

 

*

千代吉は、どの程度自分の病について把握していたのだろう。
病というよりも、発病したら、それは人間失格という烙印を押されるようなもの、というニュアンスだとは想像が出来るのだが。

発病したのは戦前だ。遺伝すると考えていたかもしれないし、完治すると思っていなかったかもしれない。
三木巡査に「子供に伝染ったらどうする」と言われるので、伝染病だと分かったかもしれない。

父子が、この病気をどのように理解していたかで、映画「砂の器」の解釈も変わってくるのではないだろうか。映画には、らい病に対しての説明はいっさいない。
(ハンセン病を同情のために利用しているという、患者協会のようなところからクレームがあり、詳細を描けなかったらしい。)

秀夫=和賀は、遺伝すると思っていたのだろうか。
愛人が妊娠して、絶対に子供を産んではいけない、と強調する場面があるが、そこを、父と子のらい病という宿命を断ち切ろうとする、と解釈していた人がいるが、それなら和賀はらいを遺伝病だと思っていたのだろうか。
遺伝すると思っていたとしても、自分が発病してもいないのに、自分の子には発病するかもしれないと思ったのだろうか。

事件の起きた昭和45年当時、子供の私はらい病が伝染病で、遺伝病ではないことを知っていた。
日本ではひとところに集められていて、普通の人には滅多にかからないとも思っていた。
らい患者はいるけれども、その数はきわめて少ない、というふうにも思っていた。
そして今いるらい患者が日本で最後の患者だと。

そう思ってみると、映画の和賀の態度がどうしても納得出来ない。
どうして、子供を産むなとかたくなに主張する場面を入れたのだろう。婚約者がいるからとした方が分かりやすいのに…。*
呪われた血を嫌悪する業の深さといったものは感じ取れるのだが…

また、らい病の父がいることを知られたくないばかりに三木を殺したくせに、宿命もないだろう。
千代吉との絆を断ち切りたいが、断ち切ることが出来ないから、宿命なのだろう。それは分かる。
でもまず、三木を殺したことに反省が来るだろう、普通。
父と会うのがいやさに三木を殺した自分にいやけがささないか。それなのにのうのうと宿命。理解しづらい。
それとも、三木を殺したことは宿命だから仕方がないと思っていたのだろうか。仕方がないから殺してもよかったのか。

和賀は、父に対してすまないという気持ちを、宿命という曲に込めたのかもしれない。
作品として昇華するのが芸術家だというように。けれども、そんな芸術なんて芸術としてどうよ、殺したくせに、と思ってしまう。

考えれば考えるほどフラストレーションが溜まった。
初めは感動していたが…。


それに比べれば、テレビはテレビだから分かりやすい。

三木を殺したことをちゃんと後悔したり、おののいたりしている。
ばれたら築きあげた財産がすべておじゃんになるのを恐れ怯えている。これが普通だろう。

芸術家だから何をしてもいいとか、普通の神経ではないとかではなくて、ちゃんと人として悩んだり苦しんだりする。それだけで私はすっきりするのだ。

テレビは和賀視点だから、映画をなぞっているように見えて実は和賀の心情で同情させようとしている。
映画は、父の子への愛というか、妄執だが、テレビは子の、父への愛である。
だから父子の放浪というか逃亡も、映画のような昂揚感はないのであって、あそこが泣きのポイントではなく、最後の再会が泣きポイントとなるのは当然だ。

ただ、子が主体だから、映画とは逆に父の感情が多少おざなりにされた。

子供と離れない訳を、一人にしておけないから、という。
自分が出頭して死刑になれば、子供は世間からどんな目で見られるか、だから離したくないということで、父は自分のことより子供のことを案じているのだ。そこは父のエゴから離れたくなかった映画版よりも良かった。

だが、映画では千代吉は子に会いたいと、それだけを生きる望みにしているが、テレビでは父は殺人犯で犯罪者なので、子には合わす顔がないだろう。
三木が、秀夫が生きている証しを必ず届ける、と言うが、父はきっと、子に許してもらえないと思っているはずだ。どこかで無事に、誰にも蔑まれずに生きていてくれれば、という思いだっただろう。
それを三木が、いや、秀夫は宿命を受け入れて立派に生きているはずだとか何とか言って、本当は息子に会いたい千代吉を繰り返し繰り返し慰めた、とか。
中居のしかめ面ばかり描いて、ここら辺が描かれていなかったのが弱い。
もちろん千代吉が犯行に至る経緯(やむなく殺人に至ったという)の描写が少なくて説得力が弱いのも気になるところだった。

また最後、父が救われるような描写に思えるが、それなら彼が犯罪をどれだけ悔やんでいるかなどが描かれなくてはならない。ただ悔やんでも許される犯罪ではないので、やはり父は断罪される最後にするべきだったのでは…
真っ白に燃え尽きるのでなくて、そのあとちゃんと刑を執行されたとか。
私としては最後の「宿命」のテロップの代わりに後日何日何時何分、死刑を執行されたという記述が欲しかった。死体は大学の解剖用に供された、とも。

あと面白かったのが、和賀を二重人格者として描いたことだ。
和賀=秀夫の二重人格という説は2チャンネルに書かれていたものだけれども、的を射ていると思う。

映画では、秀夫が三木のもとを去る時に、秀夫を捨て去る決意をする、と描写しているのだが、分かりにくい。
テレビは、和賀という少年が実際にいたことにして、和賀少年が死んだ時に、秀夫は彼に成り代わる決意をするというふうにしている。秀夫から和賀英良にと、テレビ的に非常に分かりやすい表現だ。
段取りはいかにもまずいが、秀夫から和賀という人格に入れ替わることを分かりやすく説明出来ているのではないだろうか。

そして三木巡査の出現で、捨てたはずの秀夫の人格を呼び覚まされ、以降二つの人格の間で人格分裂を起す。

また映画では和賀は逮捕されることをまったく知らず、コンサートを成功させ喜ぶが、テレビは秀夫であることを刑事にゲロしたので、コンサートの直後逮捕されることを知っている。
秀夫だと認めることは、みずから財産や、名誉を捨ててしまうことだ。そのことによりテレビの和賀は、若い女性視聴者(若くなくてもいいが)の同情を得る設定になっている。
逮捕されることを知りつつピアノを弾き、喝采を浴びる姿に女性が哀れを催すように作られているのだ。


*らい病は遺伝病ではなくて、感染病である。
感染力はきわめて弱い。だから滅多には感染しない。
それだからこそ、感染した患者は感染しやすい体質であり、その体質が遺伝すると考えられたということらしい。

そうであったとしても、らい患者に近づかない限り感染しないのだから、和賀の生まれて来る子供が感染する確率はまったくないに等しい。だから映画の和賀の心情は理解し難い。
もちろん、この描写によって、らい病がどのように思われていたかを象徴させたかったのかもしれないが。いずれにしても、納得できかねる、曖昧な描写と思われても仕方あるまい。

*またらい病患者は神社・仏閣での物乞い・放浪患者が多かった(放置されていたのか。極貧の患者が多いので医者にかかれなかったのか。罹ったら治らないと思われていたのでほったらかしだったのか)。
*隔離施設は永世隔離であり、そこで死ぬことを前提としており政府は治療し社会復帰させる意思がなかった。

こうしたことは映画では描かれていない。詳しく描くことが出来なかったようだ。
ただ、小泉首相がこの映画を見ており、放浪場面の印象が深く心に残っていたことにより、2001年、患者の国家賠償の勝訴に対する提訴を断念したことは、話題になった。
この映画が、その助けになったのなら、社会的な役に立ったと思うのだ。

詳しくはここ
ここを読んだら打ちのめされてしまった。
この国家がらみの偏見と差別のあまりのすさまじさを思えば、あだやおろそかにはこの題材に取り組めないだろうこと、これを題材として取り上げることがいかにむつかしいかを、痛感する。
映画をこの形で作ろうとしたスタッフは勇気があったと思うが、きわどい綱渡りだったのではないか。
ただ、それでも不満や矛盾を感じさせてしまったことには、変わりはない。


映画とテレビの比較ということで言えば、映画は過大評価されすぎているし、テレビは映画に比べて過小評価というか、評価されなさすぎだ。
このドラマを見て、現に感動し、親子の問題、差別の問題などを考えたという人が少しでもいるなら、それはこのドラマが受け入れられたということだろう。

私は日本映画で言えば「斬る」や「ある殺し屋」または「七人の侍」などの方が好きだ。
もともと涙滂沱の映画は趣味ではないからだろう。

映画「砂の器」について
「砂の器」とミステリーの映像化

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