07/10/25 路上喫煙の禁止条例
07/10/25 路上喫煙の禁止条例
大阪の御堂筋で路上喫煙が禁止されたが、京都でも近々に四条通などでの路上喫煙禁止条例が発令される。
私は目下、路上喫煙と歩きたばことではどう違うのか、その定義が良く分からない。
路上喫煙と歩きたばこは違うのだろうか。
違うとすれば、路上喫煙とは、路上で立ち止まってたばこを吸い、吸殻を捨てたり或いは吸殻入れに入れたりする行為のことなのだろうか。
そんな人がいるのだろうか。
バス停などで吸う人、或いは待ち合わせ場所で吸う人のことなのかも知れぬ。
そのあたり、明確にして欲しい気がしている。
私は、歩きたばこには反対である。
ずいぶん昔のこと、まだ近鉄デパートがあった時、私と母が連れ立って近鉄デパートから出て、家へ帰ろうとした時のことだった。
今でも覚えているのは、七条警察を過ぎて、横断歩道を渡ろうとしている時だった。
母と、見知らぬ男がすれ違った。私は男と反対側を歩いていて、すれ違ったか、男が母を追い越そうとしたのだったかが、よく分からない。
とにかく、母とその男が路上で交錯した。
その拍子に母が熱っ!、という悲鳴を上げた。
母が手の甲を押えている。
男がたばこを持っていて、それが母の手の甲に当たったと言う。
火傷をしたのだろう。どの程度のものだったかは分からない。
男がわざと母の手にたばこを押しつけたのか、それとも交錯した時に偶然に母の手に当たったのかも分からない。
母の様子ではわざと押しつけられたような感じでもあった。
母はかなり痛そうにしていたから、怪我をしたのかもしれない。
私はその時から歩きたばこというものを憎んでいる。
それが故意であったにせよ、偶然であったにせよ、火のついた煙草を路上で持つ、歩きながら持つ、ということ自体が危険だと思う。
大阪では、御堂筋だけが禁煙区域なので、そこを避けて一歩入った別の路上で煙草を吸う、という人が続出しているという。
また、罰金を取ろうとしたら、禁止だと知らなかったと言って罰金を払おうとしない人もいるという。
ニュースを見ていたら、(路上喫煙の)どこが悪いのか良く分からない、と言っているおじさんもがいた。
御堂筋だけではなくて、どこでも歩きながらたばこを持つ、という行為自体が危険なのだと思うから、御堂筋でさえたばこを吸っていなければ良いのだ、というその考えは間違っているのではないだろうか。
禁止区域だけで路上喫煙を止めればいい、だから他の区域では自由に吸ってもいい、という考え方になるとしたら、それはどうもおかしいように思えてならない。
本来なら路上喫煙自体が危険なのだから、例え禁止区域でなくても喫煙をしないという心構えは必要なのではないのだろうか。
私は喫煙もしないし、車も運転しないから、そういう人たち、煙草を吸う人、運転する人の心持ちが分からないのだ。
その人たちへの想像力が働かないので、路上で煙草を吸う人の気持ちもまったく分からない。
路上へ出てまで煙草吸うなよ、と単純に思う。
そんなに片時も煙草を吸わなくてはいられないのか、ばっかじゃないの、と切り捨ててしまう。
だから、禁止条例は当たり前と思う。
自分には痛みがまったく振りかからないからだ。
飲酒運転でもそうだ。
自分にはまったく関わりのないことだから、飲酒運転などする奴はアホだ、クズだと思う。
良く考えれば、その人たちにはその人たちなりの理由があるのかもしれない。
さらに言えば、ガソリン代が値上がりしても自分にはまったく関係ないから、車を運転する奴残念でした、ざまあみろ、もう車止めれば、なんて簡単に考えていたりする。
少しは想像力を働かせて、なぜそれらがなくならないのかと考えなくてはならないのかもしれない。
認めたくはないけれど、人間というものは弱くて惰性に引きずられ、つい楽な方へと逃げてしまいがちな、どうしようもない、しようがない生き物なのだ。
それを踏まえた上でより良い生き方を模索しなければならない。
想像力というものを、お互いに働かせ合い、他人の気持ちを少しでも分かり合えるようにならなければならない。
だから路上喫煙のどこが悪いのか分からない、と思っている人たちも、少し想像力を働かせて、なぜ条例が発令されたのか、なぜ駄目だと言われているのかを、ちょっとだけ考えて欲しいと思ったりする。