07/09/25 ゴミの分別回収

07/09/25 ゴミの分別回収

京都でもいよいよ10月からプラスチック系ゴミの分別回収が始まる。

ということは、悲しいことに今まで分別が行われて来なかったということである。

これまでは、カン、瓶、ペットボトル系ゴミと、それ以外という2つだけの分別であった。

しかし、この2種類の分別が始まった(たしか)去年以前は、その分別さえ行われていなかった。

つまり、京都市ではゴミの分別という行為をまったく行わず、ひたすら一つのゴミ袋にあれもこれも一緒くたに放り込むという、文明都市とは思えない蛮行が長らく続けられて来たのだった。

事実、ゴミ収集に関しては京都市は文明都市ではなく、原始村落と言って良かった。

京都のゴミ焼却炉は火力がとても強いので、何でも一気に溶かしてしまうから平気なのだ、という伝説がまかり通っていた。

そういう話ではないだろう、と文明都市に住んでいる者なら思うであろう。

けれども原始村落・京都市ではそれで良しとされていたのである。

どこが京都議定書やねん、と突っ込まれても何の文句も言えないという有り様であった。

 

けれども、とにもかくにもプラスチックゴミの分別回収が始まる。

これでやっと文明都市の仲間入りが出来るはずだ。

カン、瓶、ボトル系ゴミと、プラスチック系ゴミ、そしてそれ以外(おそらく紙と生ゴミであろう)という、3種類にゴミが分かれる。

そこで気がついたことがある。

分別の練習に、とゴミとして出すものの注意書きを眺めていたら、プラスチック系のゴミがあまりにも多い、ということだ。

パックの裏などに、プラスチック系の素材のものには、「プラ」qと書いてある。これがあまりにも多いのだった。

お菓子の袋がプラである、お菓子の箱がプラである、おまんじゅうのパックがプラである、あれもこれもプラである。紙かと思ったらプラである。

我々は、こんなにプラスチックゴミを生産していたのかと改めて知り、愕然とした。

愕然としたあまりに、顎が外れた。外れて元に戻らない。

 

これはあまりにもひどいのではないだろうか。

プラスチックゴミが異様に多すぎる。

お菓子の袋などでは、ご丁寧に中に入っているお菓子(おかきなど)を更にひとつひとつ、小さい袋に入れてあるものもある。
この小袋にもプラと書いてある。

シャンプーや、液体石鹸などで詰め替え用の袋で売られている商品がある。しかし、この詰め替え用の袋がプラと書いてある。

一体何のための詰め替え用なのか。何の役に立つ詰め替え用だというのか。何にもなっていない。

理念だけ通して原理を忘れている。もう台無し。

こんな無駄を、誰も何とも思わないのだろうか。

今まで誰もこれを無駄だと認識して来なかったとは、驚き桃の木さんしょの木である(昭和のギャグ)。

 

そんなことはどうでも良い。

問題なのは、こうしたプラスチック系ゴミは、それを買った途端に捨てなければならないということだ。

それは商品ではなく、単なる包み紙や包装であるから、捨てなければどうにもならない。

捨てるために生産しているという、非常に非生産的な物質だ。

そうしたものの殆どがプラスチックだという、驚愕の事実。

あまりにもプラスチックに依存しすぎだ。

ということを初めて知った。

これでは石油がどれだけあっても足りないのは当たり前だ。

 

分別が始まるにあたってもうひとつ気がついたことは、私の母がプラスチック分別に対応出来ない、ということである。

母に何度これがプラで、これが普通のゴミで、これがトレイで、これがボトル系、と説明しても理解してくれない。

これがプラスチック、と説明したそのすぐあとから、トレイもプラスチック系ゴミなんやなと言う。

いや、トレイはプラスチックだけれどもスーパーの店先に回収ボックスがあるから、今まで通りそこへ持っていけば良いのだ、と説明する。

次の日になると再びトレイはプラスチック系ゴミに出さなければならないのだなと私に言う。

いや、そうでなくて…、と説明するのもしんどくなった。

ああ、ややこしなるな、と歎息している。

ややこしいのはおのれの頭じゃ、と言いたいが母なので言わない。

老人には分別という行為を認識する能力がないのだという気がする。

 

さらに気になることがある。

私が、分別ゴミ回収にあたって最も気になることが、実は、家庭におけるゴミ箱の存在である。

つまり、我が家には庭に大きな円筒形の蓋つきゴミ箱(その内部にゴミ袋をしのばせてある)がひとつ、そして各部屋にくずかごが約一つずつ置いてある。

これらのゴミ箱及びくずかごは今後どうなるのだろうか。また、どうすべきなのだろうか。

各部屋に置いてあるくずかごも、今後、分別のために二つずつ置くべきなのだろうか。

ゴミ箱をもうひとつ増やさなければならないのだろうか。

他の家庭、既に分別回収を行っている地域の家庭では、ゴミ箱及びくずかごの個数、分布状況などはどうなっているのだろう。是非知りたいところだ。

 

我が家は、ペットボトルというものを殆どまったく購入しないので、カン・瓶類のゴミ袋を殆ど出さない。

ひと月に一回くらいか、ふた月に一回くらいの頻度でしか瓶類のゴミを出さないので、昨年、分別回収が始まった時にデモンストレーションで配られた無料のカン・瓶類用のゴミ袋が未だにある。

けれども、醤油のボトルや、たまに町内でもらう缶ジュースなどがつもり積もってだんだんと溜まって来る。

このカン・瓶類用の袋は、現在、台所のシンク下の狭いスペースに押し込んである。

とても狭いので、袋が一杯になる前にスペースが満杯となり、置けなくなる。

そこで母は、まだ袋が半分くらいしか埋まっていないのに、ゴミ回収に出そうとする。

まだ入るのに、と言うのに、母は邪魔だからとゴミ回収に出してしまう。

 

つまり、我が家はそれほど狭く、これ以上ゴミ箱やくずかご、ゴミの袋などを置いておく場所がない。

各部屋は、狭いにも関わらず、というか狭いが故にというか、すでにもう物が一杯に溢れていてそこに新たなくずかごを置くスペースがない。

このような状況で分別が出来るのであろうか。

プラスチックゴミと、普通のゴミをどのようにして区別し、それをどのくずかごに入れ、どの場所に置いておけばよいのか。

くずかごの場所を、どのように確保すれば良いのか。どうすれば場所を確保することが出来るのであろうか。疑問は尽きない。

もうすぐ10月になり、あっという間にプラスチックゴミの回収が始まる。

けれども私の頭の中では、この回答のない難問が渦を巻いている。

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