京都に対する私的な感情

 

04/10/14

 

誰でもそうだと思うが、自分の生まれた故郷に対して、アンビバレンツな感情があると思う。

誰でも特に、思春期や、大人になりかけの時は自分の生まれた土地に否定的で、自分の今いる場所を否定したくなるものだ。
自分の居場所はここではない、どこか他にもっと自分に適した土地があるはずだと思い込むのだ。
ボードレールが、どこでもいい、どこか他の世界に行きたい、今いるここでさえなければどこへでも、と歌ったあの心境に、誰もが一度は頷くのだ。

私もそうだった。だから、今いる京都がいやでたまらなかった。東京という、都会ヘ出たかった。

京都は人間がいじわるで、前向きではない。とにかく、人のことを否定する。新しいことを受け入れない。京都にいては、停滞する。人間が、淀む。
そう思っていた。

 

いつごろだったか、「なのにあなたは京都へ行くの」という歌が流行った。

これは、今思うと、京都の部分をそのまま東京と当てはめるべきなのだろうと思う。

なのにあなたは京都へ行くの

京都の町はそれほどいいの

この私の愛よりも

ただこれを聞いた時、疑問を持った。

男が、女を振りきって京都へ行くという。なぜ?
京都に対する意識を持ったのは、多分この歌を聞いた時が初めてだろう。
東京ではなく、あえて京都。それが成り立つ、それが京都という町なのか。

 

私にとって、京都は二つの顔がある。自分の生まれた土地という顔と、観光地という顔の二つだ。
それは、あまりにも違いすぎて、私の中では長いこと統一出来なかった。

それが、京都に対して必要以上に構えた、そしてものすごく捩れた感情を京都に対して持つようになった原因だと思う。

自分の故郷を人はあまり褒めない。あまりいい思い出がない。故郷は、年をとってから初めてその良さが分かるものだ。

私にとっての京都もそうで、生まれて育って、そして住んで暮らしている町だ。その思いがある。
しかし京都はそれとは別に、観光地として、人々に憧れられる町であるらしかった。

京都に住み、暮らしている限り、そこはほかのどこの都市とも変わらないごく普通の都市である。
特別に人に憧れられるようなものがあるわけでも、特別な暮らし方をしているわけでもない。
スーパーもあればコンビニもあり、ほかの都市と同じビルが並んでおり、ほかの都市と変わらない人が住んでいる。

けれども、京都はそれだけではないという。日本の人々の心には、それとは別の、京都に対するある特定のイメージがある。

 

ごく最近、ある本を読んでいて、日本人で、京都の嫌いな人はまずいるまい、という一文があり、はっとした。

その部分を読んで私はすごく考え、そして自分の今までの考えを恥じ入った。

自分の住んでいる町だから、斜に構え、京都に対して素直に向き合おうとせず、京都なんて、という態度をとっていた。そのことに気づいた。
つまり私は京都を否定し、ある点で拒絶していた。

 

自分が住んでいる、いないに関わらず、京都は日本の歴史において、1000年間都であって、歴史を紡いで来た町なのだ。

京都の歴史を辿ることは、そのまま日本の歴史を辿ることでもある、と梅原猛も書いている。

いっけん、他の都市と変わらないビルが立ち並び、つまらない町並みになったかと思えるが、ひと皮向けばあらゆる時代の、あらゆる痕跡、史跡、遺構が残されている。
そういう町に対するリスペクトが、私にはなかったのではないか。

自分が住んでいる、住んでいないはこの際置いておいて、京都という町は、きわめて特殊な町なのだ。

私はただ京都に住んでいるというだけで、京都人でもなければ、京都が私に感謝しなければならないようなことを私が京都にしたわけでもない。
京都に住んでいるというだけで大きな顔をしていながら、京都に対して文句を言うのは、どう考えても考え違いだろう、と。

 

そこで、私は、初めて京都という町に対して、純粋な興味が出て来た。

もっと、知りたいと思った。

自分の故郷としてではなく、日本の歴史を育んで来た町として、日本の都だった町としての京都を、もっと知るべきなのではないかと思うようになった。

そうして、少し勉強を始めたら、京都という町は、あまりにも奥が深いことを知った。生半可な付け焼刃の知識ではとうてい太刀打ちが出来ないのだ。
町の名前ひとつ、道の名前ひとつにもいわれがあり、歴史が込められている。それも300年や400年ていどではない。1000年とか、1200年とかの歴史だ。

面白い、と思った。ますます、もっと知りたい。

ただ住んでいるだけ、ただ暮らしているだけでは、京都の真の姿を知ることは出来ない。
自分から知ろうとしなければ、京都は自分のそばにやって来ない。
ただ暮らしているだけでは、生涯京都を知ることも、愛することもなく終わってしまうだろう。

他の都市と変わらないビルが立ち並び、つまらない町並みでしかない、と思っている限り、京都はそばにはやって来ない。

幸いなことに私は京都に住んでいる。
電車に乗って、わざわざ来なくてはならない人もいるのに、私はいつだって、好きな時に京都観光が出来る立場にあるのだ。
これを利用して、どんどん京都の奥深さをもっと知ろう。

そんな風に思ったのだった。

 

ちなみに、私は歴史にまるでうとかったので、応仁の乱のことも良く知らなかった。

京都にいると、話の端々で応仁の乱のことが出て来る。
私は、応仁の乱とは、てっきり、長野県とか、茨城県とか、そのへんで起こったことなのだろうと思っていた。

室町幕府というが、それがあの京都の室町通と関係があるとは思いもしなかった。
本能寺が京都にあるとは知らなかった。
千利休と秀吉が京都で茶会をやったことも知らなかった(京都以外でやったのだろうと思っていた)。
そういえば、紫式部も清少納言も京都に住んでいたのだ。
「枕草子」は京都で書かれて、京都のことを書いているのだ。
藤原定家だって住んでいた。親鸞聖人も平清盛も足利義満も、みな京都に住んでいた。
成り上がりの秀吉にとって、京都がその出世のゴールだった。

 


このようなことを何も知らなかったのは、日本人で私一人なのかもしれない。太刀打ち出来ないのは当たり前だ。