あみものの話

 

2001/10/16

あみものが好きでした。

それだから今の仕事(毛糸の販売)を選んだのです。

今はもう、滅多に編物をすることはなくなりました。

 

なぜだろう…
お人形に関心が行くようになってから、だんだんと遠のいていったような気がします。
飽きたのかもしれないし、だんだん面倒くさくなったのかもしれません。

毛糸を買うお客様も年々減って来て、お客様が、もうあんまり編む人はいないのかねえ、と言いながら買っていかれます。

売っている私も相槌を打つけれど、そういう自分も編まなくなったものなあ…
と心の中で考え、未だにあみものをして、毛糸を買っていく人を、えらいなあ…、と心で尊敬しています。

 

今は、衣料品が安く、より良いものが手に入るし、ニットも、手編みのセーターでさえも、中国製の安価なものがすぐに手に入る。
手編みをする人が減るのも無理はないと思います。
手間暇かけて編まなくても、欲しいものがすぐに手に入る時代です。

手編みのものは手入れも大変だし、気を使うけど、既製品は簡単に洗濯が出来、気軽に買えて、気に入らなければすぐ捨てられる。
売っているセーターだって、ポンと洗濯機に入れられる、便利なものの需要が、だんだん増えて来ている。

そんなふうな消費社会になって、手編みは流行遅れというか、顧みられなくなって行ったのだと思います。

どんどん便利な社会になっていって、面倒なものはだんだん嫌がられていくのです。
誰でも面倒なことはいやなのだから、それはしょうがないこと。

でも、手編みの良さは、そんなんじゃないはず…
そう思ったりもするのです。


しばし昔に帰って、手編みの四方山話など、してみようと思います…

 

***

手編みを意識的に始めたのは、確か大学生のころだったように思います。

それまでは、母に表編みと裏編みくらいは教えてもらっていたようで、それは私の編み方が、今の人たちの編む編み方でなく、フランス式という、左手の人差し指に糸をかけて編む編み方だからで、この編み方だけは誰かに教わらないと出来ないからです。

母に教えてもらったという意識はないのですが、いつの間にか編めていたのだから、それは身近にいた誰かに教えてもらったという以外に考えられないからです。

 

手編みにはフランス式のほかにアメリカ式があり、より簡単でとっつきやすいのはアメリカ式だと言われています。

手編みする人を見ると、今はアメリカ式の方が多いようです。
初心者に教える時も、アメリカ式を教えます。
でも私は昔からなじんでいるフランス式がとても好きだし、慣れたらそちらの方がずっと簡単だと思うのです。

 

手編みが好きになったきっかけはもう覚えていないのですが、まず編むことが好きになったようです。

マフラーをまず編んだのを覚えています。
始めと終わりではゲージが全然違ってしまい、編み始めた最初の部分は目が詰まっていたのに、編み終わりはゆるゆるで、マフラーの最初と終わりでは幅が全く違うものが出来てしまいました。

それでもその緑色の毛糸のマフラーは、とても気に入って、長いこと首に巻いていました。

 

***

それから編物のスタイルブックなどを見るようになり、それでプルオーバーにも興味が涌いたのかもしれません。
本を見ていると編みたい、と思うようになり、編めるような気になって来る。

 

始めは買って来た毛糸を編んではほどき、編んではほどきして、全然完成しなかったものです。
それで別のものを編もうとしたり、挫折したり、いつまででもその同じ毛糸だけを弄んでいたような気がします。

それでも初心者向きの本を買って来て、どのように編図を見るのかさえも分からなかったなりに、思い通りに仕上らなくて苦労しながらも、とりあえず完成した時はとても嬉しくて嬉しくてしようがなかったのです。

 

編み上げたのは、ジャケットのようなカーディガンだったと思います。

そして、その最初の一着から、テキスト通りに編めず、自分で目数や、模様をやりくりしながら編んでいったのです。

テキストが指定する糸と、買った糸の太さが違ったので、目数が合わなかったのは仕方なかったのです。
最初から私は、テキスト通りの編み方をしなかったのでした。

 

始めは、脇閉じのための糸を、編む前に少し残しておく…
というようなことさえ知らないし、テキストにもそんなことはいちいち書いていないので、本当にすべて自分流で、手探りで編んでいたものです。
だから私のは完全に我流です。
何とか覚えたけれど、それが正しいやり方なのか違っているのか
そんなことさえ、知りようがないまま、編んでいました。

人に聞く、ということがいやだったこともあり、また編み方を教えてくれる所も知らなかったので、全部、本で覚えました。

***

 

手編みをする時は、殆ど自分の物を編みました。

誰かのために編む、というのは、編んであげる人がいなかったこともあり、あまり好きではありませんでした。

父には結局ベスト一着だったし、母には自分が着なくなったお古が多かったです。
母は私の手編みをあまり喜びませんでした。
何かといちゃもんをつけていたようでした。
あまり上出来ではなかったからでしょうか。

姪にもあげましたが、やはり自分が着なくなったものだったようです。

*

私が編むのは、編むのが好きだからで、誰かにセーターを着せたいから編むのではなく、ただ編むという行為が楽しかったからなのでした。

だから、誰かに編んで上げようと思って編み始めると、なかなか完成しないのです。
母にこういうのを編んであげる、と言いながら全然完成せず、途中でやめてしまったのが何度もありました。

編む事が義務になって、純粋に楽しめなくなったからでしょう。
楽しめない編物は、なかなか完成しないのです。

それに、編んであげるとなると、作品に責任が出て来ます。
あまりいい加減なものは作れません。
自分で着る分には、多少目数が合わなくても、左右が対称でなくても何ともありません。
でも人に上げるものは、そんな無責任な作り方では失礼です。

そういうことがからまって、人のものを作るとなると手が固まり、針が進まないのでした。

***

 

それで私はずっと、自分の物だけ編んでいました。

 

母は表編みと裏編みくらいしか知らなかったので、全て本を見て学んだ自己流ですから、出来映えは大した事はありませんでした。

でも何も知らないというのは、かえって大胆なもので、まだはじめて間もないのに、むつかしいアランセーターに挑戦したり、中細の細い毛糸を細い針で編んだり、今から思うと良く編んだなあと思うものが沢山あります。

初心者の時は、それが難しいという事すら分からないものです。
だからかえって何の先入観もなく次々とトライしてゆけたのだと思います。

*

編物の楽しみは、それだけではありませんでした。

自分で編んだセーターを着ていくと、それを見た人は、驚いて誰もが褒めてくれるのです。

手編みをしない人は、どうしてこんなものが編めるのだろう、と私を尊敬の目で見てくれたりします。
褒められると嬉しいものです。

自分の手が、奇跡を生み出すゴッドハンドのように思えて、単に好きな事をしているだけのことが、実用にもつながるなんて、一挙両得のように思えました。

 

 

なぜ編物が好きだったのかと考えました。

 

確かにすぐに結果が出ることではなくて、長く時間がかかり、面倒でもあります。
とても効率のいい衣類の手に入れ方ではないとは、思います。

だけど、手間がかかり、時間がかかる
それも手編みの特徴で、それこそが、手編みのいい所でもあるのです。

欲しいものがすぐに欲しい、
手編みはそういう次元のものではないです。

 

まず、デザインをどうしようかというところから始まる。
本を見て、気に入ったデザインがあるとその本を買い、それから毛糸選びです。

自分の編みたいデザインのものに合う毛糸…
様々な毛糸の中から、迷いながらあれこれ選びます。

毛糸は本当にいろいろな種類のものがあり、見ているだけで楽しいものです。
私は、編物が好きになって、次には毛糸がとても好きになりました。

買わなくても見ているだけで楽しいから、毛糸屋さんに長い時間逗留して、あれこれ毛糸を見て回っていました。
毛糸屋さんには迷惑な客でした。
買ったとしてもバーゲンの、安い毛糸ばかりだったのだから。

***

 

毛糸は、大体玉巻き1つが50グラムで、セーターを1着編むには、女性のM寸のメリヤス編みで10玉くらいいる勘定です。

欲しい毛糸が見つかり、買って帰ってその毛糸たちと対面したらそれだけで嬉しくなって来ます。

新しい10玉の毛糸…

すごく量が多いので、編み通せるか心配になります。
でもせっかくお金を出して10個も買ったのだから、編まないと…
とファイトも涌きます。

その毛糸たちが編むに連れて一玉一玉無くなっていきます。
そしてそれが、少しずつセーターの形に姿を変えていくのです。
少しずつ、毛糸が減っていくのを見るのは楽しいものです。

 

編物は、すぐに完成できません。
ベテランの人なら、セーターを1着編むのに1、2週間で編み上げてしまう人もいるでしょうが、全くの初心者なら3ヶ月、普通に編む人でも1ヶ月くらいかかると思います。

私たちのように仕事を持っていて、1日中ずっと編んでいられない者は、1日で編む時間も限られます。
せいぜい、1日に2時間がいいところでしょうか
だからどんなに急いでも、1ヶ月くらいはかかる。
それくらいはかかるものだと納得してからでないと編めません。

すぐに結果が欲しい人や、急ぎのせっかちの人には向いていません。
(私は、まさにそういう人なのですが、あみものの時はそういう風に腹を括り、自分に言い聞かせるのです)

 

その1ヶ月の間、来る日も来る日も毛糸を持ち、毛糸と対話しながら編んでいくのです。

編みあがりはどうなるのかな
ちゃんと、構想通りのものになるかな

編み上がりを期待しながら、胸をわくわくさせながら、編んでいきます。
まさに毛糸と長い時間付き合い、語り合いながら編むのです。
そうでなければ作品は出来あがりません。

 

その編む時間は楽しいです。

思い起こしてみると、編んでいると心が落ち着き、編みながらいろいろなことを考えていました。

手は動いているが、脳味噌は違うことを考えます。
それは、私のように家にいるのが好きな、考え事をするのが好きな人間にとても合った時間の過ごし方だったような気がします。

時はどんどん過ぎてゆくけれど、無駄に過ごしているのではない
やがて、結果が出てそれは私の体を包むのです。

そういう、充実した時間だったように思います。

***

 

完成しなかった作品も多くありました。

後ろ身ごろだけ編んで、それで終わってしまったもの。
毛糸だけ買うには買ったけど、編まずにほったらかしになっているもの

スタイルブックを見て、いいなと思い、構想だけで終わってしまったもの
それらは数知れないです。

この間、押入れの奥の奥に手編みのテキストが沢山残っていたのを引っ張り出して来ました。

テキストの中に好きなデザインや、編みたいものがあれば、その本を即買っていたのです。
本を買い、そして好きなデザインを見てこれを絶対編もう、と思いながら、手が追いつかず、編むに至らなかった作品が山のようにあるのでした。

本を見て、少し切なくなって来ました。…

 

やはり編むには時間と根気、やる気と勢いがいるのです。

思うに、編むのに1番大切なのは、いきおいです。
いきおいがあれば一気に編めてしまうのです。

逆に勢いがなければ精神にゆるみが出て、完成までこぎつけられないのです。

編物は集中力…、そして編むぞ、という気持が何より大切なのです。

***

 

プルオーバーは、まず後ろ身ごろから編み始めて行きます。
そして前身ごろ、さらに袖二つ…
という具合に、面積の多い順に編んでいくのです。

 

後ろ身ごろは割りとすぐに編めます。
その時は勢いがあるし、意欲もあります。

私が思うに、1番大変なのが、後ろが編めて、前身ごろに行く時です。

また一からやり始めなければいけないのか…
という、完成までにはまだ遠い、という絶望感のただようのが、この時なのです。

袖は、身ごろと形が違うため新鮮な感じがして、また意欲が涌くのですが、袖の二つ目を編む時に、また同じことを最初からしないといけないのか…
という絶望感が再び襲います。

この二つの難関さえクリアすれば、プルオーバーは確実に編めるのですが…

 

さてそれでも何とか編み終えることが出来たら、パーツをつないで着ることの出来る作品に仕上げます。

ゴム編止めとか、とじ、はぎなど面倒なことがまだまだあります。
大抵の人はゴム編止めは手間がかかるからきらいです。

でも私は好きなんです。
こういう、ちまちまと手をかけることが楽しいのです。
ゴム編止めさえ、ゴム編止めが出来たら一人前ね…
なんて思いながら針を動かすのが好きだったのです。

わき閉じも時間がかかります。
機械のように早くは行きません。
一針一針、閉じては糸を引いて行かなければなりません。

でも、それさえ好きだった。
ここまで来れば完成まであと1歩です。
その楽しみで、わくわくしながら針を進めるのです。

袖を身ごろに閉じつけるのなんか、嬉しくてしようがなかった。
やり直すのはいやだから、いつも一発勝負。
袖さえついたら、もう恰好になっています。
もうセーターがそこに現れるのです。
こんな楽しいことはありません。

唯一、きらいだったのがえりの拾い目です。

襟をゴム編みしていくのに、前後から一気に新たに拾い目して、ゴム編みを編んでいくのです。
それにはきれいに拾わなければ、きれいな衿ぐりが出来ません。
せっかく丹精をこめて編んで来たのに、最後の仕上げがきれいでなかったら、全体もきれいに仕上りません。
最後の重要なポイントが拾い目なのです。

これが上手く拾えない。
これは一発勝負では出来ないのです。

何度も何度もやり直し。
我流だから、ほんとに自分の拾っている所が正しいのかどうか分からない。
そんな不安も持ちながら何度もやり直していました。

けれど、そうして苦労した作品も、襟のゴム編み止めが終わると、まさに完成です。
その喜びで、根性を出して完成にこぎつけるのです。

***

 

スチームアイロンがないので、普通のアイロンに濡れたタオルを置き、アイロンをずらさずに押しつけます。
丁寧に全体にアイロンを当てて…

それでセーターが完成です。

 

早速手を通してみます。

毛糸を買った時から、スタイルブックを見た時から、この時を夢想して、毛糸と共に時間を過ごして来たのです。
その喜びは、他では味わえないものです。

一針一針編み進み、丁寧に編み上げた作品は、私と毛糸が共に過ごした時間が、そこに詰まっています。
毛糸と対話し、毛糸と暮らしながら過ごして来た時間です。
編み上がった作品は、大切な宝物になります。
たとえいびつでも、袖つけが多少おかしくても、毛糸と過ごした楽しい時に包まれて、とても幸福な気持になります。

ただ単に欲しくて、店から買って来たブラウスやスカートや、
そんなものとはまったく違う価値が、手編みにはあるのです。

編んでいる間は楽しく、そして毛糸と過ごした時間は、編み上げたあとも私を幸福にしてくれるのです。

毛糸には、暖かさと幸福が詰まっているのです。

 

なぜ、あみものをしなくなったのだろう
そう考えます。

お人形に夢中になり、コンピューターに夢中になり…
きっと時間がなくなったからでしょう。

ゆったりと流れる時間…
それを失ったからでしょうか…

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