あれやこれや
(有名な作家について)

2001/1/15

 

だいぶ前になるけれども、仕事の休み時間中に「笑っていいとも」を見ていたら、「ご先祖様は有名人」というコーナーが出来ていて、出場して来た素人さんたちの、有名なご先祖様が誰かを当てるというクイズのコーナーだった。

*現在は「ご先祖さまはすごい人」とかいうタイトルに変わっていると思う。
これまで平賀源内や、松尾芭蕉、伊能忠敬のご子孫などが登場していて、私の好きなコーナーなのだ。

私が見たのはそれの第一回目で、まず素人の老若の女性が3人出て来た。
そして「いいとも」のレギュラー陣が、その先祖が誰かを当てるのである。

ご先祖様から、彼女らに至る家計図が掲げられていて、そこに、(クイズの主のご先祖の)長女の名前が「筆子」と書いてある。
これで私は、ピンと来た。

また次女に「愛子」とある。
これが、決定的だった。

ご先祖の夫人の名前を見てみた。
「鏡子」である。

もう、間違いようがない。
人物の悪妻として有名である。

さて、この有名なご先祖が誰か、お分かりになっただろうか。

さらにヒントとして、その人物の息子の名は、「純一」「伸六」である。

これを先に見ていたら、更に早く分かっただろう。

 

ご先祖の名前は、夏目漱石である。

ワードで一発変換するほど、有名な人物である。

「いいとも」のレギュラー陣は、(家計図だけを見て)誰一人として答えを当てることは出来なかったが、確かに、最近の人は漱石を、教科書で「こころ」をいやいや読まされたくらいしか、読んだことがないかもしれない。
だから、もしかして、夫人や息子の名前だけを見て、漱石と分かる人の方が少ないのだろう。

しかし私ら漱石ファンの間では、鏡子夫人は有名であり、口述筆記で「漱石の思い出」という本を出しているし、また息子伸六も父の思い出を本にしている。*
こういうことは、「初歩的な事」であり、常識なのである。

*夏目鏡子が悪妻だと言うのは、漱石の熱烈な弟子達が、自分の師匠を敬愛するあまり、彼を苦しめた夫人を悪し様に言った、という経緯があるので、今日では鏡子は、そんなに悪妻ではなかった、漱石の神経病が、鏡子が悪いように言っていたのであって、彼女自身はそんなにひどい女ではなかった、という学説(笑)が有力である。

筆子と愛子は、「我輩は猫」の中で、とん子とすん子として登場しているのも、ファンの間では、周知の事実である。

筆子はまた、漱石の弟子、松岡譲と久米正雄が取り合って松岡譲の方が彼女をゲットしたということも、ディープな漱石ファンなら承知の事実であろう。

しかしそう言う私も、漱石の本を全部読んだわけではない。
私にとって漱石のパーセンテージは、「猫」が約80%を占める。

あとの10%は書簡集であり、5%は「ニ百十日」「夢十夜」「文鳥」
「思ひ出す事など」「永日小品」…等の小品やエッセイ、そしてその残りがその他の文学作品である。
えらそうに言っているが、私は「明暗」すら読んだ事がないのである。

そんな私が、漱石ファンだと名乗ることは、本来到底出来ないことなのであるが、それでもあえて、私はファンだと言いたい。
それほど「猫」が好きだからである。

どれほど好きかというと、「猫」を読み解くキーワードとして、

トチメンボー、オタンチン・パレオロガス、巨人引力、…などは当然として、
漱石がジャムを舐めすぎてタカジアスターゼを常用していた事、敷島、アンドレア・デル・サルト、月並、パナマ帽、バイオリン、俳劇、首くくりの力学…といった名詞ががたちどころに浮かんで来るし、

人物として迷亭、水島寒月、八木独仙、越知東風、などは常識として、主人公の珍野苦沙弥の名は案外知らない人が多いかもしれない。

よく、無人島に、本を一冊だけ持っていく事が出来るなら、何を持っていくか、という設問がなされることがあるが、
その答えとして、スタンダードなのは「電話帳」だったり、「辞書」だったり、或いは旅好きの人なら「時刻表」という風な答えをするだろう。

だが私の場合は躊躇うことなく「猫」だ。

長時間「猫」ばかり読めば、確かに飽きてくる事があるかもしれない。
だが、今の所(と言っても随分長い間読んでいないが)、この本は私にとって汲めども尽きない泉のごとくに、私の心を桃源郷へと誘ってくれる書物なのだ。

なぜか。
それは、リズムである。

文体のリズム。
漱石の文章にはえもいわれぬ文章のリズムがある。

有名な「草枕」の冒頭…、

「知に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」

このたたみかけるようなセンテンスのリズムが、漱石の文章の命だ。

「猫」にもこのリズムが全編に溢れており、しかも諧謔、洒脱で皮肉な人生観、文明観が、一見落語のような他愛のない小説の中に、実は深く確かに根付いている事、それが読んでいて心地いい。
明治の知識人の粋が息づいている。
それが文章のリズムとあいまって、軽妙だが深い、*頗る愉快・痛快な世界を形作っているのだと思う。

ちなみに「頗る」(すこぶる)という語句は、漱石のお気に入りの語句だった。

さて、「猫」が80%として、あと10%は書簡集だと先述した。

何故かというと、漱石は、また手紙の名人だったからだ。

明治だから、まだ電話は一般的ではない。
それでも漱石家には電話があった。
しかし漱石はそれよりも手紙が好きだった。

筆まめだった、とどの評伝も言っている。
確かにマメであることは、岩波の漱石全集で、書簡集が4巻にも及ぶ事で分かるだろう。

この書簡が絶品であり、人によっては、漱石の最高傑作は書簡集だ、という人もいるくらいである。

私だって全部読んでいるわけではないが、書簡で最高作とされているのは、弟子寺田寅彦に当てたはがきの、すき焼きパーティーの案内である。

曰く、
"手伝うなら2時、食うだけなら4時に来い"

という内容のもの。

ユーモラスだが、漱石としては、存外真面目に言っていたのかもしれない。

漱石の手紙は、飾りがない。
親しい人には「前略」だの、「早々」だのの、決まりごとは一切書かない。
ほんとうにぶっきらぼうに用件だけ、言うべき事だけを言う。
それが、単刀直入で、気持ちがいいのだ。

ところで、漱石は、鏡子夫人を残して単身ロンドンに留学していた事は、漱石ファンならずとも有名だが、ロンドンから夫人にも、手紙を沢山出している。

鏡子夫人が忙しさにかまけてなかなか漱石に手紙を書かないので、それを怒った漱石が、夫人をなじる手紙を書いている。

それに、「それやこれや」とは何の言い訳やら…

という一説がある。

其許の手紙にはそれやこれやにて音信を忘れたり云々とあれど「それやこれや」とは何の言い訳やら頓と合点不参候。

というのである(笑)。

この拙項のタイトルはこれをもとにしたつもりだったのだが、「あれやこれや」という風に間違って憶えていたのだった。
お粗末さまである。

蛇足として、漱石の書物は、旧かな・旧漢字で読むのが最も望ましい。
もちろん、旧漢字ではなんと読むのか、皆目分からないだろう。
だが、分からないのを読んでいくうちにだんだんと、その漢字の読みの見当がついて来る。
本の読み方というのは、元来そう言う風にして読むのが正しいのだ。


参考文献  別冊太陽1980 夏目漱石

        漱石書簡集 岩波文庫1993 三好行雄編

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