京都のさんづけ

 

04/5/22(5/25追記)

京都では無闇矢鱈なものにさんづけをするというお話である。

他の地方で暮らしたことがない世間知らずの私には、余所でそのような習慣があるのかないのか、見当がつかないのだが、京都では、さんづけは普通に行なわれている。

場所にさんをつける。

場所というか、浄土真宗系、親鸞上人関係にさんづけする。
東本願寺、西本願寺をそれぞれお東さん、お西さんと、「お」までつけて尊ぶ。

墓所の大谷も、呼び捨てにしない。
東大谷さん、西大谷さんと丁寧である。*

菅原道真関係も、さんをつける。
北野天満宮を北野さん、天神さんと呼ぶ(ウチの近所に天神さんがあり、そこを天神さんと呼んでいる**)。
ぞんざいに扱ったら道真公に祟られるからだろうか。

*ところで私は東大谷と西大谷の区別がつかなくて困っていた。
東にあるから東大谷、西にあるから西大谷というのではないのか。
東大谷は、京都の東にあるからまあよいとしても、西大谷は西にはなく、東大谷のずっと南にあるのだ。なんてややこしい。
これは、実は東大谷は「お東さん」の管轄で、西大谷は「お西さん」の墓所であるからこう呼ぶのだ。
つい今しがたまで理解出来ない言葉であった。

**正式の名前は文子天満宮とかだったと思う。天満宮というほどすごいところではなく、ほんのわずかな地所なのだが。小さい頃から天神さんと呼びなれているので、正式名称を長く知らなかった。
ちなみにここは、道真公を祀った最初の場所だそうで、梅原猛が取材に来たことがある。

 

そういえば伏見稲荷も、お稲荷さんだった。
愛宕山を愛宕さん…これは山をさんと呼んでいるだけか。

八坂神社は八坂さんと言うかもしれない。

しかし清水寺を清水さんとは、あまり言わない。
金閣寺は金閣寺で(まあ、寺として怪しいからかも)、東寺も東寺だ。東寺さんとかお東寺さんなどとは言わない。*註1
寺はさんをつけないのだろうか。

この区別は何だろう。
金閣寺や清水寺は観光用で、京都人はあまり参らないからか。

親しみの度合いというのはあるだろう。
近くの寺社ほどさんづけをするということがある。

 

場所だけでない。うちの母は天体にさんをつける。

月、星、太陽、すべてさんをつける。
お月さん、お星さん、お日さん。
これはどの地方でもさんをつけるのだろうか。

母は、「お月さんが出たはった」と、月に対して敬語まで使う。ものすごい敬いぶりである。

京都の人間は、このようにものごとをぞんざいに扱わない。
天体に対してさえ、失礼のないように敬語で迎え、丁寧だ。

なぜ天体を敬うのかは不明だ。
多分、天体を人格化しているのだろう。
ギリシャ神話では、太陽はアポロンで月はアルテミスと、天体は神様だ。神様だから敬うのかもしれない。

 

そう言えば、おやつ関係でさんをつけるのは飴で、これは全国どこでもだろうけれど、あめさんというが、おだんごやおまんじゅうにはさんをつけないのはなぜだろうか。「お」をつけるからそれで勘弁してくれということだろうか。

いっとう面白いのは、人間の排泄物にさんをつけることだ。
う○こさんと言う。

尊いものと穢れたものにともにさんをつけて等価とする意思なのだろうか。

***

さんづけといえば、全国的に、同業者に対してさんづけするのは一般化しているようだ。

テレビ局の人間なら、TBSさんは…とか、NHKさんは…などと言っているように思う。
新聞社なら朝日さんはとか、毎日さんはとか。
デパートでは高島屋さんは、大丸さんは。
高島屋さんはこうこうですがウチではこうです、というような会話があると思う。

同業者でないものが、さんづけはあまりしない。親しみの度合いが違うのだろう。

いや、同業者のよしみとか、親しみというよりも、さんをつけてへりくだっているように見えながら、その実、本当はちょっぴり相手に対して嫌味を言っている、というような微妙なニュアンスがこれら同業者同士のさんづけに感じられるのだが、違うだろうか。

これらのさんづけは、京都のそれとは違うような気がする。確かではないが。


*註1) 04/5/25追記

東寺を、東寺さんとは言わないが、京都人は弘法さんと言うのだ。
これは、25日に立つ市を呼ぶ呼び方でもあって、「明日は弘法さんやな」という会話が成り立つ。
明日は弘法であるという、文法としては殆ど意味をなさない語法で語られるので、京都弁はむつかしいことであることよ。

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