オクターブの話

02/10/23

前説

私は音域がアルトであり、女としてはかなり低い声で、しかも音域が驚くほど狭い。
まともに歌える範囲は一オクターブもないのではないかと思う。
ボキャブラリーの数くらいの貧弱さである。
しかし普段会話をする時には一オクターブもの音域を駆使するわけではないから、不自由はしていない。

ただポップス界では通常は裏声を使わないから狭い音域と言われてもぐうの音も出ない。
ポップス歌手にならなくて良かった。
ただし裏声を使えばかなり高い音まで出る。2オクターブは出る。低い声ならどこまでも出るからである。
オペラ歌手ならば通用するはずだ。
オペラ歌手になっておけば良かった。

それはともかく、数年前、某マライヤ・キャリーというアメリカの歌手が、7オクターブ出るという宣伝文句で売り出された。

この時、関西人のすべてが、
「お前はこおろぎか。お前は超音波か」
という突っ込みを某女性歌手に入れたはずだと私は推測する。

これはキャッチコピーを考えた宣伝会社に責任があるのであって、某女性歌手には責任はないかもしれない。
それにしても7オクターブはあまりにも荒唐無稽である。あまりにも人を馬鹿にしている。

7色の声というキャッチは聞いたことはあるが、7オクターブというのは尋常ではない。
人間ならば化け物である。
まあ大かた、7色の声から連想して宣伝係が勝手に安易に考えついたキャッチなのであろうが、嘘はいけない。
誇大宣伝である。
PL法に違反する。
食品ならば全品回収処分である。
某歌手のCDを店頭から回収されてもおかしくない。
いくら某が高い声が出るとはいえ、昆虫ではないのである。

私は某の歌を殆ど聞いたことがないので、果して7オクターブ出ていたのかどうか、それは確めようがない。
テレビかラジオでワンフレーズ聞いたような気もするが、その時に聞いた某の高音は、悲鳴と呼んでも差し支えないくらいの音であった。

あるいは、彼女は本当に7オクターブ出るのかもしれない。
ただ、人間にはそこまでの音を聞き取る能力が、現在のところない。
だから彼女は実は7オクターブ出しているのだが、普通の人間には聞こえていないという可能性もないではない。

たかが宣伝文句にあれこれ言うなと言われるかもしれないが、私は捨て置けない。
マライヤ・キャリーは嘘つきだ、というイメージが定着してしまった。
これは歌手にとってもマイナスであろう。

しかし宣伝係がシャレで7オクターブ出ると言っているのはまだ罪は軽い。

マライヤ・キャリーが来日した時、音楽評論家の湯川れい子が何と「7オクターブ出るという彼女の声を楽しみにしている」
などという記事を新聞に真面目くさって書いているのに驚いた。

音楽評論家であるはずの人物が、まことしやかに「7オクターブ出る」など書いている。
疑問さえ抱いていない書きぶりである。
どうやら7オクターブを信じているらしいのだ。
仮にも音楽評論家という肩書きをつけているならば、ちゃんと確めてから書け。
7オクターブがどういうことか、ちゃんと認識してから書け。
と私は憤慨した。
ポップス界はこんなでたらめが横行しているのか。

***

人間は、果してどのくらいの声が出るのか。
どのくらいのオクターブが出るのか。

大体、高い声が出る人間は音域が広い、という認識がポップス界にあるようだ。
高い声が出れば、オクターブが沢山出ると思われているらしい。
だが、高い声の人間が高い声しか出ないのならば、音域は狭いと言わなければならないのだ。
高い声だけがよく出るのではなく、高い声から低い声まで万遍なく出るのが音域が広い人間、と言うべきだろう。即ちオクターブが広いと言ってしかるべきだ。
その辺に誤解があるような気がしてならない。

Intermission

 

つづき

人間は、どのくらいのオクターブが出るのか。

かつてジュリー・アンドリュースは4オクターブ出ると言われていた。
ブロードウェイの「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイフェアレディ」などで主演し、歌の非常に上手な歌手であったし、音域も確かに広かった。

バロック時代の名カストラート、ファリネッリは3オクターブ半出たという。
この辺になると、信憑性が出てくる。
それくらいなら出たかもしれないと思う。

カウンターテナーのヨッヘン・コワルスキーは、2オクターブ(半)だと言っていた。
正直である。

少し高音の出る歌手は、大がい3オクターブ出ると宣言する。
高音で売っている歌手は、判を押したように誰でも3オクターブと言う。
どうやら高音が出れば3オクターブだと思っているらしい。
元X-Japanの高音シンガーToshiも3オクターブだと言っていた。

 

オペラ歌手は、何となくオクターブが広いと思われているのではないか。

しかし、オペラ歌手はそれぞれ歌う範囲が決まっていて、ソプラノならソプラノの音域しか歌わない。
だからソプラノの音域である2オクターブくらいしか声帯を使わないから、本来は歌えるかもしれないが、あまり広い音域は使わないのだ。

テノールで最も高い音はハイCと言われ、C音の1オクターブ高い音だ。
これが出るテノールはもてはやされ、珍重される。

Cというのが、ドレミのどの音に相当するかということは、聞かないでいただきたい。

かつて全盛時代のルチアーノ・パヴァロッティはこのハイCがふんだんに出てくる「連隊の娘」というオペラのアリアを歌って喝采を浴び、キング・オブ・ハイCの名を欲しいままにした。

Toshiは、私の聞いた範囲では、このハイCのもう一つ上の音を地声で出していた。
確かに非常に素晴らしい高音であった。

 

しかし、ポップス界でオクターブを数える時、どうも数え方が違うのではないかという気がするのだ。

オクターブという時、ドの音から上のドまでの8音を1オクターブと言う。
これは、学校で習う、常識の範囲だろう。
オクタというのは、ラテン語で8と言う意味だ。

しかし、ポップス界ではドからシまでを1オクターブと数えているらしいのだ。
だから、次のドを出すことが出来ると、それで2オクターブと数えてしまう。
上の上のドが出ると、本当なら2オクターブなのに3オクターブと言ってしまう。

であるから、ポップス界の人が3オクターブなどと言う時、実は1オクターブさばを読んでいるのである。
本来なら2オクターブと数えなくてはならないと思うのだが。

ポップス界では、高音の出る歌い手ならば、音域3オクターブと答えろと言われているのかもしれない。
しかし大きな誤りである。

 

ダイアナ・ロスの「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」は私の愛唱歌である。

この歌は音域がとても広く、歌うのは大変だとされている。使っているのは2オクターブ近くである。
私が歌えるのは、低い音が出るからである。

ポップスでは、2オクターブ使う歌で「広い音域が必要だ」と言われるのである。
中森明菜などはとても歌えないのではないか。

逆に言えば、中森明菜の作曲家は、狭い音域で曲を作らねばならなかったためさぞや苦労しただろう。
山口百恵も同様である。

ヘンデルの「Dopo Notte」というアリアは、2オクターブを駆使して歌う、と解説されている。

2オクターブ使う歌は、音域が広いと認識されているのである。

であるから、2オクターブというのは、広い音域と言って差し支えないと思う。

3オクターブ出るなどと見栄を張らないで、2オクターブを駆使して歌う歌を歌っていればいいのである。
間違った言い方はしないでいただきたい。

 

ジュリー・アンドリュースの4オクターブであるが、これも大きな間違いであることが分かった。
音域が広いとは言ってもそこまでは出ないのだ。
ファリネッリの音域は本当だと思う。カストラートなのだから、きっと3オクターブ以上出たと私は思っている。


文中、「歌える」という言葉は、音が出る、あるいは声が出るという意味で使ったのであり、上手く歌える、という意味ではないので念のため。

「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」は正確に言うと使っているのは1オクターブ半。

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