Part2 顔見世

99/12

 

鴨川にユリカモメが飛来する頃になると、京都は南座の顔見世興業が話題になり始める。

日頃は関東に行っている上方の役者さんたちも、師走には京都に帰ってきて、南座の舞台をつとめてくれるのだ。

去年は、仁左衛門さまの襲名披露公演としておおいに盛り上がった。今年も期待したいものだが、できれば師走だけでなく、常から南座の歌舞伎を堪能したいものだ。

かく言う私も、昔は南座の顔見世など、夢のまた夢というか、雲の上の遠い存在でしかなかった。

チケットを取るのは至難の技といわれ、素人にはほとんど不可能とさえ思われている。また、師走のただでさえ忙しくあわただしい時期に、そんなに優雅に歌舞伎鑑賞など、ばちが当たるという民間信仰が、庶民には浸透している。

私もそれを信じていたし、また、間違ってもそのような優雅なひとときを持てる身分ではないと思っていた。顔見世に行く人とは身分が違う、と思っていた。顔見世に行く人などは、京都でも上流階級の、一部の恵まれた人々のみであると信じていたのである。けなげな庶民感情である。

それがひょんな事がきっかけでもぐり込む事が出来るようになり、それ以来味をしめて、毎年行くようになった。

最初に顔見世に行ったときには、大変なカルチャーショックがあった。

私は、歌舞伎の事はほとんど知らない。せりふだって、その時半分も理解できただろうか。バックミュージックの三味線だって正式には何と言うのか、何も知らない。ストーリーも、約束事も、ほとんど何も知らないで見に行った。

私が行きたいと思ったわけではなく、ただ母の付き添いで見に行ったのだ。

それなのに、南座から出てきた時は、まるでもう夢中になっていた。

一瞬にして(正確には4時間にして)私は歌舞伎の魔力に取りつかれていたのである。

音楽は絶対もう、三味線のあのべんべんという音でなくっちゃ。そして、三味に合わせてうたっている、何というのかしらないが、あのうたう人、そのすごい熱演。そのベテランの技に酔いしれた。

頭の中に、音が鳴り響いているのである。

そして絢爛豪華な舞台装置。しばし、せち辛い世の中を忘れてしまうこの世の別世界。よく見ればぺらぺらな書割だったりするのだが、それがリアリズムを超えた、独特の様式美の世界を構築している。

さらに名だたる役者陣の競演。

主役を務めるのは私が名を知らなくとも、梨園の有名人ばかり。歌舞伎は、この演目のこの役を誰が演じ、誰がその相手役を務めるか、それを楽しみのひとつとする。この役はこの人の18番、というお約束もある。ドミンゴでオセロ、のようなものである。

何も知らないながら、そういうことがもう、あうんの呼吸で分かってしまう、そんな魔空間が、あの南座には、あった。

そういうわけで、私はすっかりそれ以来、毎年わくわくして顔見世を楽しみにするようになったのだった。

南座で猿之助さんの宙のりも見た。吉右衛門さんに無理やり握手もしてもらった。片岡家の先代仁左衛門さんと息子3兄弟の最後の共演も見た。助六も、勧進帳も、俊寛も、鳴神も、みな南座の顔見世で見た。

地方の狭い芝居小屋のような南座だが、考えてみれば歌舞伎は京が発祥地だったか。その京に古くからある南座は、歴史ある小屋なのだ。地方、などと侮ってはいけないのだった。

余談だけれども、バービーショーが開かれたのもここだ。(私は仕事があったため、見に行っていない)

ただひとつ残念なのは、私が南座で歌舞伎を見るようになってから、まだ一度も玉三郎さんが出演なさったことがないということだ。南座で玉三郎を見たい、これが私の最後の(?)望みだ。そうでなければ安心して冥土へは行けないだろう(私ゃばあさんか)。


追記

顔見世の初日を見てきた。

初日は、初めてである。まだ芝居がものになっていないから、初日はよくとちる、とか言われている。チケットを取った時も、えー、初日かーと少し不安があった。でも、私が見た限り、不具合は少しもなく、役者さんは良く役をこなし、立派なものだった。

それより初日はあんなに舞妓さんが多いのかと思った。桝席の両サイドに舞妓さんが陣取っていた。実に京都らしい。実に顔見世らしい。よいぞ、よいぞ。これでこそ京都の風物詩、顔見世だわいとひとり悦にいる私。

また、テレビカメラ等が数台セットされ舞台を撮っていた。さもあらん、今日から顔見世が始まったとテレビニュースで放送されるのだ。その日の夕刊(ローカル)にははや、カラー写真入りで第一面にでかでかと顔見世始まる、という記事。

顔見世は、ニュースネタなのだ。いまさら思い知った私。ああ、京の師走の大イベントに参加できて幸せな私。

秀太郎さん、きれいでした。菊之助さんも意外なほどきれいでした。私の好きな時蔵さんを食うほど(?)。 仁左衛門さん、吉右衛門さん、雁冶郎さん、みな良かった、字が難しくてどう変換するのか分からないが、雁治郎さんの息子さん、特に良かった。

ただ、観客のおばさんたちの腰の重いこと。通路から遠い席に座ったら、南座の場合、かなり不幸である。

通路側に座る人は普通、前を通る人に気を使い、通れるように身を横向けたりしてくれるものだろう。若い人は、そういう風な気遣いはちゃんとしてくれる。ところがおばさんは、そんな他人の事などお構いなしである。5時間の間一度も席から立たず、座席に貼りついている。お尻が痛くないかと私は問いたい。

それだけが不満な今年の顔見世であったことよ。

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