京の東西南北

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京都の町へやって来た他府県の人間が、地元民に道を訪ねると、地元民はきっと、

「そこを上がって、下がって、東へ行って西へ入ってかみへ行くのどす」

と訳のわからないことを言って、観光に来た善男善女を煙に巻くだろう。

だが、観光客はそこで怒ってはならない。

京都人は決してあなたをからかったり、試したり、馬鹿にしているのではない。

それはむしろ親切に、懇切丁寧に、相手が分かるまで説明し尽くそうという、必死の京都人の応対なのだ。

だが、観光客は一瞬きょとんとし、次に首をかしげる。

京都人は自分の説明がまだ不充分だったかと、さらに、

「北へ上がるのどすだす。ほして次の通りを東行きまっしゃろ」

とむきになる。

こういう時、観光客は、決して分からない、という表情をしてはならない。

たとえ訳が分からなくても、それを表情に出してはならない。

その時は自分を捨て、分かっても分からなくてもにっこりと笑い、

「よく分かりました。ご親切に、どうもありがとう」

とそつなく述べ、すみやかにその場から去らなくてはならない。たとえ、去って行く方向が、京都人に指示された方向とは逆であったとしても。

このように、京都人は気むづかしい。

という事を言いたいのではなく、京都人にとって、方角、方向、場所を表わす言葉は、古来より独自のものがある、ということを私は言いたいのである。

それは東西南北、上、下、という符丁を使う。

京都は1200年の昔にその都が建立されたそのときより、また大公秀吉に、今に見られる区割りをなされたときより、その市街は碁盤の目状態なのであるが、そのような事実は、京都に生まれた京都人でさえ、学校で教わったくらいで、普段の私生活において意識される事はあるまい。

確かに子供や、若人においては意識される事はないだろう。

だが長く京都に住んでいると、この碁盤の目は生活の中に深く根ざし、無意識の中に入りこみ、京都人の血となり肉となってゆく。

京都で、若い衆に道を聞いたら、

「それはバルの向こうちゃう」とか、

「ビブレのとなりやん」

などと、正しい日本語で教えてくれるだろう。

だが、若人も30代となり、40に近くなってくると、

「バルの北」とか、

「ビブレの東側」

という言い方になって来るのだ。必ず。

ことほどさように、京都の人間にとって、東西南北は血肉化している。

東といえば東山のある方向。人によっては清水寺のある方向という認識もあるだろう。

西といえば嵯峨・嵐山の方向、

南は伏見、北は北山。

京都人の方向感覚はすべてこの4つしかない。

であるからして、他府県からお出でになる観光客の方々はどうかこの京都人の習性をよくわきまえた上で、来京してもらいたい。

また、京都人に道を尋ねる時は、以上を踏まえた上で、「東、西、かみ、しも」などと言われてもうろたえず、笑って受け流す度量を、それぞれ身につけたのち、来ていただきたいものだ。

以上

註) 解説しよう。「上がる」は決して坂を上がることではない。北へ行くことだ。

「下がる」は、階段を降りることではない。南へ行くことだ。

長く京に住む通人は、「上がる」を「かみへ行く」と言い、「下がる」を「しもへ行く」または「しもへ下がる」と言うのだ。

このように古めかしく、古式ゆかしい京都の町で、なぜかバービーフェアが開かれ、世界から注目される。

今年の40周年記念イベントは、なぜ京都なのだろう、と京都在住の私の疑問が横溢したままの開催であった。

尤も、しろうとの私ごときには感知しないところの専門家によって、事は成されていたのであろう。

そんな事より、夏から京都駅に「手塚治虫ワールド」が登場したのが、何よりではなかろうか。

京都駅前の広場にはアトムとレオのフィギュアが空を飛んでいるのだ。それを見るたび私の顔はゆるんでしまう。

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