鬼門
00/4/7
久しぶりに京都について書いてみようと思った。
今はもう、流行も少し過ぎたかもしれないのだが、ひと頃、京都は魔界だということになっていた。
京都に長く住んでいたが、まさか京の町が魔界だったとは、それまで気づきもしなかった。私が知らない間に、京都は魔界になっていたのか。
知らない間に陰陽道が盛んになっていたのか。
いったいどこにそういうものがあるのか。どこへ行けば、巡り合えるのか。町を歩いても、厚底のお姉さんはいるが、安倍晴明がいたことはない。
陰陽道というまじないが、京のどこで盛んであるのか、見当もつかない。
京都にいながら、そういうものに巡り合ったことがない。
どうしたことだろう。私は運が悪いのか。
地元にいながら、何一つ魔界について知らなかったとは、何という失態であろう。
私はだいぶ、流行に遅れていたらしい。***
しかし、どこかでそれはなされているのだろう。こんなに流行っていたのだから。
だが、晴明ファンがたとえ京都に来たとしても、それらしい雰囲気が味わえるかどうかは、果たして疑問だ。
別にこれと言って変哲のない町であり、怪しい気配は感じられぬ。
むしろ、安倍晴明よりも、おじゃる丸の方が、歩いていて出会える可能性が高い。まったく京都の町は、全体がおじゃる丸と考えた方が良いように思う。
まったりして急がず。
空気は淀み、しっとりして落ちついており、決して羽目を外さない。***
それはともかく、鬼門自体は、町のあちこちでよく見かける。
あまりよく見かけるので、それが取り立てて騒ぐほどのものという認識がないくらいだ。他の町ではどうなのか知らないので何とも言えないが、とにかく京都で鬼門というのは、これは歩いていて普通にぶつかる光景である。
建物の北東にあたる部分の隅を切ってしまうことが鬼門よけとされるが、南西の方角も裏鬼門とされ、鬼門を切ることがあるという。
そんなに鬼門を切っていたら、建物をへつってばかりで建物が小さくなってしまい、中に住めないのではないか、と思ってしまう。
それほど、鬼門は普及しているが、実際町を歩いて見ると、きちんと切ってある建物と、そうでないものがあることに気づく。
鬼門だから必ずそこに切ってあるとは限らないのだ。これは、その建物の持ち主の信仰というか、風説を信じる度合いによるのだろう。
昔ながらに鬼門を信ずる人は鬼門を切るし、そうでない人もいるのだ。新しく家やビルを建てる時、今は最早それを信じてわざわざ鬼門を切る人は少なくなっているかもしれない。
ただ、とても近代的な、新しいビルの北東が切ってあったりすると、少しにやりとする。
なぜか、近代的なビルと鬼門という取り合わせがミスマッチで、なかなかに微笑ましいものがあるからだ。
***
もうひとつ鬼門で気づくのは、角の家に鬼門が切ってある場合、民家だと角石という、石が置いてあることが多々あるのだ。
これは、もともと自動車よけとして角の家に置かれたものが、鬼門と合わさって、鬼門に石を置くという、不思議な風習を生み出したものと思われる。
私はこの角石も京都独特のものなのか、それとも他の町でも普通に見かけるものなのか、分からないのだが、「路上観察学会」のメンバーが不思議がっている所を見ると、京都特有のものなのだろう。
これは鬼門以上に普通に町で見かけるものだ。
今度京都の町を散策する機会があれば、道の端々にある、こうした鬼門や角石を観察しながら歩くのもまた一興かもしれない。
きょろきょろしすぎて目が回り、三半規管がおかしくなるであろうが。