化粧あれこれ
00/2/28

 

このコーナーはあまり記述が増えないので、とうとう京都とは関係のない雑文をここに持ってきた。将来(将来があるとすればだが)単なる雑文のコーナーになるような気がされる。

最近、バスや電車の中で、若い女の子が化粧をしたり、髪をいじっている姿を見るようになった。
殆どが女子高校生のように見える。

私の感覚では、バスの中などで化粧をするというのは、みっともない以外の何物でもないのだが、彼女たちには、みっともないという意識はないようだ。

思うに彼女たちは、まだ人間として十分に生育していないのだろう。
だからまだ恥とか、公衆道徳とかいう意識が芽生えていないのだ。
あるいは、人間であるという意識すらまだ持っていないのかもしれない。

持っていれば、バスの中で化粧をすることなど、とても恥かしくて出来るはずがない。

また、まだ高校生なのに、もう化粧をすることもあるまいに、とも思う。

こんな事を言うのは、まあ私が年寄りだということなのかもしれないが、高校生といえば、素肌が一番きれいな年頃だ。
せっかくのきれいな素肌を、何が悲しくてファンデーションで汚してしまうのだろうか、と他人事ながら彼女たちの肌の将来を憂える。

あと何年かすれば、いやでも化粧をしなければならなくなるのだ。
いやだ、すっぴんでいたい、と言っても世間が許してくれなくなる。
お前のすっぴんのように見苦しいものを世間にさらすな、と言われ、なくなく化粧をしなければならない時が、やがて来る。
そうなってから思う存分化粧したら良かろう、と思うのに、彼女たちはそれを待てないらしい。

 

私は大学4年くらいまで、すっぴんだった。
全くお化粧には興味がなかったのだ。

今から考えれば、20歳になっても素肌のまま外を歩いていたのかと思うと、寒気がしてくる。
シミ、そばかす、紫外線に何の対策もせず、無防備なまま肌を放り出していたかと思うと、後悔が山のように襲ってくる。

女の肌というのはむつかしいものだ。

大学4年の時、何を思ったか、化粧をしてクラスに行った。
そうしたら、同じクラスの女の子が私を見て、あっ?というような顔をし、「かわいい…」と言った。

日頃何の手入れもしていなかったので、お化粧した私が珍しかったのだろう。
でも、私はその時、私でも化粧すれば、多少かわいくなるのだな、と大変に心強く思い、それから、化粧道に邁進することになったのだ。

*****

ごくたまに町で小学校の時の同級生に会う事があると、必ず向うから声をかけられる。
肩をたたかれ、"〇〇さん"と呼ばれるのだ。
一発で分かるらしい。

どうも小学生の時から顔が変わっていないらしいのだ。

こんなにいっぱい塗りたくっているのになぜ?
私としては、たっぷりお化粧をして、すっかりきれいになったつもりなのに、なぜ、分かってしまうのだろう。もう、だいなし。

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昔、男性に、"もう化粧しないでは、外へ出られなくなってしまった"と言ったら、"化粧しないで平気で外へ出られるようになったら、おしまいやで"と言われた。

なるほど、そういうものか。

女の化粧には3段階あるらしい。

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