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02/12/15 ノーベル平和賞
02/12/20 聖歌の響き

 02/12/20 聖歌の響き

クリスマスが近づいてくると、町や繁華街を歩いていて、さまざまなクリスマスソングが流れて来るのが恒例だ。
年々クリスマスソングが流れるのが早くなり、早ければ11月ころから聞こえる繁華街もある。

一番有名なのは山下達郎のあの曲だろう。
ジョン・レノンの名曲「ハッピー・クリスマス」というクリスマスソングもあった。
スタンダード・ナンバーとなっている「ホワイト・クリスマス」は、最も良く流れている曲かもしれない。

そんな中で、賛美歌の、聖歌が流れて来ることもある。

私は中学・高校とプロテスタント系キリスト教の学校に通っていたため、それらをとても懐かしく聞く。

きよし この夜 星はひかり
救いの御子は まぶねの中に
眠りたもう いとやすく

 

一番有名な聖歌だろう。

賛美歌は、キリスト教のさまざまな催しに合わせて作られている。
感謝祭、復活祭、収穫感謝、年末年始、死別、別れ…、さまざまな時に応じて歌われる。

聖歌も、キリストが生まれたことを祝うために作られた。
100番台に集中している。
きよしこの夜は賛美歌第109番である。

 

きよし この夜 み告げ受けし
牧人たちは 御子のみまえに
ぬかづきぬ かしこみて

きよし この夜 御子の笑みに
救いの御世の あしたの光
輝けリ ほがらかに

3番は、うろ覚えなのであやふやである。

 

私たちは朝礼の時に、毎日賛美歌を歌った。
クリスマス…聖誕祭が近づくと、そのための聖歌を歌う練習を毎日するようになる。

3部のコーラスで、私は喋り声は低いけれど歌う時は裏声を出すので、無理くりソプラノに入ってメロディばかりを歌った。
アルトの人は下のパートばかりを練習する。

「きよしこの夜」の次に有名なのは、「もろびとこぞりて」ではないだろうか。

 

もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく 待ちにし 主は来ませリ
主は来ませり 主は 主は来ませり

この世の闇路を 照らしたもう
たえなる 光り 主は来ませリ
主は来ませリ 主は 主は来ませリ

平和の君なる 御子を迎え
救いの 主とぞ ほめ称えよ
ほめ称えよ ほめ ほめ称えよ  (作曲はヘンデル)

 

「荒野のはてに」も有名だろう。

あらのの果てに 夕陽は沈み
たえなる調べ 天より響く
グローーーリア
インエクセルシスデオ
グローーーリア
インエクセルシスデオ

3部合唱で、グローーーーーーリアと一生懸命練習したのを今も覚えている。

 

私の好きだったのは「神の御子は」である。

神の御子は 今宵しも
ベツレヘムに生まれ給う
いざや友よ もろ共に
急ぎゆきて 拝まずや
急ぎゆきて 拝まずや

なぜそんなに急ぐのだろうかと、歌いながら思っていた。

神に栄え あれかしと
御使いらの 声すなり
地なる人も 称えつつ
急ぎゆきて 拝まずや
急ぎゆきて 拝まずや

とこしなえの み言葉は
今ぞ人と なりたもう
待ち望みし 主の民よ
おのが幸を 祝わずや
おのが幸を いわわずや

 

原曲は何語で歌われているのかは知らないが、すべて日本語の、しかも文語文に訳してある。
それが、歌っていてとても心地よい。
文語文で歌っているとおのずと厳かな気持ちになり、心も清められるようなのである。
長い原曲の歌詞を簡潔に訳した日本語は大変うつくしい。
きよしこの夜などは、英語の歌よりも日本語の歌詞の方が厳かでずっと素晴らしいと思う。

私が一番好きなのは、「天(あめ)には栄え」だ。

 

天には栄え 御神にあれや
土には安き 人にあれやと
御使いたちの たたうる歌を
聞きてもろびと 共に喜び
今ぞ生まれし 君を称えよ

 

聖歌の歌詞を読んでいると、イエスが生まれたことを皆して大騒ぎし、人々がこぞって赤ん坊を拝みに行った、というような雰囲気があるが、それはもちろん誤りである。

イエスは貧しい大工ヨセフの子として生まれ、しかもエルサレムへ行く途中、ベツレヘムという小さな村でマリアが産気づいたが止まる宿もないので、仕方なく宿屋の馬小屋を借りてそこでイエスを生んだのだ。

誰もその貧しい子が救い主になるなどと、思ってもいない。

しかし、のちの福音書記述者は天下の救い主イエスがそんな悲惨な状況で生まれたことを気の毒に思ったか、それとも権威づけのためか(そのためだろう)、東方から3人の博士がお告げにより不思議な星に導かれてやって来て、宝物を携えて救い主を拝みに来た、という場面を創作した。

「東方三博士の礼拝」として、古来より西洋美術の題材に描かれて来たのは、このエピソードがもとになっている。
レオナルドも、ボッティチェリも、デューラーも、名だたる画家で描かなかった人はいない。

 

賛美歌は、もちろん後世のキリスト教信者たちがイエスの誕生を祝うため作ったものだ。
だから、歴史を再現したものではなく、イエスを称え、イエスの誕生を喜ぶ歌になっているのだ。

賛美歌にはマイナーなメロディが多いが、生誕を祝う歌は殆どがメジャーの曲だ。
明るくイエスの誕生を祝っているのだ。
美しいメロディが多く、賛美歌の中でもひときわ光彩を放っている。

 

くしき星よ 闇の世に
いよよ光り 輝き
救い主の ます村に
とく導き ゆけかし (118番)

殆ど歌詞の内容も把握しないまま歌っていたのではないか。

 

牧人 羊を 守れるその宵
たえなる御歌は 天より響きぬ
喜び たたえよ 主イェスは生まれぬ (103番)

この103番も美しいメロディで好きだった。

 

まぶねのかたえに われは立ちて
うけたるたまもの 捧げまつる
いのちのいのちよ、わがものすべてを
とりてよみしたまえ         (107番)

 

わが心は あまつ神を とうとみ
わが魂 救い主を
ほめまつりて 喜ぶ  (95番)

 

この歌は、学校が行なうクリスマス・ページェントという、キリスト生誕をお祝いする無言歌劇とでもいうべき劇の中で、マリアが歌う歌だった。

生徒の中から選ばれたマリア役の生徒が劇のクライマックスで歌う。私にとって忘れられない情景だ。 

街に何気なくかかっている聖歌の、歌詞の意味を改めて味わっていると、おのずと昔、聖誕祭を祝っていたころの厳かな気分がよみがえって来る。

 


備考

他にも、もっともっと沢山の聖歌を練習し歌った。
クリスマス・ページェントでは、劇に出演しない生徒も、全員で合唱する場面が沢山あったのだ。

きよしこの夜の正確な3番は、「めぐみのみ世の あしたの光」

また、歌詞は抜粋です。

 

 02/12/15 ノーベル平和賞

日本のノーベル化学賞受賞者の人気者田中耕一氏は、ジミー・カーター元アメリカ大統領に会って、握手するのが楽しみだと語った。

カーター元大統領は、今年(2002年)のノーベル平和賞を受賞した。

大統領を辞してからも活発に活動し、世界の平和のための運動を行っていたという。

そのことよりも私は、ノーベル賞の選考者が、今の時期にカーター元大統領に平和賞を授ける決定をした、ということに意義を感じた。
明らかに、イラクの核兵器査察に乗じてイラク攻撃を目論んでいるアメリカに対する、明白な抗議だと思えるからだ。

ノーベル賞という、世界的に権威のある賞でもって、このような戦争大好き思想に対してこういう形で釘をさすことが出来るのかと、その鮮やかな手法に感銘を受けた。

多くを語らないにせよ田中耕一氏は、カーター元大統領に憧れていると発言し、日本人に元大統領への関心を向けさせた。
このことにも、さすが田中氏だと感心した。

 

思えばいつだったか、イスラエルの何とかという大統領と、アラブの何とかという議長が、双方ノーベル平和賞を受賞した年もあったのではなかったか。(名前忘れた)
夢の如しというか、隔世の感があるが、もしかしたらあの平和賞もノーベル賞選考委員の切なる希望というか、理想だったのかもしれない。
イスラエルとアラブの平和こそ、世界の平和の源だと、選考委員は考えたのではないか。

***

私の愛読書「人はなぜ騙されるか」(安斎育郎著・ちくま文庫)の中に、

アメリカ大統領選挙の時、ブッシュ候補(父親の方だろうか?)が、クリントン候補を、「ベトナム反戦デモに参加したことを、自国の戦争に反対するのは、軍を指揮する立場にある大統領としての適性に欠けると批判した」と書いてあった。

戦争そのものについて問うことなく、「戦争反対者=反逆者」「戦争賛同者=愛国者」と決めつけることは、戦争の遂行に反対する者を「非国民」として排撃した戦前の日本を想起させて不快だ。

と安斎氏は書いている。

アメリカにとっての「正義の戦争」は、誰にとっても「正義の戦争」だと考えるのは、あまりにも独善的だ。

とも書いている。(この文庫が発売されたのは1998年。最初に出版されたのは1996年)

 

日本は戦争に負けて、戦争の悲惨さを嫌というほど味わった。
だから日本では、戦争はしてはならないもの、悲惨なもの、そして平和と、人ひとりひとりの命が一番大切だという思想を子供の時から教え込まれる。

しかし、何度も言うが、アメリカでは、戦争はいいことなのだ。
アメリカを、世界で一番強い国だと世界中に示すことはいいことなのだ。

世界には、自分の命さえ、(大儀のためには)どうでもいいと考える民もいる。
自国の何百万という民が飢え死にしてもちっとも意に介さない指導者もいる。

人の命を、何とも思わない人間がいるのだ。

何と、日本の私たちの考えの及ばない人間が多くいることだろうか。

そんな中で、ノーベル賞の選考委員の考え方の真っ当さ美しさに、私は感動した。

命を軽く考える人間もいる。しかし、そうではない人間も沢山いるだろう。
ノーベル平和賞をカーター元大統領に与えたノーベル賞の意義を、多くの人が噛締めて欲しいと、切に願う次第だ。

***

「人はなぜ騙されるか」の中には、こんな事も書いてある。

伊藤博文は、日本でこそ旧千円札の肖像にも採用された「明治の元勲」だが、朝鮮の人々にとっては侵略者の象徴にほかならない。

と。

明治政府を樹立した政治家らは、富国強兵を唱え、大陸へ進出し、朝鮮半島への支配を強めた。
明治の日本では、大陸を侵略することが正義だったのだ。

それが今の北朝鮮や韓国の日本に対する嫌悪の源となっていることは言うまでもないだろう。
(それ以前にも豊臣秀吉が朝鮮を「征伐」しようとした。)

日本人にとっては歴史の教科書に書いてあるくらいの認識しかなくても、侵略された方は、何世紀にわたっても忘れることの出来ない痛みなのだ。

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