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02/11/4 発掘捏造について 君は秩父原人を信じたか

 02/11/4 発掘捏造について 君は秩父原人を信じたか

 

世間では既に終わってしまった話題かもしれないのだが、私はこの発掘捏造についてかねてより異常なほどの興味を持って来た。

最近本屋で毎日新聞発行の、捏造を追った取材班のドキュメント本を入手し、非常に詳しくその問題について知ることが出来た。*

 

いろいろ思うことはあるが、ここでひとつだけまず言いたいのは、私がこの捏造問題を報道で知るまでは、藤村氏が「神の手」と呼ばれていたことも知らなければ、当の藤村氏自体をまったく、ちっとも、全然、皆目、金輪際知らなかったことだ。

それどころか、日本の歴史を変えてしまう…どころか世界の歴史をさえ塗り替えたらしいという藤村氏とそのグループによる「世紀の大発見」さえも、まったく知らないままであった。

こんな大発見なら、どこかで必ずその成果を聞いていても良さそうなものだ。

私は捏造報道によって初めて、日本の旧石器時代について、今まであのような発見に沸いていたことを知ったのである。

私には、まず捏造よりもそのことが自分でも最大の不思議になって来て、何としてもそれを解明したいと真面目に思ったのである。

*この捏造報道が毎日新聞のスクープであることさえ知らなかった。

 

***

 

私は考古学について、全く興味がないわけではない。
大学の時ほんの少しかじり(大教室での一般教養程度であったが)、それ以来、なかなか面白いものだという認識がある。

高松塚古墳のニュースは知っているし、吉野ケ里遺跡についても知っている。
それらがニュースになったことを良く知っている。

それはまあ、ごく一般人の普通の認識だろう。

もし捏造になった遺跡が(かつて)それらと同等の価値のある発見であったとされていたのならば、それらと同じくらいに騒がれ、報道されたはずだ。それならば、当然私の耳に入っていなくてはおかしい。
私はそう思った。

それなのに、私は、それらの(藤村氏、東北考古学研究所による)発見を何一つ知らずにいて、捏造報道で初めて、そういう遺跡が発掘されており、日本には原人がいたことになっていた、というのを初めて知ったのだ。

 

このこと―私の耳に発掘情報がなぜひとつも入ってこなかったか―ということの推測をしてみた。
それが私には不思議で仕方がなかったからだ。
なぜなのか分からないことは、検証してみたくなる。
どうしても、解明したくなるのである。

+++

まず第1に私が大うつけで、テレビ、新聞等で大々的に報道されていたのに、見なかった。

第2に、見ていたのに忘れた。

第3。報道がされなかった。されていても、目に入って来る範囲ではなく、小さいものだった。

など。

第2の場合は論外である。

いや、もしその推論が正しいとすれば案外それは深い意味を持っているかもしれない。ひとつずつ見て行こう。

 

検証

 

これらの推理は、実は同じひとつのことを示しているかもしれない。

まず、検証が容易な第3のケースから見ていく。

報道が、もし高松塚、吉野ヶ里よりも小さいものだったとすれば、それは報道関係が(藤村氏の発見は)それらよりもニュースバリューが小さいと判断したからだろう。
それならば、「世界最古の原人が日本にいた」という報道は、高松塚よりも価値がなかったということだろう。

 

第2だった場合

大発見のニュースを読んだり見たりしていたのだが、私は忘れっぽく興味がないので忘れたかもしれないというケースだ。

だが、高松塚は覚えている。吉野ヶ里も覚えている。
それらと同等の扱いをされていたのであれば、忘れるというのは少しおかしい気もする。
また私は考古学に全く興味がないわけではない。
その手の発見のニュースはかなり好きなはずだ。

忘れたのが事実ならば、私の中で、その発見のニュースが高松塚などよりも大事ではない、という無意識の認識があったのではないか。

 

第1のケース

発見報道を全く見ていなかったというケース。

事実はこれに違いないのだ。

いろいろ調べてみると、藤村氏はNHKに出演して、自分の発掘した石器について喋ったこともあるというし、それなりの報道があったのは確かのようだ。

NHKは高松塚の時も吉野ヶ里の時も特集を組み、教養番組として放送していたと思うから、藤村石器の時も、どうやらそのような番組があったようだ。

また新発見のたびに新聞なども(毎日新聞も)報道し、大騒ぎをしていたというのだ。

地元の地方新聞、京都新聞なども、遺跡発掘関連のニュースはわりと報道しているほうだろう。
大きなニュースがない時には特に、空白を埋めるために遺跡発掘のニュースが報道されている。

 

私はここ何十年か、1日も欠かさず新聞を見ている。
特にテレビ欄はテレビを見ないくせに欠かさず見る。
テレビ欄の裏の3面記事のコーナーも見る。4コマ漫画も見る。
難しい経済欄や、政治欄を除けば日課として朝刊、夕刊を見ている。

しかし読んでいるのではなく、「見ている」と表現せざるを得ない所に微妙なものがあると自分でも思う。

そのようにして新聞をただ見ているだけだったから、私のうすい脳みその中に、発掘報道が引っかからなかったのだとも言えないこともない。

 

*

では、引っかからなかったことにして、なぜ、引っかからなかったのだろうか。
しつこいが、高松塚や、吉野ヶ里は同じように見ていて引っかかったと推測できるのにも関わらず。

結論から言えば、要するに、早く言えばえーと、その、何です。件の報道が、私の中に「引っかかる」だけの何かを持っていなかったということであろう。

それは、私がそもそもそれほど重要なことではない、という認識を無意識に持っていたということかもしれない、
そして、高松塚や、吉野ヶ里に比べてあの発見は(私にとって)さほど魅力的ではないということだったかもしれない。

 

日本に世界で最古の原人がいたかもしれない、ということは、魅力的なことなのかどうか。

これはまず、その人に原人というものの概念が理解されているかどうかで、人それぞれにそのことへの評価が違ってくるだろう。

 

+++

ここであらためて思い出してみると、原人という、そのニュースならばどこかで聞いたような気もする。

秩父(埼玉県ですかー?)で原人の生活跡が見つかったというニュース。
いや、それよりは、秩父原人というフレーズを聞いたということだと思う。
秩父では、秩父原人をチプーと呼び、町おこしを展開している。

そのような噂をどこかで聞いたのではなかったか。
原人の生活跡、というのではなかったかもしれない。

 

このことは、しかし私の中では藤村氏と結びついてはいなかった。
また、東北の考古学協会(?)とも、その時結びつかなかった。
それが、考古学のきちんとした学術的調査で発見された上での話という認識がなかったのだ。

つまり、秩父原人という名詞を聞いた時には、それはイッシーとか、クッシーとか、或いはツチノコといった類いのものと同等というレベルでの認識しか私にはなかった。

どうせまた、怪しげな発見に乗じて町おこしを企む、地方の、あざとい、なりふり構わぬ客集めなのだろうという段階で、私の中ではその話題は終わってしまったのである。
それ以降の情報の発展は私にはなかった。

私には、原人と聞いただけで怪しげなもの、という認識があったのだろう。
ツチノコやクッシー、またはビッグフットなどと全く同じレベルで捉えていたのだ。

 

前方後円墳とか、縄文時代、後期旧石器時代、とかいうことなら学問だとまだ分かる。

しかし、原人となるとそれは学問とはもはや言えない部分に達するのではないか。
なにか、学問とは言えないうさんくさい臭いがする。
もはや学問などという穏便なところを超えたオーパーツである。
真面目に受け取るべきものではない。
トンデモである。

全体的に原人と聞いただけで、ケッ、と軽蔑する雰囲気がある。
原人とは、ビッグフットや、イェティなどと全く同類と捉えている。
(チプーという、安易でどこかトホホなネーミングも、影響していただろう)
だから、原人と聞いただけで、まさか考古学が真面目に追求した結果に出て来た結論だとは思いもしなかったのである。

 

このことは、私だけの特殊な認識だろうか。
そうではないと思う。
だが自信はない。

 

結論

結局、原人と聞いた段階で、私の興味はなくなった。
このことは、案外重要なことだという気がする。

価値がなかった、大事ではない、それほど重要なことではない、という各ケースでの結論を見ると、原人段階で興味を失った、私という一般的な日本人*の(発見に対する)印象は、「それが学問に値することではない」ということを指し示している。

藤村グループの発見が、「学問ですらない」ことを暗に示していた証拠とは言えないだろうか。…

* 勿論私が一般的な日本人と仮定してのことだが…


1ページの容量が既に大変重い。
発掘捏造については、まだつづく From京都に連動記事

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