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02/4/9 京都府知事選
02/4/25
私の夢 

02/4/25 私の夢 

私には夢がある I have a dream いつか One day

ってアニシナ・ペイザラーか、自分。
と一人突っ込みを入れたところで、私の今の夢は、流行のクロップドパンツを穿くことである。

私にはイメージがある。
黒または藤色、または薄い黄色のクロップドパンツに、七分袖のTシャツ(迷彩柄ならなお良し)、アニマル柄でもいい、或いは流行っているボヘミアンなスモックブラウスでもいい。
そして足にはミュールをはいてお買い物に出かける。
これが、私の夢なのだ。

七分袖のアニマル柄Tシャツなら持っているし、ミュールは1980円のでいいから何とか買えると思う。
ただ、ミュールをはいて歩けるかどうかは問題だ。

噂ではバスの乗り降りが出来ないと聞く。
私はただ歩いていてさえつまづく性質なので(加齢のせいか)、あのようなつっかけ様のものをはいて正常に歩けるかどうかの自信はない。
今年はヒールの低いのが流行りだそうだから、低いミュールなら何とかなるのではないか。

それほどにしてまでも、私は夢を現実のものにしたいのだ。
中年だけれど流行の恰好をしてもいいではないか。若ぶった恰好をしてもいいではないか。自分の好きな恰好をしてもいいではないか。
それがたまたま若向きのファッションだというだけだ。
私だって、若い恰好をしたいのだ。

 

それはともかく、問題はクロップドパンツである。

クロップドパンツというのは、八分丈のズボンのことである。
くるぶしが見える丈である。
普通のパンツより短い分、軽快で可愛く見える。

本当は、クロップドパンツが何かという、クロップドパンツの正確な正体を私は知らない(何分丈かなど)。
正確には知らないのだが、情報により、大体そんなものだろうという推測で記述している。
通販のカタログで見ると、クロップドパンツは通常のパンツよりも明らかに丈が短いのだ。であるから、クロップドパンツは「短いパンツ」という了解のもとに、記述を進めるのである。

***

私は非常に女らしい人間なので(笑)普段のお出かけの時は、スカートが好きだ。
ズボンはどちらかというと仕事着で、普段にはあまり穿きたくない。
お出かけ着にもパンツを穿くという女性が増えているが、私はスカート派だ。
パンツには殆ど興味がなかった。でも、クロップドパンツは、何だか可愛く見えるので、ある日突然はきたくなったのである。

しかし、重要なことに気がついた。

通販のカタログを見ていて、モデルさんが可愛くクロップドパンツを穿きこなしているのを見て、あっ素敵、これがいい、と注文しようとした。

しかし、股下丈を見て愕然とした。
クロップドパンツの股下丈が60cmと表記されている。

これは私の通常のパンツ丈であった。

私は驚愕した。
私の通常のパンツ丈は、クロップドパンツ丈だったのか?
では私は今までパンツと言えばクロップドパンツを穿いていたのか?。

もちろんそうではない。
単に私の足が短く、普通の女性が穿くクロップドパンツは私には長すぎて通常のパンツ丈になってしまうというだけの話なのであった。

*では今まではどのようにして通常のズボンを手に入れていたかというと、カタログに載っている、一番丈の短いのを苦労して探して注文していたのである。それでも長ければ自分で丈を詰めていた(泣)。小売店などでは、私の履ける丈のパンツは皆無であった(泣)。

屈辱感と挫折感が襲って来た。
せっかくクロップドパンツを買ったと思っても、普通のパンツを穿いたのと同じにしかならないなんて。

しかし、まだ道はあった。

クロップドパンツの次にカプリパンツというのがある。
これはクロップドパンツよりもさらに短い丈のパンツである。

その前にサブリナパンツというのもある。

私はサブリナパンツとカプリパンツの違いというか、どちらがより短いのかを知らない。
私のカンでは、サブリナパンツが七分丈で、カプリパンツは六分丈ではないかと睨んでいる。女性のファッションはむつかしい。

私のカンで、サブリナパンツの方がカプリよりも長いとして、私は考えた。

クロップドパンツが通常丈パンツになってしまうならば、サブリナパンツを買えば、それをクロップドパンツだとして穿けるではないか。
何食わぬ顔をして、クロップドパンツを穿いているんですという風に振舞えばいいのだ。
少し割りきれなさが残るものの、この際背に腹は代えられない。

しかしであった。
サブリナパンツが股下丈55pとすれば、私が穿いたらどうなるであろうか。
恥を偲んで言えば、それでもまだ私には長いのではないかという危惧が拭い切れない。

カタログのモデルさんたちが可愛く穿いているクロップドパンツのイメージからすると、もっと短いという気がするのだ。

恐らく、55pのサブリナパンツでも、私が着用すれば地上を這うような丈になるのではないか。
股下50pのカプリパンツが私のクロップドパンツになるのではないか。いや45pでさえいいのではないか。
こうなるともうカプリでさえなく、半ズボンである(泣)。

 

私はある店で、880円の黒のクロップドパンツを試着する機会があった。
(私はあまり試着が出来ない性格なのだ。お金を持っていないので、高級店での試着が躊躇われるからだ(泣))

880円のそれは物差しで計った所、股下55pだった。
穿いてみると、パンツの裾は、地上から僅かに浮いている。感激の瞬間である。
しかし、やはりカタログのモデルさんのイメージとは違う。
それはもっともっと浮いていなくてはならないのだ。
やはり45pだ。
屈辱と共にそう思った。

またその880円のクロップドパンツは、もう1つ問題があった。
それは股上が浅い、ということだった。
おへそよりかなり下に、股上が来る。

股上が浅いローライズパンツとか、ヒップハングとかいうのが流行なのだ。
しかしそれは私には無理なのだった。

ヒップハングパンツを穿く時は、下着も、お臍からだいぶ下のヒップハングショーツというのを穿かないと、かがんだ時にショーツが見えてしまう。
だからヒップハングショーツも流行している。

それはよほど昔に流行したショーツだ。昔はショーツといえば、お臍から物すごく下の所にゴムのあるのがスタンダードだったのだ。
私はずっとそれを穿いていた。

そして、ある時、気がついたらおへその下の、私の体の、私のお腹に線がついていた。
そしてそこからおへそに至る部分がぽこんと脹らんでいる。

あまりにおへそから下のショーツを長い間穿いていたがために自分のボディが影響を受けてしまい、ショーツのゴムの当たる体の部分に線がついてしまったのである。
そしてその上の部分が醜く膨れて、お腹が出っ張っている。
体の線が変わってしまったのだ。

それ以降、ショーツはおへその隠れる、きちんと上まで上がるものに完全に切り換えた。

若い人に言うが、あまりに長い期間、ヒップハングショーツを穿きすぎると体型が変わってしまうから、なるべく穿かないほうが良いのではないか。

880円のクロップドパンツを買うのは止めにした。
値段は魅力的だったのだが。

やはり45pだろう。
そんなわけで私はカタログにて45pを探すのであった。

 

02/4/9 京都府知事選

4月7日に京都府知事選があり、仕事に行く前に投票して来た。

間際まで市長選だったか、府知事選だったか、どちらだっただろうとあやふやだった(笑)。

朝、忘れていていつもより5分寝坊したので、もう投票はさぼろうかと思ったが、朝食を食べていると母が(選挙の)葉書が来てるで、と言う。
うむ母は忘れていなかったか。
母が何も言わなかったら、どさくさに紛れてもう投票には行かんとこうと思っていたのだが。

亡くなった父は、投票の朝になったらいつもしつこく、
ほら葉書やで、行って来いよと念を押すのだった。
時には○○に入れるんやで、と投票する候補者の名前まで指定した。

もちろん父と私は大体考えが同じだから、誰それと言われないまでも父の思うのと同じ人物に入れていたと思うが。

 

小学校の講堂に、スリッパに履きかえて上がる。
投票はほんの1分くらいで終わる。

私は日曜も出勤で、仕事へ行く途中に投票へ行く。
バス停へ行く途中にちょうど小学校があり、その前を通るので投票せざるを得ない状態なのだ。

私の町の係の人は、たまに知っている人が座っている事もある。
町内の人の顔はあまり知らないのだが、でもひょっとして向うは私の顔を知っているかもしれない。
だからとりあえず、おはようございますと挨拶する。

投票へ行ったあと、町内であそこの娘さんが投票に来てはったでなどと噂になる。
その時、あそこの娘さんは挨拶もせんかった、などと言われては困る。
だから挨拶をしないといけない。

講堂の一番奥で見張っている人は3人いるが、その中にも時々知っている人が座っていることがある。
だからこの3人にも挨拶は欠かせない。

 

この投票の見張りを父がしたことがある。
父が町会長をしていた時、座ってくれと要請されたのだ。

父は1日中座り続け、しんどかったと言っていた。
そして、何がしかのお金が出たという。
アルバイト代というので、何千円か貰ったらしいのだ。

私が投票に行くと、父が中央に座っていた。
何だかきまりが悪い。

にやりと笑うと、父もおす、とか何とか言ったと思う。
ご苦労さん、とも言ったのだったか。

 

20歳になって選挙権が出来たころの最初の1、2回は、若者の気負いから選挙に行かないこともあったかもしれない。
でも、人のいい父、朴訥で、市民の義務をたんたんと果している父の姿を見ていたからか、いつの間にか主義として選挙には行こうと考え、それからは1度か2度を除いて、ずっと行っていると思う。

選挙の朝になると父の行って来いよという言葉が聞こえるようだ。
父は立派だった。

選挙なんか行かないという人間がいる。
行かないで当然という人がいる。
でも父は行って当然という人間だった。
無党派層で、組織の中の人間ではない。それでも選挙には必ず行っていた。
別に理屈はない。ただ、たんたんと行っていた。それが立派だった。

選挙に行くと、たいがい投票している人は老人ばかりだ。
私だって中年だが、私のような年代の人間もあまり見かける事がない。
選挙に行く人は老人ばかりなのだろうか。

 

府知事選に出ている候補者の名前は何となく知っていたが、あまり詳しくは分からない。
誰がどこの政党の所属かが分かっていなかった。
まあ投票場に行ったら名前が書いてあるから、そこに政党の名前も書いてあるだろう。
それを見て投票したらいいと思い、学校に行ってみたら、候補者全員が無所属だった。

私のような無党派層は気楽なものだ。
支持政党もなくどこの労働組合にも所属していないから制約がない。誰に入れてもいいのだ。
選挙に行く意味がないではないかと言われるかもしれないがそんなことはない。
私だって成人である以上、政治を選ぶ権利がある。

しかし投票場へ行って初めて候補者の名を知ることもある。
私の場合、その場で投票する人物を決める事もある。

 

府知事選は、全員が無所属になっているのでどの人がどういう特色なのかさっぱり分からない。
仕方がないから、選挙宣伝の時よく聞いた名前を入れておいた。
事前にこの人にしようというのはあったのだが、その名前を忘れてしまっていたのだ。
だから対立候補に入れた可能性もある。

それでも投票をして来た。誰も文句はなかろう。

京都にはかつて蜷川虎造という名物知事がいた。
なつかしい話になる。


追加

やはり座っていた係の人は、近所の知った名前の人だった。
夜、母が○○さんが座ってはったやろ、と言う。
私は人の顔を全然覚えられないのだ。悲しい。

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