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02/2/7 ソルトレイク冬季オリンピックが開幕
02/2/15
オリンピック フィギュア・ペアの問題
2/17 
ペア問題の決着 母の実況
2/20 やっっぱりアイスダンス
2/28 戦いすんで…ソルトレイク 

02/2/28 戦いすんで…ソルトレイク

テレビは、オリンピックがあったことなどもうすっかり忘れたように通常の番組に戻っている。
ソルトレイクオリンピックは私が知る限り最低のオリンピックだと思ったが、終わってしまうと寂しいものだ。

メダルを2個しか取れなかったこともあり、日本人は盛り上がらなかったようだけれど、私は日本人の活躍には関係なくアニシナ・ペイザラーを見るのが目的だったので、その部分ではとても満足出来た。

 

NHKのBS1で、今回も「あなたが選ぶオリンピック名場面」が放送されていた。
長野オリンピックの時から、投票で人気のあった競技をベストテンとして放送するようになったのだ。
今回は、日本人の活躍が殆ど無かったのでさぞや得票率も低かったのでは…、人気の競技がなくて盛り上がらなかっただろうなと思ったが。

その番組で、フィギュアスケートの男子シングルがベストワン、カーリング女子の2位を挟んでエキジビジョンが3位、女子シングルが4位、ペアが6位、アイスダンスが7位。
フィギュアスケートのすべての競技がベストテン内に入っている。

長野の時は、男子シングルが最高で第2位だった。
1位はもちろんあのジャンプ団体だ。

今回のソルトレイクは他にこれといった種目がなかったためか、フィギュアの人気が高いのが目につく。

投票する人が女性が多いのでこのような結果になっているかもしれない。
それでもこういうベストテン番組を制作するたびにフィギュアが上位を占めるのはとても嬉しいことだ。
日本人がそれほど出ていなくても上位に入るのもとても嬉しい。
マスコミは常に女子シングルを話題にするが、一番人気があるのは男子シングルだというのも、何だかざまみろという感じで嬉しい。
私自身は男子シングルにはあまり興味が無いのだが、マスコミはどこか勘違いをしているのだ。

それはともかく、このようにフィギュアスケートを好きな人が沢山いるのが嬉しい。
私はテレビでしか見たことがない非熱心ファンだけど、実際に会場に足を運ぶもっと熱心なファンが沢山いる。
私のように冬だけ盛り上がる渡り鳥ファンとは違い、もっと筋金入りのファンだ。
こんなに沢山のファンがいるのだから、フィギュアスケートの「適切な」放送がもっと増えればいいのにと思う。

関西では、ある年の世界選手権は、女子シングルしか放送しなかったことがあるのだ。
そんなの、放送しない方がマシだ。

***

それはともかく、ソルトレイク。

記しておきたい選手がいる。それはゲオルグ・ハックルという選手。
ドイツのリュージュの選手だ。

ご存知のように、オリンピック5回連続出場。
3回の金メダル。
今回のソルトレイクは、オリンピック4連覇がかかっていた。

長野オリンピックで大会3連覇を成し遂げて話題となり、はじめてその存在を知る。

鉄人といわれるリュージュの選手ながら愛嬌のある風貌で「リュージュ界のスーパーマリオ」と異名を取り、すっかり人気者になった。
私もいっぺんにそんなハックル選手のファンになった。

とにかく3回の金メダルなんてすごい。
自分自身はスポーツはきらいだけど、こういう、地味なスポーツに打ち込む選手のことはとても尊敬してしまう。憧れる。

そのハックル選手がソルトレイクにも出場していることを知り、呆れ果ててしまった。
いや違う。とても嬉しくなり、すごいと思ったのだ。
しかも4連覇を狙う。
尋常ではない。

もちろん、応援した。ぜひ金メダルを取ってほしい。
しかし結果は惜しくも2位。銀メダル。

しかし私は思った。
金を取れなかったことよりも、今回も金に迫る銀メダルを取るくらい、ずっと、4年間も、金メダルクラスの競技のクオリティを保っていたことがすごいと。
さすが鉄人。並みではない。

しかも聞けば、オリンピックには5回出場していて、最初に出たオリンピック(カルガリ)で銀、次の3回が金、今回が銀。
5回連続出場で金3つに銀2つという、ものすごい記録を作ったのだった。
繰り返すが、金とか銀とかでなく、ずっと長い間第一線でいるという、そのクオリティを保っていることが何よりすごいと思うのだ。

そして、すごいと思ったのはそれだけではなかった。
彼よりあとで滑った金メダル候補のツェゲラー選手が、彼よりいいタイムでフィニッシュし、金を決めた時、ハックル選手は大きく拍手をした。

そのあとのインタビューでハックルは、
ツォゲラー選手は、今の時点で金を取るに相応しい選手だ、取るべき選手が取った。
自分の4連覇なんて、どうでもいい。
ハックル選手はそのように述べてツォゲラー選手を称えたのだった。

感動した(笑)。
何て素晴らしいコメントだろう。

私は彼の4連覇よりも5回も出場を果したこと、その間ずっと最高の成績を保って来たことの方が素晴らしいと思った。
ハックル選手も、きっと自分でもそう思っているから、あのような感動的なコメントが出来たのではないだろうか。
本当に素晴らしい銀メダルを取ったと思う。

さらに、感動したことがあった。
あとのインタビューで銀メダルを誰に捧げたいかと聞かれ、ハックル選手は亡き父にと言ったという。

このソルトレイクオリンピックの直前に、彼は自分の活躍を楽しみにしていた父を亡くしたのだった。
それまですらすらとインタビューに答えていたハックル選手はその問いに、父にと答えて顔を伏せ、泣いたのだと。

長野の私のアイドル、ゲオルグ・スーパーマリオ・ハックルはソルトレイクでも私のアイドルだった!。

 

2/20 やっっぱりアイスダンス

終わってみたら、規定、オリジナル、フリーともぶっちぎりで1位、満点の金メダルだった。
ペアの判定問題がアニシナ・ペイザラーにまで及んだことで一時はどうなるかとも思ったが、誰も文句をつけられない金。

私は月曜・火曜が休みだったのでオリジナル、フリーとも幸いなことにライブで見る事が出来た。本当にラッキー!

フリーでは金メダル候補が2組も転倒した。
イタリアのフサルポリ・マルガリオは、オリジナルまで3位、金を取りに行ってこけた。
4位のカナダのボーン・クラッツも最後で転倒、メダルを目指す最終組で転倒が相次いだのは珍しい。
それだけ、勝負をかけたということだろうか。

ペア問題で、かえってアニシナたちに同情が集まり、彼らを応援するムードが出たというのがあるのではないか。それで審判の点数が甘くなった。
フサルポリ組がもしこけなかったら彼らが1位になっていたのだが、フランスに点数を入れたいジャッジばかりだったので、イタリア組がこけなくてもアニシナ組が1位になることは決まっていたのだ。

もうやめよう。

燃えるような赤い髪を垂らして滑るマリナ・アニシナは美しかった。
アイスダンスを滑るに相応しい、品格がある。最後は大きな瞳が控え目に濡れていた。

***

以前、トーヴィル・ディーンが引退した直後のアイスダンスの試合で、解説者が、
「アイスダンスを元に戻したいという動きがあります」と言っていたことがある。
審判が戻したい、と言っています、
と。

トーヴィル・ディーン風のアクロバットよりも、ダンスの基本のステップを重視するチームに高得点を与えて、トーヴィル風のチームをつぶしていく、と言うことだったのだろうか。

幸か不幸か、その後トーヴィル風の要素はアイスダンスに普通に取り入れられるようになり、「元に戻す動き」は頓挫したらしい。
単なるステップだけのダンスでは、退屈で観客に飽きられたからだろうか。

審判に意味もなく嫌われ、反感を買い、「消された」選手もいた。
その年の「流行り」や、審判の機嫌でその年の選手権での金が決まる事もある。
アニシナ・ペイザラーもそうした「いやがらせ」に見まわれたこともある。
金メダルは、その時の審判のご機嫌による。私たちは、そう思って来た。
(だから審判へのご機嫌取りが行なわれていただろう。)

 

不正をして、金を取るのが良いか、正当に評価されて金を逃すか。
しかし。
アニシナたちには、そんな価値しかないのか?

彼らを正当に評価したら、金ではないのか?
少なくとも、銀とは僅差であると、不正をした者は考えたのだろうか。
それが悔しいのだった。

キッス・アンド・クライでの様子で、選手の素顔をちらと伺うことが出来る。

マリナ・アニシナはその容姿や演技とは裏腹に、いつもそこでは控え目で大人しかった。
大げさに感情を現わす選手も多いのに、彼女はソルトレイクでも遠慮がちだった。
人間性は、そんなところに出ると思う。彼女はキスクラでも最高の選手なのだった。

 

2/17 ペア問題の決着 母の実況

世の中、なかなか自分の思い通りにはいかないものだ。

土曜日、仕事から帰って新聞を見たら、件のペア問題がカナダ組に金メダルということで「決着」がついたとのこと。
こんなことはオリンピック史上前代未聞だ。
このようなこと(談合があったこと)は絶対あってはならないことだし恥ずべきことだ。
だけど、
スノーボードのハーフパイプでアメリカが金・銀・銅を独占したが、えこひいきがあったという報道があったのはどうなったのか…
あれはアメリカのジャーナリズムは追求しないではないか?

もしペアで金を取ったのがアメリカの組だったら?
そうしたらアメリカのジャーナリズムは、あんなに騒いだだろうか?
談合があってはならないのは分かっている。
だけども、今回のジャーナリズムのプロパガンダは、ある意味で「談合」と根は同じだ。
考え方の基本が同じだというのだ。

こんな考えが通るのなら、今までのオリンピックや世界選手権のメダルは一体何だったのだろう。
こんなことで判定が覆るなら、各国は自国に対して気に入らない判定がされた場合、大きく騒いだら判定を変えてもらえるのか?
そんなことはあるまい。
あれはアメリカが騒いだから変わったので、余所の国なら到底許される判定変更ではないのだ。まさに「無理を通せば道理引っ込む」である。

だけどもうどうでもいいことかもしれない。

男子のフリーを見た。
まだ全部ではないけど、感動的なシーンがいくつもあった。

ジャンプで何度も転び、足を痛めたらしい中国の選手に対して、観客の励ましの拍手がなりやまなかった。
それに応えるように懸命に演技を続けた選手。
アメリカの観客の素晴らしさは、こういう時際立つ。
先に演技を終えたプルシェンコ選手の笑顔。
ヤグディンにかなわないと悟って、何か憑き物が落ちたような笑顔だった。
演技が終わったあと、感極まって顔を覆った本田選手。
演技のあとは、どの選手もみないい顔をしていた。
ストイコ、エルドリッジ、なつかしい顔も見える。
パーフェクトだったヤグディンにも、4年の間の苦労があったのだろう。最後は泣き顔だった。

フィギュアスケートがやっぱり好きだ。
私は見ることしか出来ないけど、美しいものが好きで、そうしてそのきわみに到達した選手には苦労もあるはずだが、この世で美しいもののひとつを見せてくれてありがとうと、ただ感謝をしたい。

***

我が家の実況中継は、母である。

朝起きたら清水選手は2位だった、仕事から帰って来ると本田選手は4位だったなどと頼んでもいないのにみずから喋ってくれる。
おかげでビデオや夜のオリンピック特集を見なくてもよくなってしまう。いいんだか悪いんだか。

だけど、男子500mの時は、ウォザースプーンはどうだった?と聞くと、
えっ?。
金メダル候補で、清水選手のライバル…というと
ああ、こけたはった。
えっ?
うん、ひとりこけてはった選手がいたし。アナウンサーの人が、いやー、あらー、言うてはったし。
アナウンサーがいやーとかあらーとか言うのか?
母は真面目な顔で、うん、言うてはったよ。あらー、て、と言う。

男子フィギュアの結果を聞くと、ロシアが金と銀を取ったよ。
あれ?アメリカやったかなあ?ロシアは銅やったかな?あれ?
ひとり、6.0をもうて(もらって)はったよ。
ああ、そんならヤグディンやね。
はあ?

全然埒があかない。

母が外国の選手の名前どころか、顔だって覚えられないのはしようがないだろう。

 

2/15 オリンピック フィギュア・ペアの問題

もっと呑気に書こうと思ったが、フィギュアのペア・フリーのジャッジを巡ってかなり問題が起きているらしい。
少しそのことを書こう。

ペアの結果は金がロシアのベレズナヤ・シハルリドゼ、銀がカナダのサレー・ペルティエ、銅が中国のシェン・ツァオ(表記はいい加減である)。

カナダのペアの出来が良かったので彼らが金ではなかったのかと、ジャッジの問題が話題になった。

私も、カナダのペアが滑り終わった時は、これはやられたと思ったし、彼らが金だと思った。
彼らのフリーの出来は良かった。
ミスは一つもなかったし、プログラムが良かった。
振りつけも曲も良かった。
対して、ロシアのペアは、ジャンプで1箇所つまづきがあり、完璧ではなかった。
カナダ組が、「ある愛の詩」のメロディーにのって、ストーリーのある美しいフリーをすべったのに対し、ロシア組は何だか漫然とすべっていた、という印象があった。

私はカナダ組よりもロシアのベレズナヤ組を応援していたのだが、それでも、好ききらいは別に、カナダの方が出来が良かったならそれはしょうがないと思うだけの度量はあるつもりだ。

でも今回のジャッジは、「微妙」だった。
9人の審判のうち5人がロシアに、4人がカナダに1位をつけた。
僅差だった。

このジャッジに「談合」があったとして、不正であるとカナダ、アメリカのマスコミ(?)、スケート連盟(?)が騒いでいるのだという。
この問題はニュースになるほど意外なくらい大きく取り上げられ、追求されている。

 

このようなことは良くあることだ。
長野でもタラ・リピンスキーとミシェル・クワンの対決で、クワンの滑走順が早かったので、高い点数が出なかったという話が聞かれた。

私は今でも、リレハンメルでの男子シングルの、ウルマノフとストイコの対決ではストイコが金でも良かったのではと思っている。
アルベールビルのアイスダンスで、フランスのデュシネイ兄妹が銀メダルを取ったのは、明らかにホームタウン・デシジョンだったと思っている。

ソルトレイクの男子スピードスケート500mで、清水選手は2位だったが、1位のアメリカのフィッツランドルフ(とかいう名前だったと思う…)選手は第一滑走で、フライング気味だったのに、何も咎められなかった。

ジャッジは人間のすることだから、間違いもあるだろう。
確かに自国の選手に有利に判定したいという無意識の気持ちもあるだろう。
だが清水選手はいみじくも言った。

(体調不良など)どんな境遇にあっても力を発揮出来、結果を出せるのが王者のしるし(大意)
であると。

「微妙」である時はどちらが金であってもおかしくないということ、どちらかが明らかに勝っていたのなら何も文句は出ないはず。

 

今回のペアの結果を見てみると、もしフリーでロシア、カナダの両組がまったく同じ成績(出来映え)だったなら、ショートプログラムで1位だったロシアが金を取るのは当たり前だろう。

ロシアのベレズナヤ組は確かに1箇所、男性のシハルリドゼ選手がダブルアクセルでよろけた。
カナダはノーミス。
しかし、ジャンプの質から言えば、ロシアはアクセルのあと、ステップをひとつ置いてダブルトー、カナダはステップを3つ踏んで、しきりなおしてダブルトーを飛んだ。
トリプルツイストリフトは、ロシアの方が大きかった。
技術的にはロシアの方がより高度だったと私は思う。

ミスがあったから銀、ミスがなかったから金とは一概に言えない。
バーミンガム選手権(95年)のペアでは、ミスを連発したコヴァリコーワ・ノボトニー(チェコ)が金で、ノーミスだったシシコワ・ナウモフ(ロシア)は銀だった。
この時も変だとは思ったが、選手は異を唱えなかった。

ロシアではなく、小国のチェコが審判を買収して自国のペアを1位にするように働きかけたのだとでも言うのだろうか?

 

確かに、カナダのペアは良かったと思う。
私も特に後半、永遠の愛を誓った女性が病に犯されていくあたりでは胸をつかれるものがあった。
しかし、だからといって、そのストーリー性の高さと芸術点とは違うのだ。

ストーリー性のあるプログラムがいいのなら、振り付けに得点が入るようなもの。
それならキャンデローロは常勝であってしかるべきだった。

そうではなくて、芸術点は、選手の動きを見る。
カナダとかフランスでは、フィギュアスケートの振り付けにおいて、パントマイム的なものを重視する。
それに比べて、ロシアは伝統的に手や足のしぐさの美しさ、身のこなし、など隅々まで神経の行き届いた繊細さを重視する。
ベレズナヤ選手の、技のたびに見せるひとつひとつの体の動きの美しさ、繊細さがその現れだ。
カナダの選手はその点、動きが大雑把だったということはないのか。

ロシアのペアは、芸術表現において、カナダより劣っていたか?
あのダブルアクセルのミスひとつが、全体の表現を損なったのか?

フリープログラムでは、ジャンプのミスはそれほど減点の対象とされないのは、もう自明のことではなかったのだろうか?

ワンクッション置いたあと、私は、ロシアの金に納得していた。
ここが肝心なのだ。納得できたということが。
観客の受けが良かったからといって、それがそのまま出来映えがいいと言う事にはつながらないのは、誰にでも分かっている事だろう。

あのカナダのプログラムは2年前のフリーのプログラムと同じだったという。
守りに入ったわけだ。
ジャッジは当然、それが前に見たプログラムだと分かっただろう。
同じものを見せられて、印象はいいだろうか。

 

カナダ、アメリカのジャーナリズムにはうんざりする。
あのテロの時張ったプロパガンダそのままだ。
私の大事な楽しみを、このようなことで大無しにされたくない。

談合があったのかなかったのか。
あったのかもしれない、だがそのようなことはこの際関係ない。
この程度のジャッジなら過去いくらもあった。
これで判定がくつがえるなら、今までのジャッジは何だったのか?
「微妙」な時はどちらでもよい、その判定を受け入れるべきだ。たとえ談合があってもだ。
ロシアのベレズナヤ・シハルリドゼは誰が何と言っても金。それが正しい。

 

少し、感情的になりすぎました〜(^_^;)

 

2/7 ソルトレイク冬季オリンピックが開幕

もうすぐソルトレイク冬季オリンピック。
このサイトをはじめてオリンピックは2度目になる…。

シドニーオリンピックの時も、もうすぐ…なんて、この日記に書いていた。それが1年とちょっと前。
もう冬季オリンピックが始まるなんて、なんて時間の経つのは早いんだろう。
夏と冬は、2年ごとに交互に来るようになったから、どうしても早く感じるのだろう。

 

シドニーの時は、夏より冬のオリンピックの方が断然好きだと書いた。

私はもともとスポーツが大の苦手で、本当にスポーツ音痴…、根っからのインドア派なのだ(笑)。
スポーツをするなんて本当にぞっとする。

スキーだって、大嫌いだ。
特に、ナンパ目的で毎年決まったようにスキー場へ繰り出す風俗にはものすごく抵抗があり、絶対冬山には行くものかと思っていた。
スキーが流行って、アイススケートが全然流行らないのが不思議に思っていた。
私は本当にスポーツがきらいなのだ。

それなのになぜか夏のオリンピックはしげく見てどんどんはまって行った。
そして冬のオリンピックといえば何より好きなのだ。
自分ではスポーツを何一つしないのに、テレビでオリンピックを見るのは結構楽しいと思っていることに、なんでなのだと自分でも驚く。

ひとつにはテレビで見るだけなら何一つ努力は要らないからで、茶の間に座っているだけで気楽に競走を楽しめる。
オリンピックは茶の間での、最高の娯楽でもある。
最高のアスリートたちの技が楽しめるのだから、見ているだけなら、オリンピックも娯楽の一つなのだ。
私は普段テレビドラマを見ないが、ドラマより面白いドラマだからオリンピックを見る。
自分でスポーツをするしないに関わらず、テレビで見る面白い番組として見ているということなのだろう。

 

しかしそれでも、何といっても、冬のオリンピックが何より楽しみなのは、ただもう、大好きなフィギュアスケートがあるからだ。本当にそれが好きだからなのだ。

フィギュアスケートはスポーツの中でも芸術性が高く(選手の運動量はもちろん他のスポーツ選手に劣らないが)、ドラマを見るような感じを与えてくれるからだろう。
普通のスポーツより毛色が変わっている分、芸術系が好きな私にはアピールする種目なのだと思う。

 

冬季オリンピックを意識して見るようになったのは、92年のアルベールビルあたりだったかもしれない。
日本ではみなが伊藤みどりのメダルの色を固唾を飲んで見守っている時、私はただひたすらアイスダンスを録画することに命を賭けていた。
何気なく見ていたノルディック複合で、ラスト、何と日本が1位でゴールに向っている。
荻原選手がゴールするのをリアルタイムで見た時、こんな競技があったのかという驚きと、日本の選手が冬季オリンピックで金メダルを取ったことの驚きとで、自分の部屋で、一人で興奮した。

それから改めてアルベールビル大会を見たら、いろんな競技があってその面白さにたちまち夢中になったのだ。

 

一番、感慨深いのは、84年のサラエボオリンピックだ。
今はもうなきサラエボのアイスリンクで、あのトーヴィル・ディーンが「ボレロ」を舞った。

あの時、最初にそれを目にしたのは新聞記事だった。

サラエボとは時差があり、また当時は衛星放送などなく、NHKの総合のみでオリンピック放送を流していた時代。
アイスダンスのフリーの試合の放送よりも、新聞報道の方が早かった。
その新聞で、トーヴィル・ディーン組が「審査員全員満点」を出して優勝した、というのを知ったのだ。

そして、翌日見たあの伝説のフリー「ボレロ」。

フィギュアスケートの採点は、6点が満点。
10人くらいいる審査員全員がその6点をつけた。
ずらりと並んだ6点に、ブラウン管を見ていた私もさすがに、鳥肌が立った。

フィギュアスケートのアイスダンスで、…いや、男子でも女子でもペアでも、審査員全員が満点という点数は、後にも先にも、彼らトーヴィル・ディーン以外には、ない。

その歴史的な瞬間を目撃し、そしてその時録画したビデオは、今でも私のもとにある。
それは宝物の一種とも言える。

 

サラエボは、女子の優勝がカタリナ・ビット、男子がスコット・ハミルトン。ペアは忘れた。
フィギュアスケートがもっとも輝いていた日々だった。

 

次のカルガリー(88年)は、トーヴィル・ディーンが引退したこともあり、フィギュアに興味をなくしたので、殆ど見ていなかったような気がする。
女子のカタリナ・ビットがカルメンを演じ、2度目のオリンピック優勝を果した。

この時私は、ビットのライバルであった、確かサムナーズという選手が何の意味もなくきらいだったので、ひたすらビットが優勝してくれと祈っていたのを覚えている。

 

92年のアルベールビルは、その前のNHK杯で見た悲運のカップル、ウソワ・ズーリンに魅せられ、彼ら見たさにオリンピックにチャンネルを合わせていたのだった。

そしてそのわずか2年後、94年にリレハンメルオリンピックが開かれた。
今度こそ、ウソワ組が優勝する番だ。
そう確信して、私は、アイスダンスのすべて(規定からオリジナルから)を録画するのだ、という大変な意気込みで(笑)、リレハンメルに臨んだのだった。

おりしも衛星放送を受信出来るようになっていた。
衛星放送では、1日中、オリンピックを放送しつづけるのだ。願ってもない幸運。
至福の日々。

しかしリレハンメルの主役は、何といってもフィリップ・キャンデローロだった。
彼もNHK杯で優勝しており、名前だけは知っていた。
しかし、フリーの「ゴッドファーザー」の独創とダンディズム、そしてエキジビジョンの意表を突いた「ロッキー」で、完全に彼にノックアウトされた。
キャンデローロは銅メダルでしかなかったのに、リレハンメルの主役は彼以外にはないと思った。

 

そして98年長野。
長野でも様々なドラマがあり思いがあった。
そして見ている方の私にもあった。
しかし、私にとって、最高だったオリンピックはリレハンメルだった。
リレハンメルではすべてのことが楽しく、すべてを好きになれた。

長野は、時差がなかったことがかえって災いし、民放に放送権を取られて、不愉快な放送もあったのが、すべてを楽しめなかった原因の一つかもしれない。
私の心情が、その時いろいろ悩みを抱えていた事もあったからかもしれない。
また冬季オリンピックの競技について、既に知ってしまった、という慣れがあったこともあるだろう。
まあ、ありていに言えば冬季は少しばかり飽きてきた、というのが本音だったか。

今度のソルトレイク…、しかし楽しみには違いない。
今回は、アニシナ・ペイザラーがいる。
ウソワ組以来、素晴らしいと思えるカップルを発見して有頂天になった私だ。
本当に応援したいカップルだ。優勝はむつかしいかもしれないが。
スケルトンという競技も楽しみだ。

オリンピックを競技としてよりもドラマとして…テレビ電波が送って来る茶の間の娯楽として、今年も私はオリンピックを見るだろう。

*

テレビ受信の世界は刻々と変化している。
BSデジタルやハイビジョン放送が本格化しつつある。
それに伴い、デジタル放送が、かつての衛星放送のように、オリンピックのすべてを担うのかもしれない。
そうなれば、私はもう以前のようにはオリンピックを見続けることが出来なくなる。
単に衛星放送ではもうちゃんと全部をフォローしないかもしれないからだ。
リレハンメルの時のように、無名の選手のへたくそな演技を見て、それでも楽しいと思っていたことなどがもう望めないかもしれないのは、さみしい。

 

それでもリレハンメルのような興奮はないにしても、それでも私はチャンネルを合わせているだろう。
インドア人間の、4年に1度の楽しみだ。

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