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00/11/10 発掘捏造を許した土壌
00/11/21 ゆん。さんと会ったこと

11/21 ゆん。さんと会ったこと

内閣不信任案が不思議な展開になった日、

11月20日に、ゆん。さんと会いました。

私は京都に住んでいて、彼女は東京です。
今回はゆん。さんが関西に出張のため、会う事が出来たのです。

彼女は、東京の○○にお住まいで、○○歳、○○にお勤めです(何にもわからんがな/本人に承諾を取っていないため)。

ホームページのゆん。さんそのままの、しゃきしゃきとした、きさくで気のおけない、明るい、素敵な女性でした。
とてもかっこよく、お人形で言えばやっぱりキサラ、しおん系なのです。

待ち合わせ場所に行った時、あたふたと急いでその場所に行こうとしていたら、その私について来る人がいて、私がなお場所に急ごうとしたら、その人が目で合図をするのです。
それがゆん。さんでした。

私はバービーの紙袋を持っていて、それが目印だったのです。
むこうが私を見つけて当然なのに、私はそれを振り切って、目当ての場所にまだ行こうとしていたのです。
恥かしいです。

このバービーのバッグは、二人でお食事をしている時、後ろの女学生がどこでもらったか、と聞いてくるほど、少しセンセーションであった。
ふふふと内心私は得意であった。

ゆん。さんはとてもお話し上手で、とろい私が一言話すうちに10言くらいしゃべります。
話がとても面白く、私はただ相槌を打ちながら、大笑いしているだけでした。

特に、リカちゃんキャッスルで出会った髪の長い謎の美女(笑)の話は強烈でした。
そのほか、トイレを待っている間になさった、泊まっている親戚のおじちゃんの家の、顔を拭くタオルがばしばしでおじちゃん痛い、と訴えたという話も興味深いものがありました。

このトイレから私は手を拭いてそそくさと出ようとしたら、後ろからゆん。さんが追いかけて来て、どうして一人で出て行くの、と言いました。

私は、ゆん。さんの姿を、一瞬忘れたのです。
恥かしいです(汗)。
もう外に出ているのかなと思って出たのです。
でも、横で手を洗っていた人が、ゆん。さんだったのです。

ああ恥かしい。
ゆん。さんごめんね。
私は慌て者の上に、早とちりで、人の顔を覚えられないのです(汗)。

そのほか、デジカメを知らない私に親切に伝授してくださったり、本当に短い時間でしたが、とても楽しい時を過ごす事が出来ました。

こんなことをくどくど書くのは、私が、普段日曜が休めず、なかなか同好の士たちとお買い物も、お喋りすらも満足に出来ないので、こうして遠路はるばる来て下さり(私に会うために来て下さったというわけではないのだが)、会えたと言う事がとても嬉しいからです。

ネットでいろいろな人たちと交流が出来るし、それは楽しい事ですが、でも、実際の人と会う事は、もっと楽しい事だと気づきました。

そうしてゆん。さんは風のように去って行きました。

 

11/10 発掘捏造を許した土壌

重信房子が高槻市で逮捕された。

だがこのことについては、何も言わない事にしよう。
言いたいこともあるけれど、誤解を受けやすい事柄なので、あまり何も言わない方が良さそうだ。

 

今回は、その前に話題になった、宮城県・上高森遺跡の発掘捏造についてである。

*何故新聞は、捏造をねつ造と書いていたのだろう?
(そんな事はどうでもいいのだが)

60万年前の旧石器時代の地層から出土した石器が、実は発掘の調査団長による捏造だったという事件である。

これは、非常に情けない、研究家にとってはあるまじき愚かしい事件ではあるが、哀れというも愚かな、どこかに哀れさと、ある種のおかしみを感じないではおれない部分もあった事件であった。

なぜならこの事件は、政治家の汚職や、病院の医療ミスなどに比べれば、表現は悪いかもしれないが、他愛のない、罪の少ない事件だったからだ。

捏造したからといって、本人に金が儲かるだろうか?
誰かを過失致死させたわけでもない。
単なる功名心と、見栄だったのだろう。そうだとすると、やはり一抹の哀れさが伴う。

新発見をしたともてはやされる事が、そんなに嬉しかったのか。
常に新発見をしているから、それがプレッシャーだったとの発言もある。

 

しかし65点もの石器を深く埋めたり、浅く埋めたりという周到さからも、また同時に北海道の遺跡でも捏造をしたという証言からも、この上高森遺跡での捏造が初犯だったとはとても思えない。
藤村某は、何度かこのような所業を犯しているに違いない。

誰もがそう思ったに違いない。
だから、各遺跡、また藤村氏が調査に関わった遺跡で、再調査の動きがあるのだろう。

この事件では、3つの問題があると思う。

まず第一は、この藤村氏の発掘と発見を、学会(考古学会?)なり、研究団体なり、大学などが何一つ疑いなく信じたのかということである。

発見があれば、それを検討し、調査・研究し、資料などを調べて、発見が間違いなく本物であるかどうか、それを決定するのが考古学研究家のするべき仕事ではないだろうか。

誰かが新しい石器を発見したと言っただけで、それが新発見と認められるのなら、この今の段階では、誰でも発見したと言ってそれなりの石器を持ち出せば、新発見で通ってしまいそうだ。

それほど、遺跡や遺構の新発見については、認知がずさんだった、というような印象を持ってしまうのは、しようがないような気がするのだ。

過去に業績があり、発見を幾度もしているからというような、そんな理由だけで藤村氏の言い分を信じてしまうことが、軽率なのではないか。

石器時代の石器については、古い物は資料がなく、そうだと言われればそうだと信じるしかない*、というような記事が新聞に出ていたが、実に何ともおそまつな限りだ。

*…石器からは時期が分からない。…(中略)…日本の前・中期は形式変化が少なく、地層の年代に頼りがちだ。

(京都新聞)

こんな体制であれば、次々に新発見が簡単に出て来るのもいとも当然である。
藤村氏の所業は、いとも簡単に行われた、と思える。

また、同新聞に

藤村氏らの成果は、マスコミに発表されて、マスコミを通じて社会的な評価が定まるという経過をたどった。学者同士での検討がおろそかだった

という、甘粕健・日本考古学協会会長の意見が載っている。

発掘の成果は、マスコミよりもまず、考古学協会に最初に発表するのが筋だろう。
そこからして、何かが、もう初めから間違っていた、としか言いようがないのである。

 

そして問題の第二番目は、このような捏造が発覚すると、藤村氏の過去の業績まで疑われる、ということだ。

過去にどんなに偉大な、真実の発見をしていたとしても、彼は、この一件だけで、すべてを疑われてしまうのだ。

今再調査の動きがどの遺跡でも行われようとしている。
この事を見ても、もう考古学の世界が、藤村氏のこれまでの発見を信用できなくなっていることは確かだ。

今回だけで、2箇所での捏造が発覚したのだ。
素人が考えても、絶対に他でもやっているに違いないと思う。

自分の過去の偉大な業績まで泥を塗るような今回の所業を、なぜ藤村氏は行なったのだろうか。

 

問題の第三は、この上高森遺跡だけではないだろうが、この遺跡の発見によって、ここでは村おこしがなされようとしていた。

上高森遺跡のある地方は、原人の町としてアピール、地元では原人ラーメンや原人パンまで売られていたという。

日本最古の遺跡が出たとなれば、その地域は、それをここぞとばかりに全国にアピール、名物にしてしまう、そういう日本の風土に最大の問題があるのではないかと、私は思う。

最古の石器が出たから、最古の原人がいた証拠…とばかりに、原人にちなんだ商品を売る商魂の逞しさ。
そして、それをきっかけに村おこしをもくろむ地元の多大な期待。

そういう地元の行政のもくろみが、藤村氏の理性を狂わせる一つの原因になっていたのではないかと私は恐れる。

湖にネッシーのような恐竜だか、主だかが住んでいる…と噂されれば、その地方ではそのような饅頭がすぐに発売される。
何にでもちなむ、日本人の風習がそうさせるのだ。

それが確かな事実でもないのに、お祭り騒ぎにのって浮かれて何でも名物にしてしまう。

なぜ日本人はこんなに確かでもない、実体のない、噂だけのものにも関わらず、大騒ぎをして喜ぶのだろう。
なぜ確かな実体もないのに、それを村おこしの材料にしようとするのか。
(今回は、原人の骨が発見されたわけでもないのに)

噂や風評だけで踊らされる人間にはうんざりだ。
原人や、恐竜などという訳の分からないものに頼って村おこしをもくろむという根性がいやしく情けない。

そんなものに頼ってまで人を集めたいのか?
また、そんな噂にのってやって来る人間がいるとしたら、それも情けない。

藤村氏の所業は恥さらしだが、周辺にいる人間の思惑だって、そうではないとは言い切れないのだ。

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