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00/9/8 シドニーオリンピックが始まる
00/9/22 ネモフ選手のこと

9/22 ネモフ選手のこと

今回は大変パーソナルな内容なので、べつだん公表しなくてもよいのであるが、そこはそれ、記念ということでどぞ、よろしく。

オリンピックたけなわだ。

私の興味は、目下ただ体操のみ。

しかしオリンピックで競技種目が増えて来たせいか、ひと昔前のように体操がそれほど騒がれなくなって来たのは少し寂しい。

その昔、コマネチの時は、全国の人間が彼女の独楽のような演技をテレビで見て、驚き、大騒ぎをしていた。
なつかしい。
ゴールデンタイムに放送されていたような気がする。

とにかく、いつも体操は、オリンピックの花だった。

今現在のオリンピック放送は、競技種目が多すぎて、全部カバーするので精一杯、という状態のような気がする。

野球やサッカー以外にも何だか訳の分からない競技が種目として増え、放送が小刻みになってしまい、ゴールデンタイムは、金を取ろうがポカをしようが、とにかく日本選手が出ている種目しか放送されない、といういびつなかたちになってしまっている。
実に憂うべきことだ。

日本選手がへまをした映像をゴールデンタイムに流すくらいなら、その代わりに金メダル選手の技をなぜ流せないか。
こんなことを言ってもせんない事であった。

***

アレクセイ・ネモフは、アトランタ・オリンピックの時、個人総合で、中国の選手にほんの僅かな差で金メダルを奪われてしまった。
しかし私がネモフ選手に注目したのは、ヴァル・キルマーに似たそのハードなルックスのせいだけではなく、たとえ銀メダルであっても、そのつま先まで神経の張り詰めた美しい演技姿勢であり、美しい演技動作のせいだった。

何て美しい動き、美しい姿勢だろう、そう思ったのである。

それだけで彼は私の記憶に残ったのであり、たとえ金メダルであろうと、中国の選手の不恰好さは私には容認出来ないものであり、そのこともあいまって、銀メダルのネモフ選手に判官びいき的同情を感じつつ、忘れがたい印象を、彼は残したのであった。

「筋肉番付」で、ヴィタリー・シェルボなどと、跳び箱を飛んでいたことも、私の記憶にある。

その後の消息は殆ど知らない。
そして興味も薄れて行った。
ただ、競技に出ていること、あまりかんばしくない調子であること…などを風の便りで聞くばかりだった。

まだ、競技をしていたのか…、シドニーに出ていることを今回始めて知った時、最初の感想がそれだった。
果たしてまだ出来るのだろうか。

4年前は、絶好調だった。
だが、4歳年を取って、運動能力がその時と同じように維持できているのだろうか。
年を取るということは、衰えるということなのだ。
だから、4年間競技を続けていた、というだけで驚異であった。

ロシアは、今回団体が3位。中国が金を取った。
しかし、個人総合では、ネモフ選手が圧倒的な強さで金メダルをもぎ取った。

厳しく、ハードなその表情を見て、4年前のアトランタの銀がよほど悔しかったことが察せられた。
見事に抑制され、完璧に鍛え上げられた技は、その決意が並々ならぬことを如実に示していた。

誰でもオリンピックに出る者には、それなりの思いや、決意があるだろう。
しかし黙々と演技に向かうネモフ選手の姿には、なにか神懸り的なものがあった。
不振であったことが信じられないような、見事な出来映えだった。

あの時、金を取った中国の選手は、いない。
だが、ネモフは4年間、4年経って、あの時と同じ能力を見せつけた。

そこには、努力があっただろう。
それでなければ、あのような難度の高い技をこともなげに、機械のように正確に、ゆるぎなく演技することは不可能だろう。
それは精神力と自信、そしてそれを支える確かな技術のゆえだと思う。

***

さてそんなことはいいのだが…

それにしてもオリンピックのテレビ放送は何とかならないのか。
私はとうとう、ネモフ選手の床を見ることが出来なかった。

かつてのように、茶の間にいれば、話題の種目が見られたあの古き良き時代はもう帰っては来ないのか。

自分の見たい種目を見るためには、努力をしなければならなくなった。
ビデオに撮ったり、夜遅くまで起きていたり、具合が悪いと言って会社を早引きしたりしなければならない。

なぜなのだろう
やはり、種目が多すぎる、ということなのだろうか…。

 

9/8 シドニーオリンピックが始まる

いつの間にか、シドニーオリンピックである。

早くに関連のバービー商品が発売されていて、気の早いと思っていたら、もう来週から始まるというから早いものだ。

私は運動音痴なので、いつもオリンピックにあまり積極的な興味がなく、むしろ醒めている方なのだが、始まると、それなりに見てしまうのがオリンピックというものだという気もする。

私は、多分ご承知かとも思うが、オリンピックなら冬季の方がずっと好きなのだ。

冬季オリンピックは何となく鄙びているし、競技種目がかわいい。

ボブスレーとか、リュージュとか、いかにも遊びから発展したというものが多い。しかもスリリングで、見ていて楽しいのが何よりいい。
ボブスレーなど、後ろの3人が、最初に乗り込むだけであとは何もしない、というおかしさが大好きである。
ノルディック複合や、バイアスロンなどもその競技のルーツがはっきり分かるくらい、いかにも北国らしい涙ぐましいところが好きだ。

その他、ひたすらスリリングな滑降や回転競技なども、スキーを遊びやナンパ目的でやる連中とは一線を画す本気なものとして好感が持てる。
とりわけ、好きなのはフィギュアスケートなので、それがあるだけで冬季オリンピックは私のお気に入りなのだ。

それに比べて、夏のオリンピックは、どうしても気分が乗らない。気合が入らない。あまり好きな競技がない。
というか、やはりスポーツの得意な人とは違って、深くはのめり込んで見ることがないのだ。

でも、いつだったか、世界陸上だか何だかで、一万メートル走をやっていたのだが、あれはものすごくスリリングで、最後の一周になると、突然すごいスピードで走り出す唐突さが 大変面白かった。
また、いつも見るのは体操で、私はああいう体操系が好きみたいだ。
水泳も、この時期涼しそうなので楽しい。
マラソンも、いつも見ている。

こういう風に改めて考えてみると、やはり結構見ているのだ。

ブブカが出ている時は、棒高跳びも面白かった。
走り幅跳びなども、あの走るまでの緊張感すらどきどきしながら見ている。
走り高跳びも同様。

重量挙げ、円盤投げ、砲丸投げ…、日頃滅多に見ない競技も珍しいので見る。
水泳の飛び込み。
水しぶきを上げないのが上手な飛び込み方なのだ、などと、いっぱしの通になったかのように呟きながら、見ている。

オリンピックは、その種目のエキスパートたちがこぞって出場する大会であるのだから、いわば彼らの技を見るのは、あたかも芸術を見るような、職人の職人技を見学するような、見る方は、そういう技を堪能する大会であるだろう。
そうして見ている分には、オリンピックはとても楽しい催しである。

だが、そこに民族主義、国の問題が混じってくると、具合が悪い。
私はかねてより、オリンピックにおける民族主義を苦々しく思っていた。

特に、競技のあった翌日の新聞のスポーツ欄にはそれが顕著である。

日本選手の活躍した競技の結果しか載っていない。
いくら外国の選手が大変な記録で金メダルを獲得しようと、日本選手の8位入賞の方が、記事的には優先されるのだ。

この不公平さはなんだろう。
テレビ放送でも、全ての競技を等しく放送しているとは思えない。

また、東西が緊張感のあった時代、オリンピックに政治を持ち込むな、ということが盛んに言われていた。
これもおかしな建前論であった。

モスクワオリンピック、ロスオリンピックを引き合いに出すまでもなく、オリンピックという催しは、否応なく政治的なものであった。
オリンピックは、政治そのものだったと言ってもいいだろう。
各国の政治家はこの時とばかり、政治的な駆け引きに夢中になっていた。

現在、東西の冷戦がなくなってからは、オリンピックは、政治の代わりに商業的なものがパーセンテージを占めるようになり、そうしたらあの緊張感がなくなり、ふぬけなものになってしまった。
競技種目にサッカーや野球まで入っている。
オリンピックの野球などを楽しみにしている人には大変すまない発言だが、何もオリンピックで日頃やっているそんな競技を見なくても。
緊張感も何もない。
良し悪しである。

だが、そんな今でも民族主義は健在である。

日本人は、日本人がオリンピックで活躍しているところを見るのが異様に好きである。
当然と言えば当然なのかもしれないが、私の目には何となくみっともない。

なぜなら、日本の選手で、世界と互角に活躍できているならまだしも、世界レベルより随分下にあるにも関わらず、時間を割いて大きく取り上げるのは、何か世界と基準が違うという気がする。

ご当地の選手を応援したい、という身内的な心理が働くのはいたし方ないけれども、あまりにその心理が過ぎると、地方の区民新聞感覚になってしまうのではないか。

どの国の誰が金メダルを取ろうと、その栄誉を等しく称えたいと、その技を堪能したいと、私は思うのだが。

ただ私には選手により好き嫌いがあり、この選手なら応援するが、この選手にメダルは取らせたくない、という風な訳の分からないえこひいきが存在するのは我ながらいただけない。

しかし、最近は、選手が日本人の民族主義のプレッシャーに屈することなく、自分の負けず嫌いのために戦っている気がするのは、せめても幸いなことだ。

もうすぐ始まるオリンピック、静観するか、はまるか、さあどちらだろう。

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