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12/4 障子の張り替え
12/8 足利尊氏は後醍醐天皇の怨霊を恐れたか
12/15 京都検定!で大騒ぎ

12/15 京都検定で大騒ぎ

師走の京都は、いつもなら顔見世で始まり、筆供養、針供養、大根炊き、踊念仏に事始め、と古いシキタリで慌ただしく過ごすが、今年は時ならぬ「京都検定」で、そりゃもう大騒ぎだった。

まず京都検定が実施される、と発表されたら問い合わせが殺到、公式テキストブックが発売されるや、京都の書店では同時期に発売された「ハリポタ」を抜いて、ベストセラーのトップに踊り出た。
と思ったら、テキストブックに74ヶ所もの間違いが発見され、商工会議所の責任者が謝るハメに。

京都ではテキストブックで勉強していたのに、と大ブーイングが起こり、今回は検定を止めろと不満が噴出した。
それでも何とか検定は断行され、予想を3倍ほど越える1万人足らずの人が試験を受けた。

7割は京都在住の人だったらしいが、青森県を除くすべての都道府県から受験者があったというから、まあ、観光がてら試験を受けるのも悪くはなかったかもしれない。

同志社・立命・大谷の各大学が試験場だったというから、大学機関の協力ぶりも足並みが揃っている。

 

なぜ、こんなに京都検定と、やかましいまでに京都市は血眼になったのだろうか。
ちゃんと校正をする時間を惜しんでまで間違いだらけのテキストをそそくさと発表しなければならなかったくらい急いだわけは。

会見で、商工会議所のおじさん(責任者)が間違いを謝罪した時の言葉、
「んー、ま、ちょっと多すぎましたな」

市民は激怒したが、私は京都らしいやと思った。京都訛りで、「ま、」のあとの、言葉を発する時の間の取り方が絶妙。
だから、しょうがないなあ、まあ京都だから…、と許してしまうなあなあな私たち。

ともあれ、これが宣伝効果になったことだけは間違いない。

京都検定に受かったからと言って、就職を斡旋してもらえるわけではない。
単に、京都の事をこれだけ知ってます、と威張れるくらい。

それでも、ホテル業者の人は、会社から受験を義務付けられるところもあったらしいし、タクシー運転手さんもかなり受験したという。

京都でタクシーを流すなら薀蓄は不可欠。ある程度の知識はないと、ということだろう。

そういうわけで、市民の欲求と、外部からの薀蓄自慢と、市の思惑とが見事に合致した形になった。

 

これは新種の京都宣伝なのだ。

今日日、普通の神社仏閣を巡るだけの観光では、こんにちの観光客は振り向いてくれない。
いかに、京都がウンチクに満ちた都市であるか、どれだけの曰く因縁に象られているか。尽きることのないエピソードを内外に示す、京都検定はそのよい機会になったというわけだ。

京都は観光都市として、京都という商品を売り物にして、生活して行かなければならない。
京都という幻想を、商売にしている都市なのだ。

だから、どこまででも京都がいかにすごいか、いかに特殊か、いかにほかとは違うか、をアピールしなければならない。
京都という商品を美しく塗り固め、包装し、デコレーションして、どうぞお召し上がり下さい、と、客の前に出す。

京都は美しくあらねばならないのだ。客の気を引くように、あくまで美しく、いつまでも美しいままであらねばならない。客の興味をひき、ひきつけ、気をそらさないという技術を持たなければならない。

だから京都は、高級娼婦のように、つんとすましているように見えて、巧妙に客を誘うのだ。
あの手この手で新しい客を獲得しようと虎視眈々なのだ。
果して、新しい客は、京都という娼婦を買うのだろうか。

 

12/8  足利尊氏は後醍醐天皇の怨霊を恐れたか

だいぶ前のことになるのだが(…とばかり言っているような気がする)思い出したので書いておく。
京都新聞に、足利尊氏が、天竜寺に後醍醐天皇の霊を慰める神社を作っていたらしき跡が発見された(大意)、というニュースが載っていた。

天竜寺といえば、嵯峨にあるあれだ。私は行ったことがない。しかし多くの人が行ったことがあるであろう。
その一角に、大きな鳥居の跡が発見された。それが、後醍醐天皇の霊を弔うためのものであったかどうかは、はっきりしないという。しかしその穴の大きさから、かなりの大きな鳥居であること、かなりの規模であることから、きわめて身分の高い人を奉ったものに違いないと想像できるらしい。

新聞の見出しには、「尊氏、後醍醐天皇の怨霊を恐れる」
現代の新聞かと思ってしまうような言葉が踊っていた。

陰陽師の流行以来、魔界都市や怨霊が一般化したので、そんなタイトルをつけて、しゃれてみたのだろう。

この記事は、新聞の一面と、丁寧なことには最後のページにも関連記事が載っていた。京都の新聞では、このような記事がトップ扱いになる。大変興味深いことだ。全国の人は、この記事を知りもしないだろう。

京都新聞というのはとても面白い新聞で、地域密着型地方新聞なので、いつも徹底的に京都地方の話題優先だ。だから、尊氏とコイズミ首相が同格の扱いだ。

とにかく、京都というのは時間軸が無茶苦茶である。足利尊氏であろうが、桓武天皇であろうが新聞のトップニュースを飾る。今だに彼らは京都では健在なのであろう。少なくとも、ニュースバリューのある存在なのらしい。

 

ロシアが京都議定書に判を押した、ということは、けっこう全国的ニュースだったかもしれない。

「京都議定書」というのは、数年前、地球温暖化防止会議が京都で開かれ、その時に出された温暖化防止案で、のちにアメリカ(ブッシュである)が、批准を拒否したため、なかなか実行することが出来ないのでロシアにお鉢が回って来たものである(大意)。

会議が行われたのがもう何年も前なのに、京都議定書はまだ批准されていなかったのだ。
その間にもオゾン層はどんどん汚れ、温暖化は進み、災害が多発しているというのに。

我々、京都に住んでいる人間は、この会議が京都で行われたということから、そして、議定書に京都という名が冠されていることから、このことに関してとても関心が高く、どうなっているのかを気にしていた。
ブッシュが拒否した時には、京都人は確かにこの大統領を憎んだはずである。

せっかく、京都で会議をして知恵を出し合って決めたことなのに、それをいっさい無駄にするとは。
いや、無駄にするならまだましだ。彼(ブッシュ)は、それをまったく無視したのだ。
自分の国の利益だけしか考えず、全地球的な未来のことなど何も頭にない。明日地球が滅びようとも、彼(ブの字)は、アメリカがどれだけ儲けるか、アメリカがいかに世界の頂点にいるかにしか関心がないのだ。
京都人としては憎んでもあまりあるブの字である。

 

12/4  障子の張り替え

障子を張り替えてもらった。

近所、というか、うちの向いに表具屋さんがあって、そこに頼んだのだ。
店を出しているというわけではなく、ただ表に表具屋の看板(もちろん和風)が出ているだけの普通の住宅だ。
でも、襖や、障子や、掛け軸や衝立などの表装を手がけている。あまりにも静かなので、本当に活動しているのか分からないくらいだが、人知れず仕事をしておられるらしい。

うちの近所はサラリーマンが少なく、祇園で料理屋やホステスをやっている人とか、扇子折り業などが多い。無人の家も多いが。あとはお寺さん、提灯屋さん、金具職人とか、なかなか個性的である。
カタギの人はほとんどいない。

それはともかく、昔は障子の張り替えは自分たちでやった。襖の張り替えさえ一度やったことがある。これは母も無謀だと思ったらしく、一度でやめになった。

障子には昔は規格があって、どの家も同じ大きさで、同じ桟の数だった。

部屋へ入る時に障子をあける際、手をかけるのにちょうどいい高さの部分の枠に、対角線に切り込みを入れ、ペケ印に障子紙を切る。そして障子の枠に合わせて折り線をつけ、裏打ちの紙をもう一枚裏側から貼る。そうして、持ち手をつけたものだ。
ひと部屋に4枚の障子のうち、2枚にそのように、持ち手をつける。
襖の引き手のようなものだ。それを自家製で、自分たちで作るのだ。

糊は、たしか、糊の粉を洗面器に溶いて作った。いや、ビニール袋入りの糊を水で薄めたのだったかもしれない。
それを刷毛で、障子の桟に塗る。あまり塗りすぎると、障子紙に跡がついてしまう。糊が少ないと、紙が障子に貼りつかない。なかなか簡単なものではないのだ。

子供の頃は、障子に穴を開けて遊んだりするから、家はしょっちゅう張り替えをしなくてはならなかった。

 

今は障子を入れている家庭自体が少ないかもしれない。

今、うちの家の障子は部屋ごとに大きさが違い、枠の大きさが違う。困ったことだ。
本当の障子というものは、ひとつの枠の大きさが横広で、比率が1対2だった(いいかげんに言っている)。もう少し幅広だったかもしれない。
美しい長方形だったのだ。正方形の枠の障子なんて、本物の障子ではない。

私の部屋の障子も、にせ障子だ。障子めかしてはいるが、本物の障子のあの、シブさはない。
本物はもっと情緒があったんだよな、と思いながらにせ障子を眺めている。
大人になったから、破くことはなくなったが。

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