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11/3 天変地異
11/10 東大路通のパーク・アンド・ライド実験
11/14 世界遺産は何のためにあるか

11/14 世界遺産は何のためにあるか

先日、紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録され話題となり、とたんにこの参詣道が日本全国の注目を集めることになった。

世界遺産とは何のために指定されるのだろう。

世界遺産に登録されるということは、そこを、指定された時の状態のまま保つ。それを次代に引き継ぐ。そういう義務が生じるだろう。

けれども、日本の現在の熊野古道ブームを見ていると、世界遺産に選ばれたので、みんなで観光に行こう、と、新しい観光地を見つけたくらいのノリである。
世界遺産とは、観光誘致のために登録されるかのような認識だ。

もちろん地元も、世界遺産に登録されたというので例によって町おこし、「観光振興、景気回復の起爆剤」としか考えていないらしい。

世界遺産はもともと、世界のある地域(どこか忘れた)が、開発のため破壊されようとして、それを守るためにユネスコが決定し、そこを保存したのが始まりだという。これ以上、地球の財産を破壊されないために。

しかし日本だけでなく、世界遺産に登録されたということが、観光誘致に繋がることから、世界中が「世界遺産」というお墨付きを観光に利用している。
すでに世界遺産という言葉は、観光のための惹句となっている。

それは、しかし結局ちょっと違うと思うのだ。

 

京都も世界遺産に登録されており、それを大いに利用している。
けれども、京都は、その保存にも神経を使っている。

京都は、歴史のある都市であり、それを観光のウリとしている。だから、それがなくなると大変である。
そういう事情から、おのずと過去の遺産は大事に保たなければならないという義務感を市民は抱いており、そのために、保存の意識は高い。
こういうことは京都が率先して、日本の各地ににさきがけて、文化財の保存と、そのやり方を手本として示していかなければならない、そういう使命感を京都人は持っている。

熊野古道は、自然遺産と文化遺産の複合遺産だから、保存はもっと大変な事業になって来るだろう。
観光地として栄えることによって保存が可能なのか。観光のために自然が破壊されてしまったのなら、まったく逆の効果になる。

 

人が、世界遺産に登録されたくらいに素晴らしいものならぜひそれをこの目で見たい、という気持ちは理解できる。

けれども、自然遺産の場合、都会に住んでいる人間が、物見遊山で行ける場ではないことも多いだろう。

テレビでは、絶海の孤島や、行くのに何時間もかかる秘境などを何の苦もなく見ることが出来る。
テレビの画面は、それが、自分とその地との距離感を教えることなく今自分がそこにいるかのごとくに、世界の秘境を映し出す。
だから、人々は物見遊山でそういう場に簡単に行けると誤解してしまう。

 

ある日の新聞のコラムに、白神山地というところ(東北らしい。そこも世界遺産だという)に写真を撮りに行った写真家の文章があった。
ちょうど、東京からツアーの下見に来ていた人がいたらしい。その男は、「これじゃまるで登山だ。東京の人はびっくりするよ。一体どれが世界遺産なんだ」と、地元ガイドの人に言ったという。

下見男は、「東京・池袋からのグループを、エスカレーター感覚、スタンプラリー感覚で苦痛なく山地に運び」、楽に世界遺産を見せたい、という希望であったらしい。
まさにテレビ感覚で自然遺産が見られると思っている。いや、そのように見られないと駄目らしい。
これだから東京に住んでいると人間が駄目になるのだ。
東京に住むことがステータスであると考えている東京都会人は、日本でもっとも駄目な種族である。

 

熊野古道のある地域に、タレントのイーデス・ハンソン女史が住んでいるらしい。

彼女が、「自然を人間の精神面を満たす単なる道具としてみるのも大間違い」、と言っていた。

このことばは、私にとってもちょっと衝撃的なものだった。
癒されるために世界遺産の自然を見に行くという行為は、倒錯なのである。

自然とは人間の癒しのためにあるものではない。
人間のために自然があるのではない。自然は人間よりもっと先からあったのだ。

「人類は自分の基準をむやみと振り回しすぎではないかしら」と、女史は言う。

珍しい風景がテレビに映れば、エスカレーターでそこに行けると思っている。エスカレーターでしか行けないと言う人間には、世界遺産を見に行く資格はなかろう。
どうせ、そういう手合いが煙草のポイ捨てをし、ペットボトルを捨て、ごみを放置し、空き缶を散らかして帰るのだろうし。


参考 京都新聞 2004年11月10日 現論 イーデス・ハンソン
     〃     2004年11月10日 現代のことば 井上隆雄

 

11/10  東大路通のパーク・アンド・ライド実験

書くことは沢山ある。さて何から書いてゆこうか。

京都は観光シーズンに突入した。

台風禍で嵐山の保津川が岩に遮られて保津川下りが出来なくなるなど、ちょうど観光シーズンに打撃を蒙った形になったが、それでも京都はシーズン・インで観光客誘致に必死になっている。

私がもっとも気になるのが、東山のパーク・アンド・ライド実験である。

パーク・アンド・ライドとは何か。

京都に住んでいる人なら、ここ最近何度も聞かされて、もうすっかりおなじみになった言葉だろう。

ある地点までは車で行くが、そこからは車を降り、公的機関の電車なり、バスなどに乗り換えて目的地へ向かう。
人出が多く道が混雑する時には、その方が時間が短縮出来、渋滞のストレスを感じなくて済む、ということである。

車を降りる地点には、駐車場を設ける。それでパーク・アンド・ライド。
これは西洋の市街などで実施され、成功しているという。

ある市に入る時、車を、設けられた駐車場に置いておき、市内を移動する時はすべて市の交通機関を使用する。
交通渋滞の緩和の他に、排気ガスなどによる空気汚染も防ぐ、ということである。

 

常々、東大路通の混雑と渋滞には、目を覆うものがあった。

もともと道幅が狭い上に、東大路通には銀閣寺をはじめ清水寺、南禅寺、哲学の道など京都でも第一級の観光地が集中しているので、狭い道をつねに観光バス、自家用車、市バス等が入り乱れていて蟻の這い入る隙間もない。

東大路通の道幅が狭いのは昔ながらの道のままであって、今さら両側の家屋に立ち退いてくれとは言えないこともある。
堀川通や烏丸通などの半分くらいしかないのではないか。
あんなに観光地が目白押しで、京都でも交通量が抜群に多い通りなのに、最も狭いメインストリートなのだ。

日頃(普通の日)でさえ渋滞しているのだから、日曜日や祝日になると軽く2時間くらいの渋滞になる。
観光シーズンになるとどうなるか、考えるだけで恐ろしい。

よく観光客が文句も言わず渋滞に耐えていると思う。私なら耐えられない。

シーズンになると、となりの河原町通にまで影響して、河原町が渋滞するくらいだ。
東京や大阪などの都会の人は、日頃渋滞に慣れているから、2時間や3時間の待ちなど何とも思わないのであろうか。

この東大路通の慢性大渋滞に、市も気づいていたらしい(そら、気づくだろう。馬鹿でない限り)。

そこで、この東大路通で曜日を限って実験的にパーク・アンド・ライドを実施することになった。
(11月中旬の土曜日・日曜日など)

 

以前、京都の新聞に、東大路通に市電を復活させるかもしれない、という記事を発見したことがあり、それを読んだ時、軽い眩暈がしたのだった。

今でさえあんなに慢性渋滞なのに、この上、市電を走らせるってか。
確かに、随分前にはここにも市電が走っていた。けれどもそれでは渋滞するからと言って、市電を止めたのではなかったか。止めたものをまたわざわざ復活させるのか。何を考えているのだ。

だが、よく考えてみれば、その市電というのが、今回のパーク・アンド・ライド構想の、最終的な完成形なのであろう。
LRTとか何とか言うらしい。

西洋の都市では成功しているというから、あながち夢物語だけでもなさそうである。

私は、もともと京都を車(自家用車、タクシー)で観光すること自体に反対である。
京都は歩いて小路を巡ってこそなんぼ。車でお手軽に観光地ばかりを巡っても、楽ではあろうが、それでは記憶には残らぬだろう(このことは、いつかじっくり別項にて書きたい)。

いつだったか、これもだいぶ前になるが、マイカー禁止などという運動も、一時あったことがあった。しかしそれも途中でうやむやになったのではなかったか。
おそらくマイカー(死語)を禁止したら、観光客がぐっと減ったのではないか。

それならばと、今回、京都市までは車でお越し下さい、けれども京都市内に入ったら、京都の交通機関を使って下さい、という案が浮上したものなのであろう。

 

実は、すでに鞍馬地域では、小規模なパーク・アンド・ライドが始まっている。
鞍馬や貴船へ行くには市民は普通、えいでん(叡山電鉄)を使う。

観光客は、そのまま観光バスで登っていたらしい。しかし道が細いので、大型バスなどはきわめて通りにくく(すれ違うことが出来ないらしい)、かねてより不都合が多かったそうだ。それで観光バスなどは、鞍馬の入り口でいったん降り、叡電に乗り換えて行ってもらう、という試み。
来年の大河ドラマが「義経」なので、鞍馬が人気が出そうだというので、この試みを取り入れたようだ。

今のところ、電車代をよけいに払わなくてはならない等、不評か、もしくは有効に活用されていないということだ。

これには、市民の協力と、何よりも観光客そのものの理解と協力が必要なのだろう。
自分一人くらい、といって車で強引に(市内に)入ったりする奴が出て来れば、せっかくの企画も大なしである。

京都の交通には、京都なりの作法というものがある。

鞍馬へ行くには叡電で、嵐山には嵐電(らんでん)で、東寺へ行くには近鉄奈良で、東福寺には京阪で。

嵐電(京福電鉄)の古い車両でゴトゴト太秦を走ってこそ、ああ、洛西に来たのだなあと思えるはずである。ひいては、京都へ来たのだなあと感慨にふけることが出来るはずである。車でさっと行ってしまえば、そんな美しい感慨もなにもあったものではない。路面電車に乗る、ということも、京都観光の一部ではないだろうか。
どこにあるのだろう、と地図で探しながら歩くこともまた、観光の一部ではないだろうか。

観光客に、もっとより良い観光をしてもらうためにも、パーク・アンド・ライド運動をぜひとも成功させたいものだ。

 

11/3  天変地異

昨今の日本における天変地異が問題になっている。

梅原猛さまは京都新聞紙上で、この天変地異の原因の何%かは天災ではなく、人的なもの、人災であるとして、民主主義行政の行き詰まりを指摘している。

ソビエトが崩壊した時に、梅原氏は共産主義が敗北(破綻)したように、民主主義も近く敗北するだろうと予言したそうだ。

確かに、これまでは開発することが善だとされて来た。
人間が自然を克服し、それを支配することが良いことだとされて来た。
日本列島を改造し、GNPを上げ、古里を創生し、全国津々浦々まで鉄道を通し、電気をつけ、ガスを完備し、水洗トイレをつけることが文明であり、それがなされて当然であり、国が第一になすべきことだった。

しかし昨今の災害のこのありさまはどうだろう。

クマの出現は、なぜ起こったか、ひとつの原因として、人間が山を開発し、森を破壊し、人工的な植林をし、レジャーのためにゴルフ場を建設したことにあるという。

 

これまでは、それが良いことだとされていた。だから、それをとやかく言うべきではないのかもしれない。
未開の土地を開発し、人が行き来できるようにすることによって、そこが発展し、人の生活が潤う。

そのことに、今までは誰も疑問に思わなかったし、文句を言わなかった。政治的に奨励されていればそれが正しいことだと思わされて来た。

だが、そうした開発の思想が既にどこかで、本当はとっくに破綻していたのだ。

 

中国が自然保護のため、備長炭の輸出を規制すると言い出して、日本が慌てふためいた。なぜ日本人が慌てたかというと、これからは炭焼きの焼き鳥を食べられなくなるからだという。
情けなくて、何を言う気も起こらない。

日本国民は、どこまで我ままで、自分勝手で、自分以外のことは何も考えない人種なのか。完全な個人主義のはき違えで、明治以来の西洋の自由主義の考えの取り入れ間違いだ。

 

人間が何でも出来る、何をしても良い、という考え方は間違っていた、ということに、だんだん人は気づき始めたのだろう。

自然は克服出来たのか。地震は予知できるのか。

東海地震は起きると言われているのに今だに起きず、いや、起きたとしても、予知のカケラもなかった新潟の地震が起きたのは事実だ。全然予知が出来ていないではないか。
自然は克服できないのだ。出来ないものなのだ。

自然とは、人が克服すべきものではない。人はそれを畏れ、うやまうべきなのだ。
自然に逆らってダムを建設したり、穴を掘って地盤をゆるめたり、目先の便利や開発にはいいだろうが、いつかきっとしっぺ返しが起きる。そういうことを、今回我々はいやというほど学んだのではないか。
もうそろそろ、人は何をしても良い、自分のことだけ考えていればいい、という態度を改めなければならない、ということが分かったのではないか。
このことをこれからの、日本人のあり方に生かしてゆかねばならないはずだ。

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