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5/3 人が切符を売る近鉄京都切符売り場
5/11  関西最新コマーシャル

 5/11  関西最新コマーシャル

最近の関西のテレビCMでまたまた面白いものがあった。

ひとつはオセロの白い方(名前知らない)がクレオパトラの恰好をしているケンミン(多分)のインスタント焼きビーフンのCM。
(ちょっと前まで頻繁にやっていたが、今はもう放送していないようだ)

カップラーメンと同じように、お湯を注いだだけで出来る焼きビーフンのCMで、オセロのクレオパトラが、奴隷(のおっさん)に

お湯を注いでクレオパトラ、と命令する。
おっさん奴隷が、ゴポゴポとお湯を注ぐ。でもなかなか注ぎ終わらない。

クレオパトラ= はようしてクレオパトラ
おっさん奴隷= ちょっと待ってクレオパトラ
クレオパトラ(じれて)= はようしてクレオパトラ
おっさん奴隷= 怒らんとってクレオパトラ
クレオパトラ(あたりを見まわして)= 誰か代わったってクレオパトラ!

べたべたの内容だけれども、オセロクレオパトラの演技が上手くて、見る度に笑える。彼女はクレオパトラにぴったりできれいだ。このきれいなクレオパトラがベタベタな大阪弁でおっさんをなじるのがおかしかった。

 

真面目なCMでは、いいんじゃないか、ガスとビートたけしが言う大阪ガス。

大阪ガスの宣伝だからきっと関東地方では流れていないのだろう。全国区のたけしをどうして起用したのか分からないが、天然ガスのブランドイメージアップを計ったのかもしれない。
(関東では、大阪ガスの部分を東京ガスとかに差し替えているのだろうか。東京ガスってあるのか?)
まあ茶の間に原子力を宣伝する関西電力より、ずっといいかも。
ちなみに大阪ガスのガスレンジや暖房などの身の回り品のCMには水野真紀が、関電は岡江久美子が起用されているが、おかげで関西地方は水野真紀のイメージがアップ、岡江久美子はぐんとイメージダウンした(と思っているのは私だけ?)

 

関西のCMといえば、美容整形のものを頻繁に目にする。

たいてい、整形外科の病院の名前を連呼する歌を流すだけの、無名の素人を使ったものだが、あさひ美容外科は、かつみさゆりを使うようになった。
さゆりちゃんがちょっとしたバレエを踊っている。かつみが踊れたんか、と陰で驚く。視聴者もさゆりちゃんはバレエを踊れたんだ、と驚く。あと、頭のひまわりのヘアアクセをぼよよーんとはじくのは、かつさゆのおなじみのギャグだ。
バックには、例の、

あさひあさひ、あーさーひ、あさーひ、あさひ美容外科♪という歌が流れる。

有名なのは川崎クリニックで、これもクリニック名を連呼する歌がつく。

川崎、川崎、川崎、クリニック
川崎、川崎、か・わ・さ・きクリニック♪

という歌だ。

これの最初のバージョンは、川崎クリニックに勤めているらしいピンクのナース服を着た女性たちがワンカット何人かずつ出て来て歌を歌っていた。
このCMを見た関西人全員が、おまえらが整形せい、と突っ込んだことで有名なCMだ。

最近の新しいバージョンは、町をゆく小学生の子供や、女子高生や、繁華街のおばさんたちがワンコーラスずつ歌うのになっている。
全員素人のようだが、微妙だ。多分CM契約しているセミプロだろう。
最後のおばさんなどは、そうとう慣れている感じがする。

関西CMのCMソングは実によく出来ている。誰が作っているのだろう。きっと何割かは"なにわのモーツァルト"キダタローであることは間違いないと思っているが。

最近の関西CM界の大ヒットは、茜丸のCMだと思う。

商品名は覚えいてなくても、

ああほんま、
あーまんま♪

という歌で、あああれか、と関西の人なら思い当たるだろう。

初め見た時は、何のコマーシャルだか、さっぱり分からなかった。

素人っぽいおじさんが、海辺で白いピアノを弾きながら、CMソングを歌っている。
そのかたわらで、奇妙な5色の全身タイツを着た5人の子供が何やら踊っている。

というCMなのだが。

なぜ海辺?なぜ白いピアノ?なぜ5人の子供?全身タイツ?

と意味不明のCMだった。

歌は、

ああほんま、あーまんま
あのでっかい夕焼け見てみいな
茜が、人生応援しとる♪

という。

実は、5色の豆入りどら焼きのCMであった。
だから5人の、5色の全身タイツなのだった。

 

私は、あのCMに出ているおじさんが、京都ローカルのテレビ番組に出ているのを見た。
あのおじさんは、何と茜丸の社長であった。

髪を紫に染めているのだが、なぜかと聞かれて、一番偉いもんは紫なのだと言っていた。

口の立つおじさんで、典型的ななにわの商人という感じだ。
大阪の人は、とくに商人の人は話が面白い。さすがに人心掌握術にたけている。

社長自らが宣伝に買って出るというのは、京都ではのぶちゃんマンも有名だが、京都のあれは、少し悲愴な感じがする。
あの扮装を見ていると、笑うよりも、ちょっと引いてしまう。やる気が出すぎて、くどい。無理無理なところがあるような気がしてならないのだ。
その点、笑いに関してはエキスパートである大阪は、いい感じに力が抜けていてさすがだ。余裕があるし洗練されている。

 

社長は、経費節約のために自分がCMに出た、と言う。
あのCMのおかげで茜丸も売れているそうで、大変良かった。
(社長自らが作詞して、歌っているのだ。)

私は早速茜丸を買って来て、食べてみた。おいしかった。


これが茜丸
他のどら焼きより
少し高い(150円)

 

 5/3 近鉄京都の切符売り場

先日とても久しぶりに、…何ヶ月ぶりかで、近鉄に乗った。

そうしたら切符売り場が変わっていて、自動券売機になっていた。いつの間に変わったのか知らない、行ってみたら変わっていたのだ。

近鉄はこれまで手動で、というか、人が切符を売っていた、稀有な電鉄会社であった。
しかも京都駅という、京都の玄関口で、である。

京都は仮にも六大都市の一つに数えられる、日本有数の都会…ではなかったか。その都会の、各府県からの来京者を迎える玄関口である京都駅で、人が、ちまちまと切符を売っていた。
これが笑わずにいられようか。

他府県から来た人に、近鉄京都駅の切符売り場を案内すると、必ず笑いが取れた。

いまどき、自動切符売り機でなくて、人が切符を売っている都会があっただろうか。

尤も近鉄の入り口はいくつかあって、八条口などではちゃんと券売機が設置してあり、人並みである。人が売っているのは京都駅西口に限られていた。
それでもそこは近鉄にとっては正面入り口で(しかも新幹線の乗り場の向いだ)、券売機はいっさいなく、窓口が5つか6つあって、すべて人が応対しているのであった。正面入り口で切符を買うためには、必ず窓口で、売り場のお兄さんに声をかけなくてはならなかった。
もしかしたら、近鉄はそれをウリにしていたのかもしれないとさえ思う。

「近鉄は、人が切符を売っています」と。他では見当たらないサービスです、と。
あるいは、笑いを取るためだろうか。

理由は分からないが、ともかくも人が切符を売っている近鉄は、京都駅西口の名物であった。

それが、いつなのか知らないが、廃止されていた。

さすがに、人が売るのはもう古い、または効率的ではない、人件費がかさむ、などの理由にようやく気がつき、廃止されたものだろう。
あるいは、もうからない球団経営のとばっちりで、名前を売る代わりに人員のリストラをしたものだろうか。

窓口は撤去され、自動券売機を設置するために新たな工事が施され、すっかりさまがわりしていた。

人が売る窓口は、それでもひとつだけは確保されていて、そこで、人から買いたい乗客は買えるようになっている*(?)。あとは、タッチパネル式の券売機さえ登場していて、いっきに近代化を遂げていた。

*おそらく特急とか、特殊な乗客のための窓口だろう。

売り場近くにはガードマンらしき人か、案内係の人が何人かいて、まだ慣れない切符を買う客に説明したりしている。こんな人を何人か配置しているので、人件費の節約にはなっていないようだ。

 

そこで切符を買って、発見したことがあった。

券売機で切符を買う時には、行き先までの金額を、自分で確めてから買わなくてはならないということだ。

いつも近鉄で切符を買う時には、むかいじままで一枚、などと窓口のお兄さん(必ず若いお兄さんであった)に言うと、お兄さんが250円、と言って、それで、それだけのお金を払えばよいのだった。
自分では切符の値段を知らなくても良いのだった。

京都とて都会であるから、近鉄以外の電車では、皆券売機が設置されている。阪急も、地下鉄も券売機だ。
だから私は阪急や地下鉄に乗る時は、ちゃんと自分で行き先の金額を確めてから買う。私だってまんざらアホではないのだ。

でも、近鉄に乗る時はそれをしなくて良かった。いや、私だって事前に自分の行き先の値段くらい分かってはいるのだが、お兄さんがきっぱりと○○円、と言ってくれると安心して、それだけのお金を出すことが出来たのだ。

まんざらアホではないが、かしこくもないため、これは私だけの感覚かもしれないが、自分がそうだと思って切符を買っても、いまいち自信がないため、本当にこれで金額が合っているのか、そのような不安が券売機で切符を買う時には常につきまとっていた。
しかし、窓口で人から買う時にはそのような不安は感じないで済む。

要するに、機械ではなく、人が物を売るということは、客に対して、そのようにサービスを行なうことなのだった。

券売機は、言わばセルフサービスである。

それに比べて、人が売る切符は、ウエイトレスが席まで来て、何になさいますか、と聞くことと同じなのだ。
人が売ることは、セルフサービスではないサービスを提供しているということなのであった。

近鉄がそれを捨てた、ということは残念であるが、近代化の波には逆らえなかったのだ。私がそれをなじることは出来ない。

 

ただ、思ったことは、「人と人が対する」「向き合う」ということは、近未来社会ではサービスになってしまうのだろう、ということだ。

今、だんだん人と応対しなくても物が買える時代になっている。直接相対せずに物事が済んでしまう。

物を買うのは自販機で、銀行へお金を預けるのはネットで、人の顔を見ずにすべてが出来る。
その方が、人が窓口で応対するよりはるかに安上がりだからだ。

そうなると、人が出て来ていらっしゃい、何になさいますか、May I help youと、こちらに声をかけること、は近い将来、貴重なサービスとなってゆくだろう。それは、付加価値として、サービス料を請求されるものにさえなってゆくかもしれない。
ホテルがサービス料を取るように。
人に応対してもらうことは、贅沢なこととなるのだ。特権的なことになるのだ。確実に、そういう時代は近づいている。

 

人の顔を見て、人の声を聞きながら切符を買うことが出来た、出来る限り長くそのサービスを続けてくれた近鉄切符売り場に、私は心から感謝をしよう。

 

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