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3/6 ラストサムライと母
3/16 鳥インフルエンザとマスコミ/女子マラソン選考

3/16   鳥インフルエンザとマスコミ

鳥インフルエンザについては、絶対に書かないでおこう、と決めていた。
もし書こうものなら私のことだから口汚く罵り、書かずもがなのことまで書き、独善的な暴言を吐き、必要以上に熱くなり、そしていつものように後悔するだけだ、と思ったからだ。

けれども我慢の限界に達した。どのように思われようとかまわない。書かないではおられない。どうせ一週間もすれば忘れることだ。どうせスルーされるだろうし、誰も私の書いたことを真剣に読んではいないだろう。私が何を書こうと世間は知ったことではない。そのことに気を強くして、書きたいように書くまでだ。まあ、言いたいことを言えばすっきりするだろう。以降、どんな暴言を吐いても私は知らない。なーんも知らない。知らんけん。

鳥インフルエンザ。
京都のT地方の養鶏場で鳥インフルエンザが発生し、とある養鶏場はそれを衛生局(?)に申告しないで鳥が大量死していても出荷を続けていたことがばれ、マスコミの非難を浴び、責任者の会長が自殺した。
という事件である。

私が同じ京都に住む者だから会長を擁護しようというのではない(それもあるが)。
確かに、鳥が大量に変死していることを把握しつつ出荷を続けたことに対しては、弁護の余地がなかろう。
だけれども、私にはそんなことよりもっと、根本的に問題なのは別のことと思う。
はっきり言って、会長を殺したのは、マスコミである。

普通のサラリーマンでも良い、普通の報道関係者、でもよい。
ひき逃げ事件を起こしたとしよう。
正直に警察へ届け、自首して出る人間がいるか。ひき逃げ事件を起した人の半分くらいは、何も知らせずに逃げるのではないか。そのような新聞記事がしょっちゅう出ているのではないか。そうした人間に、会長を非難する権利はあるか。ゲーム感覚で万引きをする人間に、会長を避難する権利はあるか。
聖書は、罪のないもののみが石を投げろと言う。石を投げて良いのはマスコミではない。

マスコミは、なぜ知らせるのが遅れたか、また、なぜ大量死しているのに出荷を続けたか、と問うた。なぜか、など、いちいち彼に聞かなくても誰にでも見当はつく。隠したかったからに決まっている。
しかも、ひき逃げ犯のように、彼は人身事故を起したわけでもない。ひき逃げ犯のような罪を犯したわけではない。なのにメディアは、大量殺人を犯したかのように、彼を扱った。

翻って考えてみれば、問題は何だったのだろう。

 

ひとつには、明らかに、人間のおごりがある。
人間さまは、人間さまのためなら鳥を何十万羽殺すことも平気なのである。

鶏は、確かに人間に肉や卵を食べられるために組織的に飼育されている。だから彼らに対しては動物、とか、生き物という感覚が、人間さまにはないのである。
それは、単なる食料である。だから、殺したことにはならない。ただの、単なる「処理」である。オウムがサリンで自分たち以外を人と認めず処理したのと同じだ。ヒトラーがユダヤ人を人と認めず、処理したのと同じだ。人間さまは、全員が地獄へ落ちるであろう。
人間は鳥を何十万羽殺すより、その鳥を食べてインフルエンザにかかり、死ぬべきであろう。その方が地球にやさしい。
私は、卵が好きであるから、卵を食べて鳥インフルエンザにかかるのなら本望である。

*

 

京都でカラスが鳥インフルエンザにかかっていたと発表された。

京都に修学旅行に行くが大丈夫か、と問い合わせがあるという。給食に鶏肉や卵を控えるという学校が増えているという。
(このことを報道しているのも、「京都新聞」という、新聞である。)

そこらに飛んでいる鳥は野生である。
人間のように、風邪のためのワクチン注射などはしていないだろう。どのような病気になったとしても、野生なのだから医者にかかって治そうなどという気はないはずである。ほったらかしで生きているのだから、それは病気になっても放置であろう。どんな病気にだってなるかもしれない状態だ。
インフルエンザが流行れば、インフルエンザにかかる鳥もそれはいるだろう。
それだけの話ではないか。

今まで、野生の鳥や、カラスがどのような病気になったかなど、誰一人として注視した者などいない。それなのに、鳥インフルエンザというだけでこの有り様である。
私は怒りに震えて、まるでちゅうぶのような状態である。

なぜ、たかが鳥の病気で人間がかくもパニックになるのか。

さらに腹が立つのは、ニュースや新聞が、「鶏肉を食べ、卵を食べても鳥インフルエンザが人間にはうつらない(うつった例はない)ので、くれぐれも風評には惑わされないように」などというようなことを、さんざん恐怖を煽ったあとに、とってつけたようにつけ足すことだ。
風評、などというのは、マスコミ、お前らが作るのではないか。そうだろう。
お前らがいたずらに恐怖を煽るからだ。
だから、私たち人間はいらない情報のせいでこのような愚かなパニックに陥るのだ。

鳥インフルエンザで、鳥が1万匹死ぬのがそんなに人間にとって怖いことなのか?
インフルエンザにかかった鳥の肉を食べても人間が死ぬことはない、そうであるなら、このように連日マスメディアが大騒ぎする必要が果してあるのか。

このパニック状態を、私はどこかで経験したことがあったと思った。

もう詳しいことは忘れたが、雪印事件というのがあった。
確か異物混入事件ではなかったか(詳しいことは忘れたので正確ではないかもしれない。この時も私は日記に書いた)。

この時も、新聞は毎日、今度はどこそこのメーカーの飲料に異物が入っていたの、どこそこから異物が検出されたのと、大騒ぎしていた。普段なら、決して気がつきもしないことを重箱の隅をつつくように大騒ぎして書きたてていた。
今、異物や異臭を問題にする人間がいるか。

その時だったからこそ、新聞はニュースバリューがあるとして、そのような記事を載せたのだ。
そのような瑣末なことを、果してメディアが伝達する必要があったのか。
今から一年後、カラスが公園で死んでいて、誰がニュースにするだろうか。
一年前は、SARSで新聞は大騒ぎしていた。日本には流行しなかったにも関わらず。今、マスメディアはSARSの可能性などそっちのけで鳥インフルエンザに夢中である。

 

長嶋茂男氏が脳梗塞で倒れた、というニュースが全国的に流れた。
ニュースは、連日長嶋氏の容態を詳しく、念入りに報道する。
私の知る限り、一人の日本人が病気に倒れ、このように連日報道される例は、天皇陛下の下血の時しか知らない。
長嶋茂男は、天皇陛下並みの扱いであり、ニュースバリューなのか。そんなことは、日本人個人一人一人が判断するのだ。マスコミにとって長嶋氏がどれだけ大切なのかしらないが、そうでない人間も世間には大勢いる。
それを何も考慮しないで、日本人すべてがそうだと決めつけている報道には疑問を感じる。
こんなのは、マスコミによる言論統制だ。情報統制だ。ファシズムであろう。そういっても差し支えないくらいだ。


と、言うようなことを書いたら、すでにこのニュースは古くなってしまった。今はもう誰もが鳥インフルエンザの事など忘れてしまって鶏肉をむしゃむしゃ食べているだろう。

今はオリンピックアテネ大会の女子マラソン選考の話題で持ちきり(?)だ。そこでこの話題に触れることにした。
即ち高橋尚子選手がアテネに選ばれるか、選ばれないか、がマスコミの話題だった。
結局、アテネ女子マラソンの興味は、高橋選手が出るか否か、の興味だけで、他のどの女子選手が出ようと、(マスコミ的には)知ったことではなかったのである。

私的には高橋選手が選に漏れて良かった、であった。
あんな悪いタイムで、しかも名古屋のレースにも欠場したのでは、問題にならない。
あんなタイムで勝負しようなどとは、思い上がりも甚だしい。
というか、「金メダリスト」が、オリンピック出場のために二度も選考レースに出ることには、自尊心が許さなかったのかもしれない。
もし高橋選手がアテネに選ばれていたら、メダルを取ることは可能だろう、とは思う。
これまで早々と内定が決まっている選手に限って、オリンピックでは何の活躍もしていないのだ。
それよりはオリンピック経験のある人の方が精神的に強い。粘りを発揮するだろう。と思うのだ。
年をとっているというが、マラソンに年齢は基本的にあまりないのではないか。むしろ年を取った方がマラソンの駆け引きが上手になる。

しかし、名古屋に欠場する、と決めた時点で、高橋選手は守りに入った。がむしゃらに、何が何でも選んで欲しいという態度ではなく、相手の結果待ちという、こすい手段に出たのだ。
このことは作戦とか戦術としては当たり前に行なわれることではあるのだろう。
しかし、欠場の時点で、「過去の栄光」だけで勝負をしようとした、この精神がふやけていた、と感じざるを得ない。
こういう、人をなめた態度では選ばれるわけがない。選ばれてはならぬのだ。

まあはっきり言って、私はもともと高橋選手が好きではなかった。というか、嫌いだったのだ。
国民的には人気があるが、私は何となくあの笑顔が、人を食っているようで好きになれなかった。出来るなら、オリンピックであの笑顔を見たくない。だから、選に選ばれなくてほっとした。

もし選ばれたていたら、今以上にまたマスコミが見苦しく騒ぐだろうことが簡単に予想出来て暗澹とした気持ちになる。
選ばれなかったら選ばれなかったで、マスコミは騒ぐのだが。
結局、マスコミは「シドニー金メダリスト」というネームバリューだけで騒いでいるのだ。

 3/6 ラストサムライと母

「ラストサムライ」が封切られてすぐ、トム・クルーズは好きではないが見に行きたいと思っていた。
あの福本清三氏が出演なさっているのだ。日本人として見ないわけにはいかないだろう。見ないなら日本人として、仁義にもとる。

サムライの話であるから、母に見に行くかと水を向けて見るとさほど関心はなさそうだった。
しかし、渡辺謙がアカデミー賞の助演賞にノミネートされ話題騒然となったせいで、それで関心が出て来たようだ。
いこか、と言う。
それで母と見に行って来た。
まだアカデミー賞の発表前である。

大変満員でチケットが取れず、時間をずらさなくてはならなかった。年配の方が沢山おられ、いつもの映画館と雰囲気が違う。

帰って来て、母に幕末から明治維新期について、講釈を受けた。

実は私は明治維新や幕末のことはほとんど何も知らない。映画を見ていて、どうやらこれはフィクションらしい、などと呑気に思っていたのだから。

あんなん、ほんまにあったん?と母に訊いたら、あんなんはない。と一笑にふす。

あのころはややこしいんや、と母。
薩摩と長州がけんかしていて。それでくっついたり離れたりしていた。

薩長同盟というのがあったな、と私。

うんそうや。それが幕府を…。
地方の殿様というのは、全然力がなくなってしもてた。

幕府がよれたら、幕府と一緒に殿様もよれてしもたんやな。と私。

そうそう、長州とかいうのは武士というても下級武士や。これまで幕府では全然力がなかった。
そやけど頭が良かったんや。いろいろ勉強してた。

松下村塾…やな。

そうや、吉田松陰とか。世界のことを勉強して、日本の将来のことをいろいろ考えてた。
それで明治維新になったら、長州が実権を握って、薩摩と別れた。
(この辺、母の発言忘れた。大体こんなことだろう)

西郷さんは九州へ戻ったんやな。(NHKかどこかでやっていたから私も覚えているのだ)
そしたら、カツモトというのは西郷さん…

まあ、そうやな。と母(苦笑)。

母が苦笑するのは無理もない。外国の連中が(日本人の私にさえ)分かりもしない日本の維新のことを映画にしているのだ。ぎこちないというか、無茶苦茶なのは致し方なかろう。
これで私もあの映画が架空のことだと分かった(今ごろ分かるなよ)。

ところで、そんなに渡辺謙、良かったか?と母が訊く。

うん、良かったやん(うっとり)。助演というより主演のようやったけど。

そうか?それより、あの…

真田広之?

うんうん、そう。あの人の方が。

うん、あの人は良かった。身のこなしが引き締まっていた。

母は、渡辺謙をあんまり買っていないようだ。真田広之がいたくお気に召したようだ。

 

しかし西郷さんというのが、大人物だというのは分かっている。
分かっているけれどもルックスが私にはちょっといたい。どうもあのルックスで思い入れが出来ないのだ。
それよりは、あのカツモトのような人だったら許せる。断然カツモトの方がよい。当たり前か。
実在の人物が俳優のようにかっこ良いわけはない。

ただフィクションだからといって映画の価値が下がるわけではない。
黒澤の映画「乱」だってフィクションだ。
「マクベス」を日本の戦国時代によくアダプトできるものだ、と感心したくらいだ。
黒澤はなんて頭がいいんだろう、とあの時思った。
私が日本史が苦手なものだから、戦国時代を舞台に架空の話をでっち上げるのが、私の頭脳には不可能だから、黒澤すごい、と思ったのだ。
今度の「ラストサムライ」だって、でたらめにしろ、異国の複雑な開国事情をふまえてここまでのエンターテインメントにしたてたのだ。あれこれくさすより、そのことの驚異を私は賞賛したいのだが。

 

まあ何にしろ、母にいろいろ維新について訊けたのはなかなか収穫であった。

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