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04/1/16 よせばいいのに…ボーイズラブ。ってか
1/31     森山直太朗の「さくら」 

1/31 森山直太朗の「さくら」

えー、すがすがしい話題でご機嫌を伺おうと…

と言っても私のことなので、間抜けな記述になるかもしれないが…

 

昨年森山直太朗氏の「さくら」がヒットし、紅白歌合戦にも登場した。

この曲は、今年の卒業式で必ずや歌われる曲となるだろう。
また甲子園の行進曲になる可能性もきわめて高い(スマップに決定したようだ)。
それくらい、文部省推薦唱歌と言われても何の異存もないような、見事な名曲である。

 

私は世の中の中年婦人と同様、ヒットしたこととサビの部分、彼が森山良子の息子であることくらいは知っていた。が、それ以上は詳しく知らなかった。

けれどもある時、彼が歌っている姿をたまたまテレビで見た。
その姿に何となく感じるものがあった。

つまり、私はあの手のタイプ、あのような歌い方がツボなのだった(またか)。
で、それから直太朗萌え(だからもう、やめろよ)になったのだった…。

紅白歌合戦で彼が歌っているのを見て、やはり私は彼がタイプであることを再確認した。

あのハイトーンヴォイス、そして歌う時のしぐさ。顔。完璧である。

それで早速、でもないが、ショップに行って、「さくら」のCDを買った(同時にスマップも買った。私には極めて珍しいことだ)。

 

そうして「さくら」を初めてじっくりと聴いたのだが、この楽曲は、はっきり言うとメロディーの稚拙さを歌唱力でカバーしている典型である。

サビのメロディーは美しいので、曲が稚拙だというのは厳しすぎるかもしれないが、サビに至るまでのAメロ、Bメロは平凡である。
森山直太朗の作曲能力は、もう少し突きぬけて欲しいところだ(彼は歌唱だけでなく、作詞作曲もしているのだった)。それは、同時収録されている曲を聴けばやはり同じようにくいたりない部分があるから、確かだ。

 

しかしここでは、そんなことを言いたいのではない。詩の内容にちょっぴり言及したかったのだ(作詞は共作)。

この詩は、桜の季節の友人との別れを歌っているらしいので、卒業式の風景なのだろうか。
別れるのは友達同士なのだろうか。それとも先生たちと生徒なのだろうか。
「僕ら」という主語になっているので、複数の人たちが一人の友人を送っている、という情景のようである。

或いは、一人の友達が少年院に入ってしまう、のだろうか(そんなことはないだろう)。
一人だけ海外へ行くのだろうか。
NGOかなんかに入って、危険な地域に行って命を落とす可能性があるのだろうか。
或いは単に、一人だけ東京の大学に受かったので、上京するのかもしれない。
「輝ける君の未来」と言っているから、別れるといっても、彼は悪い方向に行くのではなさそうだ。

そんなことをあれこれ想像させるほど、どことなく悲劇的なイメージが付き纏う。
或いは、そんな風に感じるのは私だけなのだろうか。

 

この詩は「友人」と「さくら」をなぞらえながら、その別れを表わしている。

さくらは古来より、はかないもののイメージがある。咲いたと思ったらすぐに散りゆく。
その物悲しいさくらのイメージを、別れる友人と重ね合わせて歌われている。

はじめさくらは、今が盛りと咲き誇っている。ただ、いつかは散ってしまうと知っていて、そのことを嘆いている。
次にさくらは、それでもまた、生まれ変わることが出来ると、未来を信じる気持ちになっている。
そして3番、すでにさくらは盛りを過ぎ、散り始めている。
ただ、散ったあと、花びらで埋め尽された道は、散ったあとさえ美しいさくらの、眩しいまでの誇りを思わせる。これが自分の証しと言わんばかりに。

短い命であってもその美しさを存分に咲き誇る、それが生きる証しなのだと、私はこの意志ある「さくら」に、何か凄絶なエロティシズムをどういうわけか感じるのだった。

日本人はさくらにいろいろなことをイメージし、さくらにさまざまな思いを託して来た。
それほどさくらという花は、日本人の心情によく合った植物なのだろう。

森山直太朗の「さくら」も、これまでのイメージにのっとった、日本人らしいさくら観を歌った歌と言えるだろう。ただ、さくらにこれほどエロティシズムを感じたことは、あまりなかったので書き留めてみた。

 

04/1/16  ボーイズラブ…の萌えどころ

 

新春である。がしかし新春にまったく相応しくない話題である。

止せばいいのにボーイズラブ。という話題である。

 

とっくの昔に興味がなくなったと思っていたのに(昔はあったのだ)、ふとした事から深みに嵌った。

驚いたのは、本屋のコミック棚に、それもごく普通の本屋さんの棚にいつの間にかずらりとその手のコミック本が並んでいる事だった。

いつの間にかごく普通の顔をして、ごく普通に流通し ごく普通に日本人の生活習慣に馴染んでいたらしいのだ。

これほど多くあると、どれを選択していいか分からない。
本屋でうろうろと迷うのは非常に恥ずかしい。
そこで適当なコミック雑誌を買い、自分の好みに合いそうな漫画家を見つけてその人のコミックを買えばいいだろう、と誰しも考えそうなことを私も考えて実行に移そうとした。

私の場合、胃にもたれそうなヘビーな内容はご免である。
面倒だから、ノベルを読む気もない。
当然、軽い読み切りの漫画がいい、ということになる。

で、ボーイズラブ系読み切りコミック雑誌を買ったのだが、BL系コミック誌というのは、月刊というのは滅多になく、隔月刊がほとんどである。
うっかり間違えて、連載ものののっている雑誌を買ってしまえば悲惨なことになる。

昔の漫画は一ヶ月待てば次の話を読めたのに、今のは2ヶ月待たなくてはならない。
うっかりすると2ヶ月の間、悶々と過ごさなくてはならないのだ。

だから読み切り専門、と心がけていたのだが、誰しも間違いがある。
なにも知らないので、うっかり連載ものを買ってしまったのである。

この数ヶ月の間、悲惨な体験をした。
2ヶ月の間、気を散らすのに必死になった。

 

誰しもそれぞれ萌えどころ*というものがあるだろう。

*嫌いな言葉だと公言していたが、この場合適当な言葉もないのでBL界で広く流通しているこの言葉を使用している。

その連載が私のまさに萌えどころであったのだ。

私は、他人の想像力では最早萌えない、ということを学習によって学んでいた。
つまり、第一期ボーイズラブ萌え期に、そのことをいやというほど学んだのである。だから人の作品を信じなくなった。今ごろ人の作品に嵌るわけがない、とタカをくくっていた所もあった。
そのせいで油断していたのだろうか。

 

 

一般的に女の子がもっとも好むボーイズラブは、美形×美形のパターンである。

攻がとんでもない美青年で、必ず大金持ち。ホテルの2、3個も持ち、会社を5つくらい経営している。島に別荘なんかも持っているかもしれない。それでもまだ25歳。基本的にサドで、美少年をかどわかし、無理やりものにする。いわゆる俺様攻め。

受はものすごい美少年で、必ず親が借金苦で自殺したり、自分が借金したりして金に困っている。で、くだんの大金持ちの美青年に、泣く泣く身を売る。囲われるとも言う。健気受の場合と、強気受の場合あり。

こういうパターンが、実は最も女の子に受ける。
いるか、そんな奴。現実に。

と思うが、受けるのはこれだ。

要するに、同性愛というよりも、俺様な美青年が好き、という事ではないだろうかと思う。*

女性から見た、男性の理想像なのではないか。

主人公の美少年を自分に置きかえれば、女性が最も望む恋愛パターンが、このタイプなのだ。
あまりにもこのパターンが多いので、これは確実なのではないかと思う。

*現実で考えてみたら、木村拓哉だった(私は好きではない)。

この世の者とも思われない美しい青年で、エラソウではあるが、自分を理解してくれ、包み込んでくれる存在。
エラソウなのは、自信の現れである。やり手でエリートである。自分のしていることに迷いがないというのが理想なのだ。

非常に都合のよい設定だが、漫画の世界だ。都合がよくて当たり前なのだ。

そんな奴はこの世におらん、というようなのを(だからこそ)たっぷりと見せてくれるのがこの世界なのだ。

虚心で見れば、女性の願望が透けて見えて来るのがボーイズラブである。

 

***

 

ところで私の場合は、この最も女性受けする俺様美青年攻は、実は一番いやなのだ。

まあ私の場合はオヤジ萌えなので尤もだ。

あまりにも非現実的すぎる設定には、抵抗が働く。

さらに、自分が既に若くない、ということも影響して、若い者同士、というのがどうしても受け入れられない。
本屋に行くと、山ほどそのパターンのBLコミックがあるが、どう考えても現実にそれほど同性愛者がいるとは思えない。
あの量から行くと、そこら辺に歩いている若い二人連れのお兄ちゃんはみなホモでないとおかしいくらいだ。そんなことはあり得ない。

ただ現実にはあり得ないけれども、少しだけ現実をかすめている、というのがうまい設定だと思うのだ。
リアリティということである。

 

私が萌え萌えになった漫画は連載もので、一番いい所で引きになるというテクニックが良かったためもあるが、オヤジ攻×強気受の典型的パターンだ。

白状すると、「踊る大捜査線」というテレビ番組のパロディではなかったかと思う、刑事ものだ。私はその番組をまったく知らなかったので、今になって見ておけばよかったと悔んだ。
その漫画も途中から読んだので、全部は把握していない。

機動隊の中隊長というのがムチャクチャなやつで、上司にあたる警視庁の管理官(もちろん男)に一目ぼれして猛アタックをかける。

このオヤジのキャラクターが良かった。
乱暴者で、人に遠慮なんてまったくないようでいながら、実は包容力があり惚れた相手には徹底的に優しい、という、これ。
これがオヤジの良さ。やっぱり自分の好みが反映されているから気に入るのだろうなと。

暗い過去を持つ上司に決定的な口説き文句、「心に重荷があるなら俺が全部食ってやるから」(大意)。
気障な美青年でなく、イモオヤジがこう言うのが、いい。

何といっても思いやりと包容力。いくら美青年がカッコばかりつけていても思いやりと包容力がなければカスも同然(私は美青年が嫌いらしい)。
オヤジの方が断然味があるのだ。

そしてむさいオヤジといえど、ここぞという時にはこういう、くさい台詞を平気で吐く。
オヤジだからこそ、そういう台詞にリアリティが出るのだ。いや、オヤジしか言ってはいけない台詞だ。
いいぞオヤジ、と思わずオヤジに肩を持つ私。

ところで相手のキャリア管理官は上司。中隊長などに命令を下す立場だ。この上司が受けというのが、実は私のツボだったことに今ごろ気がついたのだった。
ボーイズラブ用語では、主従というようだ(違うかもしれない)。
または姫である(これは合っていると思う)。

***

 

思えば私がまだボーイズラブという呼び名もなかった頃、走ったその世界で萌え萌えだったのが言うのも恥ずかしい(?)「私説三国志」。

これはなつかしの「小説JUNE」で連載されていた、ご存知「三国志」のパロディというか、やおい版であった。
あの有名な諸葛孔明が何とホモだった、というすごい設定である。

いろいろあって蜀の国が建国されたあと、軍師孔明のお相手は、自分の国の魏延という軍人。

軍師は今の日本で言えば防衛庁長官のようなもの。実質的には(主君亡き後)蜀の最高権力者である。
魏延は自衛隊の分隊長みたいなものだ。

この一介の軍人が(孔明の弱みを握っていたとかいう設定だった)、慇懃丁寧な言葉で軍師に仕えながらも、典型的な俺様性格で、イタケダカに孔明を翻弄する、のが楽しかったのだ。

孔明は、こういう俺様にヨワイ。常日頃は自分が一番偉い、という振舞いをしているが、自分より偉そうな奴に組み敷かれたい、という願望がある、らしい。
というのを魏延が熟知しており、ワザとそのように振舞うのだ。

と、こういう設定に、私はツボを刺激されまくりだったのだ。

 

過去の恥をさらすのはお尻がこそばゆくなるほど恥ずかしい。
ま、しかし恥をさらすのもまた修行だ。人は恥を知って、苦難を乗り越えてゆく。

 

そんなわけで、 私の一番弱いところを突かれたその刑事ものにどっぷり嵌ったのは、宿命だったに違いない。
どちらも上司は強気。というかキツイ性格。
お話的にはじゃじゃ馬ならし系と言えるかもしれない。
男女を問わず、私はこのじゃじゃ馬ならし系ストーリーに弱かったのだ。
(男×女でも)

自分自身は気弱なので、主人公とは全然違うタイプなのだが…。

 

くだんの刑事漫画、最終回になったので安心していたら、ラスト近く、上司の管理官がお風呂場エッチ(!)でいきなり色っぽいのに興奮し、理性が吹き飛んでしまった。とほほ。
ものすごく恥ずかしいので、このdiaryのことは、そっとしておいて下さい。


ボーイズラブ用語が沢山出て来て戸惑う人がいたかもしれないが、いちいち説明しないので、想像力で補って萌えて下さい。

 

*このエッセイは、Boy Doll Loveに転載。

*参考 こだか和麻「めざせHERO!」ビーボーイゴールド 

         江森備「私説三国志」 成美堂出版 全九巻

 

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