08/09 トイレのタオル
長いこと使っていたトイレのタオルがだんだんほつれて、痛んで来た。
トイレで手を拭くタオルは、フェイスタオルという大きさになるのだろうか。他の家庭では、トイレタオルに何を使っているのかよく分からないが、我が家ではフェイスタオルの大きさのタオルを使っている。
これは、もう7、8年前に買った無地の薄いピンクのタオルだ。
便器カバーやマットを薄いピンクで揃えたので、タオルもピンクにしたのだ。
7、8年もタオルを使っているのは、かなり長い方だろう。とんでもなく長持ちだといえるかもしれない。
我が家では、これくらいは普通だ。
どんなものでも滅多に買い換えない。よほど磨耗し、ダメダメになり、部品がなくなり、どうしても使えない、動かないという風になってから、やっと新しいものに変える。
やかんも40年くらい使っているだろう。うがいのコップも40年くらい、スプーンもマグカップも40年くらいは使っている。
トイレのタオルは、父がまだ生きていた時に買って、使い始めた。そして今もそれを使っている。
私の二階の部屋の奥に作りつけられているトイレは、二階で仕事をしていた父も使っていた。
私が部屋にいない時も、仕事の合間にトイレのために私の部屋に入る。
まあそれが普通のことだったので、特にいやだと思うこともなかった。
ただ、父がトイレを使ったあとは、汚かった。
父が死んでから、トイレを洗う時、とてもきれいで、あまり汚れていないので、生前にトイレが汚かったのは父のせいだったのかと改めて感じた。
トイレだけでなく、タオルも父が死んでから変化した。
薄いピンクのタオルに、いつも汚れがついていて、洗濯してもその汚れが取れなかった。
父は、仕事の関係で「シブ」というものを使った。
シブとは「渋」で、柿の渋のことだ。
とてもくさい臭いがする。どろっとしており、色は真っ茶色だ。
これを仕事で使う。
柿渋を専門に売っているところがあり、そこから買って来て、シブを使う。
これが手につくと、取れにくい。
父は、シブの付いた手でトイレに入り、私の買ってきたピンクのタオルで手を拭いた。
シブのついたタオルはその部分だけいつも茶色くて、洗濯しても色が抜けなかった。
それでも私は新しいタオルを買うでもなく、洗濯してそのタオルを使い、父もそのタオルで手を拭いた。
シブの汚れは落ちなかったが、使いつづけた。
父がなくなっても、そのピンクのタオルを使いつづけた。
柿シブのついたタオルを見るたびに、父を思い出した。
まるで父の形見のようだから、汚れたタオルを使いつづけた。
だが、そのタオルを使い続け、そして洗濯し続けていると、そのうち、シブの汚れが取れた。
その薄いピンクのタオルは、やがてシブの汚れが取れて、新しい、買ったばかりのようなきれいな状態になってしまった。
父が使うたびに汚したが、父がいなくなると新たな汚れがつかず、古い汚れは洗濯のたびに少しづつ消えて行ったらしい。
それは、父の死が少しづつ遠ざかり、父の記憶が少しづつ消えて行くことと、パラレルだった。
タオルから汚れが消えて行くように、父の死をみとった時の、悲しかった気持ちも薄れて行った。
今、タオルは破れ、ほつれがあちこちに出来て来て、いよいよ買い換え時かと思う。
別に買わなくても、粗品でもらったフェイスタオルならいくらでもある。
何も苦労して今にも破れそうなタオルをいつまでも使うことはないだろう。
トイレに入り、汚れがまったくついていないタオルで手を拭く。
タオルを見るたびに、このタオルを父は汚していたなあと思い出す。
手を拭く度に、父の汚したシブのあとを思い出していたことに気がついた。
父の記憶は遠ざかっても、タオルを見るたびに父を思い出していた。
トイレへ毎日入るたび、父と会っているような感じだ。
父が、父のことを私が忘れることのないように汚しておいたのかもしれない。