07/06/20 澁澤龍彦について

07/06/20 澁澤龍彦について

私の文章には澁澤龍彦の名前が頻繁に出て来る。なんとなく、いつもいつも澁澤と言っているような気がしてならない。

そこで、ここで私の澁澤に対する態度を書いておこうと思う。

あんまり澁澤、澁澤と書くので私がどれだけ彼を尊敬し、愛し、崇拝しているかと思われているかもしれないので、その誤解を解くためでもある。

 

どれだけ尊敬し愛している相手であっても、私は、その人の欠点や肯定出来ない部分は冷静に把握しているつもりだ。

どれだけ崇拝しようと、その対象が神や仏でない限り、人間である限り、完全であることはないのであって、どこかに欠点があることは、それは当たり前だ。

何もかも、百パーセント完全な人間はいないのであり、また百パーセント自分の考えと完全に一致するという人間もいるまい。そういう意味で、百パーセントその人を信じたり崇拝したりすることは馬鹿げていると思っている。

私はとても、あまりにも実際主義的なのだ。

澁澤龍彦のことは、尊敬してもいないし、愛しているわけでもない。ただ単に日本の文学者の中では珍しく共感出来る部分が多い、というまでだ。

共感と言うと僭越にすぎるだろう。私は最近とても謙虚なのだ。

共感と言うより、ふむふむなるほど納得、そのとおりだよ実際、と感じる部分が多い、と言うべきなのだろう。

 

最初に澁澤龍彦の文章を読んだのは、「My Lovely Books」に書いたとおり、中学生だったか高校生だったかの時で、姉の読んでいた「婦人口論」の絵画紹介の欄だった。

つまり澁澤の絵画論のようなものを読んだのがはじまりで、それですぐに澁澤の名前を覚え、彼の著書が発売されると飛んで行って買うようになった。

京都書院という、今は亡き京都の名物本屋があって、そこの2階に行けば、桃源社という出版社から発売されていた澁澤の著作全集が売っていた。私はそれを買い込んで読み耽った。

 

まずはじめに、彼は日本の片隅に住んでいる私などがまるで知らない西洋ヨーロッパの教養を、プリニウスやらキルヒャーやらパラケルススやら、アンドレ・ブルトンやホイジンガやバシュラールやルネ・ホッケやミシェル・レリスやマンディアルグやバタイユやバルトルシャイテスや…、そうした聞いたこともない名前の羅列でページを一杯にすることにより、いやでも我々の眼の前にてんこ盛りにぶわわっと溢れさせた。

何という博学、博識だろう。そして、さらにちょっと気取った、決して破綻することのないものすごく美しい日本語の、端正な文章。

澁澤を語る時にはあまり注目されないが、彼の文章の美しさ、適確な接続詞、副詞の選び方、センテンスの区切り方、「名高い○○」だの「思い出していただきたい」だの「ではあるまいか」だのの、独特の言葉の使い方、それらがあの端正な文章を形作っていた。

何よりも日本語として美しい。その美しい文を読むという喜びを、澁澤龍彦のエッセイは与えてくれた。

 

澁澤龍彦の世界は、抽象でありユートピアである。

それは現実の時間と生々しい感情を拒否し、拒絶した世界である。

私は、そこにこそ惹かれた。

日本の私小説文学のぐちゃぐちゃとして生臭く、矮小な世界と違って、澁澤のユートピアは硬質で、臭いがない。孤高であって、堅固である。

涙や怒りや喜びや憎しみなどはない。愛すらもない。

そのような確固とした、人間の感情をまったく拒絶した冷たい大理石の世界に、私は理想を見出したのだった。

 

私は一度、澁澤龍彦を「捨てた」ことがある。

澁澤世界はあまりにも不動だった。時間の経過を拒否する世界である。

それは、世の中の動きに疎い、ということでもある。

そこに、十年一日のごとき変化のない、したがって進歩のない世界、を感じてしまった。

人は成長するものなのに、彼は相も変わらずブルトンやバタイユやサドをやっている。
そうして閉じられた世界で満足している。

もっと他にないの?そう言いたくなった。

狭い世界で遊んでいるだけで満足している澁澤。少しも成長しない澁澤。

人は成長し、変化し、考え、生きてゆくものなのに。

なのに澁澤は、生きていない。死んでいる。

それで、澁澤を「捨てた」。

 

それから長いこと、私は澁澤龍彦にご無沙汰していた。

私は澁澤に否定的になり、彼を知った当初はあれほど傾倒したのに、ある頃からはまったく澁澤を評価しなくなった。

むしろ逆に澁澤を拒絶し、彼は終わった、と感じていた。

彼を再びすごい人なのではないか、と思い始めたのは、その死後だった。

澁澤龍彦は、衆知のように喉頭癌で世を去った。

病床では声が出なくなり、筆談で用を足したという。

私があっと思ったのは、どこかに誰かが書いていた、その澁澤の闘病生活についてを読んだ時だった。

彼は自分の病名を知り、声が出なくなってもその生活態度は健常だった時と何ら変わらず、淡々としていて、その端正な文章のように端正そのものだった、らしいのだった。

彼は自分のそのような境遇をただ淡々と受け止め、取り乱すこともなく、平静に時を過ごしていた、らしかった。

 

私は新聞だったか何らかの本だったかに書かれたその文章を読んで(種村季弘氏の文だったかもしれない)、はじめて澁澤龍彦の真のすごさに触れた気がした。

彼のあの堅固なユートピア世界はただの金持ちのお遊びでも、斜に構えたディレッタンティズムでも、思いつきの軽い暇つぶしでもなかった。

それは、彼が命がけで作り上げて守りぬいた、彼の精神世界の巨大な国そのもの、その世界が澁澤そのものだったのだ。

自分を守り、自分の精神世界を守るために、彼はあのような壮大なユートピアを構築しなければならなかった。そして彼は全身全霊でその精神を貫き通した。

並の人には出来ない精神の活動だと思った。

堅牢で、よほどの強い意志がない限り、それを貫き通すことなど出来なかっただろう。そう思えば、澁澤がいかに人間として強く生きたか。それが思われた。

 

澁澤龍彦は、生きていた時にはまるで死んでいるようだった。けれども、死んでから彼は生き始めたのだ。

それは彼が意図したことだったのだろうか。それとも偶然にそうなったのだろうか。

 

ともあれ、彼のすごさを知ってから初めて、彼を、色眼鏡もなく、フィルターもなく正当に見ることが出来るようになったような気がする。

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