07/03/31 京都・景観条例
07/03/31 京都・景観条例
この一文は、頭痛でダウンする直前に書いた文章です(加筆あり)。
景観条例が制定される前のものです。
で、養生している間に以下の景観条例は制定された。
京都市が、景観条例の制定に必死になっている。
よりかね(市長)によると、京都の景観問題は待ったなしで、今制定しないと手遅れになるという危機感を募らせているのだ。
この問題はあまりにも大きくて、このような短い、限られたスペースで語り尽くせるはずもないのだが、京都市民として決して無視出来ることではなく、また無視するべきではないのではないかと思う。
どのような場であれ何なりと意見を言うことは有意義なのではないかと思ったりしている。
私の意見としては、条例をしくのがあまりにも遅すぎた。それに尽きるだろう。
こんな状態になる前、つまり30〜40年前くらいからもっと厳しい条例を課して、京都を保全するべきだった。
けれどもそれを言ってしまうとお終いなので、大人たちがあれこれと知恵を絞っているのだ。
それに今さらではあるけれど、これ以降、手をこまねいているだけで何もしないよりは、何らかの措置をする方が明かに正しい。
今後も規制をせずにこのままの状態で放置されれば、それこそ京都はほかの日本の都市と変わらぬ景観になってしまう。
つまり、グローバル化による高層ビルやコンビニ、ドラッグストア、ブランドビル等々、どこにでもある地方都市の一つになってしまう。
京都の市中心部は、既にそうなってしまっている。そこは、もう取り返しがつかない。
問題は、左京区・右京区などの周辺部である。
観光地として風光明媚を売り物にしている寺社仏閣の周辺にさえ、高層ビル・マンションの乱立の危険が迫っているのだ。
そこが今、開発の危機に曝されている。
それらが開発されてしまっては、それこそ目も当てられない。
開発されてしまっては、もう、もとに戻すことは出来ないのだ。
それは京都観光の、即ち、京都の都市としてのアイデンティティを根幹から揺るがす重大事なのだ。
何か、どうにかしなければならない。それだけは確かなことなのだ。
景観条例は、今期の議会でよりかねが是非とも、是が非でも成立させたいと願っている。
それには、市中心部の建物の高さ規制をより強化することや、屋上広告の禁止などが含まれている。
今までも建物の高さの規制はあった。しかし今回のはそれまでよりももっと規制が厳しくなる。
うろ覚えだけど、例えば田の字地区(御池通より南)と呼ばれる京都の中心部の建物の高さを、現在の30メートル以下から15メートル以下に下げるなど。(ちょっと正確ではないのでどうだか…すいません)
通常の地区は40→31メートル、地区によって規制の高さは異なる
左京区などの風致地区では、景観への規制は今までも厳しいものがあった。
そこらの一般家庭の民家でさえ、家の内側は、どれだけアバンギャルドでも構わない、コンクリートの打ちっぱなしでもなんでも構わないが、外側だけは指示に従った、昔ながらの門構えの外観にしてくれ、という規制があった。
その地域の家では、自分の好きなデザインの家は建てられないのだ。
これは、奈良などでもそうだ。
田んぼを駐車場に変えたいと思っても出来ない。勝手に風景を変えることが出来ないように規制されているのだ。
ただ、京都市中心部はこの規制が緩かったのだろう。
現在中心部ではいわゆる町家が激減していて、そのあとにマンションが建ったり、へんなくすりのチェーン店が出来たりして、かと思えばビルとビルの間に昔ながらの古い家が建っていたりと、がたがたの景観であり、かなり悲惨である。
これにはいろいろ原因があるが、ともかく気付いた時には遅すぎた。
だがこれ以上景観を破壊するわけには行かない。京都に客が来なくなる。
というわけだ。
新聞(例によって京都新聞)によれば、京都の一般市民にアンケートを取ったところ、市民の80%強が規制強化に賛成であり、京都の景観を守る必要があるかという質問には、90%以上の人間が必要だと答えたという。
新景観政策についてを知っている人も80%にのぼる、というこれらのアンケート結果は、他都市では考えられないということだが、それは当然だろう。
京都と、大阪や名古屋を一緒くたには出来ない。
大阪や名古屋の人が、自分の都市の景観を守りたいと思っているとは考えにくい。守るべき景観もないのだから。
京都は、それらの都市とは違う。観光都市であり、観光でお金を得ている都市である。
だから、当然観光のメインである景観については神経質にならざるを得ないのだ。
それなのに、今までがひどすぎた。あまりにも野放しで、景観について何も考えて来なかった。そのツケが今来ているのだ。
前にテレビでフィレンツェの町が中継されているのを見た。
フィレンツェではもう何十年も前から建物の建て替え時に規制があり、新しく建物を建てる時には、デザインが厳しく決められているそうだ。
町全体を一つの文化遺産として捉え、保護しているのだ。だからこそ、あの景観が保たれている。
フィレンツェは京都の姉妹都市である。
何という違いだろう。
新聞のアンケート結果に、異論を唱える人もいる。
真に受けることは出来ないという(市の操作が入っているという)。
京都の不動産業者は、このたびの新景観政策に猛反発している。
業者だけでなく、マンションに住む住人たちも不安を露わにしている。
もし、規制が通ったら、15メートル以上に住んでいるものたちの住む場所はどうなるのか。マンションの資産価値にも影響する。
規制が強化されることによって、京都の経済が停滞すると危惧している人もいる。
私が思うのは、京都で不動産の商売をしようと思うな、ということだ。
いや、京都で何かひと儲けをしようなどと考えること自体が間違っているとさえ思う。
屋上広告を廃止する、という案が出されたら、広告業者が一斉反発している。
しかし、別に京都で広告を出さなくてももう良いではないか。大阪でやれ、大阪で。と思うのだが。
今日も新聞にはいっぱいのマンション広告が入っている。
その中には当然、何とか寺の近くの、風光明媚な場所を売り物にしているところもある(とても多い)。
嘆かわしいことだ。
マンションの住民の利己主義には腹が立つ。
おまえらの資産など、文化財、文化遺産に比べればなんの価値もないわ。黙れ、出ていけ。京都から出ていけ。
個人的には、マンションそのものをもう建てるなという規制があってすらいいと思っている。
これからもう、京都に人を流入させるなということだ。
人口130万で固定。それ以上、住む人間を増やすなと。
だいぶ過激になって来た。
言うとすっきりするので言ってます。許して下さい。
到底終わらないんよね…。この問題。