07/02/9 ダイエットに関して
07/02/9 ダイエットに関して (注意・毒のある発言)
世の女性の80%ほどがダイエットに関心があるという(不確かな数字)。
私は、ダイエットにまったく興味がない。
自分の体重が増えることに対しては、世の一般女性と同じように気にしはするが、体重が増えたからといって、ダイエットをしようとは思わない。
いや、あまりにも増えたら少し痩せなければ、とは思う。
その場合、私がすることは間食をしないこと、食事の量を減らすこと、ウ○コを沢山出すようにすること、などであって、これは努力と言えなくもないが、ダイエットしているとまでは言えないだろう。
基本的には努力というものが嫌いであるから、なるべく努力をしたくない。
ことにダイエットには努力をしたくない。
そんなものに努力をするなら、別のものに気持を傾けたい。
であるから、ダイエットとは生涯無縁である。
ダイエットに無関心で、心底幸せだと思っている。
もしそんなものに関心を持ったら、毎日カロリーを気にしたり、食べたいものも食べられなかったり、様々なことを気にして生きなければならない。そんな面倒なことはご免だ。
私は面倒なことも大嫌いである。
これ以上、私の関心のある人形や、美術や、本や、スケートなど以外のものに関心を向けて、余計なエネルギーを消費したくない。
だからダイエットに無関心で本当に良かったと心から思う。
ダイエットに関心のある女性は、必ずしもデブではない。
むしろ、スタイルの良い、今時のスリムな女性がダイエット、ダイエットとやかましく言う。
だから、ダイエットに関心があるかないかは女性の体型には関係がない。ただ、関心があるかないかの二通りの女性がいるというだけだ。
私はデブではないがガリガリに痩せているわけでもない。
世の女性がデブでもないのにダイエットに躍起になるのは、おいしいものを食べるだけ食べて、なおかつ太りたくないからである。
私とはその辺が違う。
私は、基本的に粗食である。
確かにおやつが大好きで、和菓子、洋菓子を問わずお菓子というものに目がない。
けれども、ケーキを食べるのは1ヶ月にひとつであるとか、下手したら半年にひとつというように、食べる回数が少ない。
和菓子やおせんべい、おかきなどはケーキより食べる回数が多いが、それも毎日食べるわけではない。
食べないからといって禁断症状に陥るわけではない。
大好きではあるけれど、それが手元にないならないで、食べないで済むというくらいの執着心である。
家で食べる食事は、極端なくらいの粗食である。と思う。
ほかの家庭の食事を知らないから何とも言えないが、おそらく現代の日本の家庭では、さぞや贅沢な食材が毎日のちゃぶ台に乗るのであろう。
我が家は、現代日本の食材の流行にはいっさい関係なく、戦後、一貫して同じレパートリーを追求して来た。
その結果として、飽食とは無縁の健康的な食生活を全う出来ているのである。
ちなみに、私はいわゆる健康食品とも無縁である。
健康食品、という意味さえ良く分かっていない。
健康食品は錠剤なのか?それとも食材なのか?それさえ分かっていない。
もし錠剤であるとするなら、それは食品ではなく薬であろう。
そんなもので食材を補うという考え方自体がさもしい。
ところで、昔、私の友人でダイエットが趣味、という人(女性)がいた。
その人がそう宣言したわけではないが、私にはそうとしか見えなかった。
彼女は太った女性であった。ぶくぶくのデブという訳ではないが、太っていた。
その上、よく食べた。というより、食べることにはかなりの執着があった。
どの店の何がおいしい、ということをよく知っていた。そういうことをデータとして持っており、店を巡ることも好んでいた。
そうして良く食べるから、ますます太った。
始めの頃は、彼女は食べることが好きなので、太ることも気にしないのだろうと思っていた。
だが、彼女はある日突然ダイエットをし始めた。誰かに何か注意されたか、好きな男性が出来たか、それは今となっては分からない。
なぜ彼女がダイエットを始めたかが分かったのは、昼のお弁当を持って来なくなったからだ(高校生の時のことだ)。
彼女はその代わり、他人のお弁当のおかずを少しずつもらって食べていた。
そんなことをしたらダイエットの意味がないのではないかと漠然と感じたものの、他人のことなので黙っていた。
彼女も人並みに体重を気にする人なのかと思った。
時は経ち、我々は高校を卒業した。
彼女と会うたび、こういうダイエットをしている、という話が出た。
彼女があまりにもいろんなダイエット方法を試しているという話をするので、そんなに多くのダイエットをしていたら体重がなくなってしまうのではないかと考えたが黙っていた。
今から落ち着いて考えてみると、それだけのダイエットをしても効果がないということだったのだろう。
彼女が痩せている所を見たことはなかったからだ。
私には、それがどうしても納得出来なかった。普通、それだけの沢山のダイエットを試したなら、痩せるはずだ。
なのに痩せない。
なぜ?
今なら、それだけの分を食べているからだ、と簡単に納得出来る。
だが、その頃は少しも分からなかった。
おそらく、私とはあまりにも食生活が違っていたのだろう。
ある時、彼女と会った時、何キロ痩せた、との報告があった。
ダイエットが成功したのだ。
私は他人の容姿にあまり関心がないので、見た目には痩せたとは分からなかったのだが、とにかく、それは良かったと心から喜んだ。
これからはもう、ダイエットの話を聞かなくて済むからだ。
しかし、次に会った時、新しいダイエットを始めたという報告を再び聞いた。
なぜなら、体重が元に戻ったからだった。
駄目だこりゃ、と私はその時思った。
彼女は、せっかく痩せてもその体重を維持出来ないらしかった。
私には到底理解出来ない身体の不思議である。
要するに、彼女はダイエットが趣味なのだ。
そうと思うしか、とうてい理解が出来ない。
新しいダイエット方法があると聞くと試したくなる。
会うたびにそれを報告するのだから、彼女はダイエットをすることが好きなのだ。
私は、ダイエットは、きらいだ。
食べたいものを我慢しなくてはならなかったり、食べる時にあれこれ考えてからその行為を行うというのは、食べる、食べたい、という人間の本能に反する。
本能のままに生き、食べたい私としては、ダイエットのような枷は金輪際、みずから嵌めたくない。
しかし、件の彼女のような人は、根本的に私とは考えが違うのだろう。
ダイエットをすることが楽しいのだ。
食事制限をしたり、何を食べるか、いつ食べるか、食べる、または食べないことについてあれこれ考えたりすることが、好きなのだ。
私は無理矢理そう結論付けてみた。
そうして、彼女は太ってはダイエットをし、ダイエットに成功してはまた食べ、そしてまたダイエットをする。それを繰り返すのだった。
食べることが好きであるなら、それを優先して、太りたくないという希望は捨てるべきだ。
食べることに執着さえしないなら、太ることもない。
もともと、ダイエット主義者は矛盾しているのだ。
お腹一杯自分の好きなものを食べ、それでいて太りたくないという。
そんな都合の良いことが許されると思ってるのか。馬鹿者め。
と、私なら思う。
太りたくないなら食べなければいいのだ。
贅沢をするからダイエットだの何だのとみっともないことを言わなければならないのだ。
普通に食べ、普通の食生活をしていたら、ぶくぶくと太るわけがない。
それでも太るのは、無駄に食べるからだ。
普通のものを食べていれば良いのだ。普通のものを。
美味しいものを食べたいと思うならそれでいいから、太るのは覚悟をしろと思う。
美味しいものをたらふく食べる生涯は、楽しいのだろう。
だから、その代償としてメタボリックがあり、早死にがあるのは仕方がない。
グルメには早死にをしてもらおう。それで万事丸く収まる。
そうだそうだ。それがいい。
というわけです。