06/10/26 ゴミ袋有料化その後

06/10/26 ゴミ袋有料化その後

京都市のゴミ袋が10月のあたまから有料になった。

一番大きい袋(45リットル)で45円だったか。たいそう高い。

高いから、なるべく買わずに済ませたい、ゴミを減らそう、という流れになるはず、と京都市が推測して、ゴミ減量のため、有料化に踏み切った由。

何だか、行きあたりばったりの思いつきのような気がしないでもない。

まず、分別が先だろうとも思う。

京都市のゴミはほとんど分別されていないのだ。

資源ゴミとして、今回ペットボトルやジュースの缶は、メインの家庭ゴミとは別に収集される。

でも、ペットボトルと缶ではまったく違うと思うが、一緒の袋に入れてしまうのだ。

 

環境局の手間はかけずに、市民にいきなり負担を要請しているような気がする。

これなら、コンビニやスーパーの前の回収ボックスを使う方がずっと精神衛生的にも良い。

我が家は3人で暮らしているが、週2回のゴミ出しに一番大きな45リットルは使わず、30リットルで普段は済むようだ。

よっぽど大掃除をした時とか、押し入れのものを捨てるという時には45リットルを使うが、そうでなければ30リットルでじゅうぶんなようだ。今のところ、まだ無料配布分を使っている。

10リットルとか、5リットルとか小さい袋もある。なぜこんなに小刻みに大きさの違う袋を作ったのかが謎である。

資源ゴミ(缶やボトルを入れる袋)の方の袋も配布してもらっているが、まだ使っていない由。

我が家は、ペットボトルや缶をほとんど使わない家庭なのだ。

 

牛乳は、以前から牛乳屋さんに瓶を配達してもらっている。

母に聞いたら、およそ45年前から配達してもらっているという。

お茶は番茶のティーパックを買って、沸かす。

これは、多分母の結婚当初からだろう(当時は葉っぱ)。

だから、我が家にはペットボトル飲料は必要がないし、必要だという人の気がしれない。
というか、なぜ世の中にペットボトル飲料が必要なのかが、そもそも分からない。

夏の暑い日に外へ出ていると、どうしても飲料が欲しくなり、たまにペットボトルを買うことがあるが、それくらいだ。

缶コーヒーも買わない。そもそもコーヒーが好きではないのだ。コーヒー牛乳も好きではない。缶コーヒーも、缶ジュースも私と私の家にはまったく必要がない。

缶紅茶も出まわっているが、買わない。

紅茶は好きだ。だが、リプトンのティーバッグ(三角型)を朝に毎日飲むからそれでじゅうぶんだ。

ジュースも飲まない。

ピーチ系をたまに欲しくなるが、それでももう、最後に飲んだのは何年も前だと思う。コーラも飲まないし(飲みたい時はマクドで)、カルピスも飲まない。だから我が家の冷蔵庫にはそういう類いのものがまったく何もない。夏でもない。

いらないものはいらないのだ。

飲料は、この世で一番おいしい番茶がたっぷりとあるばかりだ。

ケーキを食べても番茶。カレーを食べても番茶。すき焼きでも焼肉でも番茶。我が家では、何でも番茶で済ます。

まあ、番茶のペットボトルはさすがにないが。

 

ビールなどの酒類も我が家では飲まないので必要がない。

たまに缶類が冷蔵庫に入ることがあるが、これは地蔵盆のお下がりでもらうとか、運動会でもらうとか、町内でもらった時だ。

ウチは酒類は飲まないのに、缶ビールをもらうことがある。そんな時はいつまで経っても冷蔵庫に残ったままになり、邪魔だ。

せっかくもらったから料理に使おうというので、カレーに入れたり、料理酒代わりに使ったりするが、それでも使うのは少しなので、プルトップをあけた缶を、ラップをして冷蔵庫に保管することになる。

そんな状態ですっかり気の抜けたビールが1年くらいずっと冷蔵庫にあったりする。なかなか減らへんなあと歎息する。

我が家は、ものすごくエコロな家庭なのだ。

【追加】

*ちなみに、我が家では紙パックの飲料も買うことがない。
牛乳屋さんが年末年始に休みになるので、年始の分を含めてまとめて置いてゆく。その時には、紙パックの大きい牛乳になるため、我が家では毎年年始になると、その紙パックの処理に困り果てる。

 

だがしかし、そんな我が家でもペットボトルを使わざるを得ないことがある。

つまり、醤油、みりん、オイルや、各種洗剤などである。また、シャンプーや化粧品のボトルもそうだ。

ペットボトルというか、ガラス瓶とか、プラスチック瓶だ。

これが、やっかいなのだ。

醤油やみりんは、以前は牛乳と同じように瓶を酒屋さんに返していた筈だが、いつの間にかペットボトルになりスーパーで売られるようになった。

だからそのつどボトルを捨てなくてはならない。何という無駄だ。

昔の方が合理的に暮らしていたのだ。

現代は無駄だらけである。

 

我が家ではゴミを減らすために、何でも切り刻むという手段に出ることにした。

おまんじゅうを買えば、パックに入っている。コロッケを買えばパックに入っている。

このパックがきらいだ。

世の中、今物を買えば何でもパック入りだ。

あらためてこんなに何でもかんでもパック入りだったのかと思い知り、呪わしくなった。

ゴミに出す時、これをハサミでどうだ、これでもかとばかりに切り刻む。

お菓子の袋も切り刻む。

ケーキの入っていた箱も切り刻む。

手間はかかるが、ゴミはかなり嵩が減った。

しかも、クセづけるとハサミで切り刻むことがなかなか快感になった。

一石二鳥である。違うか。

06/10    TOP / HOME

2style.net