06/7/30 祇園祭にハマった理由

06/7/30 祇園祭にハマった理由

毎年祇園祭の月にはしつこいほど祇園祭について書いて来た。すでに過ぎ去ってしまったことだけれども、やはり書いておこう(ホントは祇園祭は夏越祭まで終わっていないのだが)。

私が祇園祭に嵌ったのは、何年か前に鉾建てと曳きぞめを見た時からだ。

それまでは、普通の京都住民と同じように、毎年やっている祭、というくらいの認識しかなかった。

 

京都に住んでいるから、宵山や宵々山には何度か出かけたことがある。

山鉾巡行は、その場を通りすぎたことはあるが、実際には見たことがないと思う。専らテレビで見るばかりだった。
しかし、それも休みの日でなかったら見ることが出来ない。

要するに、鉾建てを見るまではその程度の興味にすぎなかったのだと思う。

 

けれども、ある年、鉾建てを見るチャンスがあり、しかもよく考えたら山鉾の出る山鉾町は、私の家から歩いて行ける距離である。

簡単に見ることが出来るのだ。
それなら歩いて行って見よう、と思い立って出かけて行ったのだった。

ほぼ気まぐれと言っても良かっただろう。

 

鉾建てを見た時、あまりにも驚き感動して、あっと口があいた。

その驚きは、忘れられない。

 

何に驚き感動したかというと、2つあったと思う。

ひとつは、鉾が、釘をまったく使わず(木材を)縄を結び合わせただけで作り上げられること、それを組み立てる大工さんなどの職人(大工方、手伝い方)の技があまりにもイナセでかっこいいこと、そして、縄だけで組み立てられた鉾に何十人もの人が乗り、それが動くということ、そして、縄だけであのように巨大な鉾が出来上がり、それが潰れないということだった。

それを、目の前でつぶさに見たことの驚き、そして感動。

そしてもうひとつは、鉾建てに使う「縄」だ。

縄は、鉾が組み上がり、懸装品がかけられると隠れてしまう。山鉾巡行を見る人には見えなくなるのだ。その、隠れてしまう縄の結い目の、美しさ。

見えない部分であるというのに、縄を結わえたその部分が、明らかにひとつの美意識に貫かれている。

縄の結び目は、各山鉾で様式があり、また、鉾の各部分によってさまざまな結び方があるのだと言う(えび結びというふうに、結び方に名前までついている)。
そのひとつひとつに、繊細な美意識が宿っている。

見えない部分に。

これを知った時には、震えが来るほどの感動を覚えた。

ただ単に巨大な鉾が分解しないようにきっちりと締める、だけでは気が済まないのだ。そこに美しさを追求しないと、終わらない。
たとえ最終的に見えなくなろうと、見えない細部にまで意識を貫く。それがスジというものなのだ。

 

自分が歩いて行ける距離のところに、こんな近くに、これほど無造作にさりげなく、当たり前のように隠されて、しかし確かな技と伝統によって支えられた、確固とした美が。

祇園祭はすごい。

素直にそう思った。

それまでは、正面きって祇園祭に対面したことがなく、また、それを避けていたような気もする。そのことを後悔した。

縄は、一つの山鉾につき五千メートルほどを使うことをあとで知った。

 

さらに、曳き初めを見て、私の感動は頂点に達した。

鉾建てが終わると、町内で鉾の試し曳きが行なわれる。

何となくそれを知っていたから、鉾町に居残って、曳き初めを見ることにした。

 

今しがた、縄を結わえていた鉾が組み上がると、それが動く。

その衝撃は口では言い表せない。

構造的にはおもちゃみたいな作りであり、大工さんがよってたかって今、組み立てていたその鉾に、何十人もの人が乗りこみ、それが動く。

自分の目の前で、2メートルの車輪が動く。

囃子方が鉾の上に乗り、お囃子を奏ではじめる。鉾曳きをする人々が、鉾の前にある綱にそれぞれ掴まって綱を引く準備をする。
音頭取りの人が二人、鉾の前に乗り、扇子を動かす。

ひらひらと扇子が舞い、「ヨーイトセー、エーンヤラヤー」の掛声で、綱引きの人々が綱を引く。

ガタン、ゴトンと、ものすごい音をたてて鉾が動くのだった。

鉾は約12トン、最も重い月鉾で14トンあるという。

鉾の車輪のまわりには車方の人が何人もいて、鉾が思う方向に動くように車輪をコントロールしながら歩く。

船を漕ぐオールを分厚くしたような木片を持ち、それを車輪の下に入れて、車輪がちょうど良い方向を向くように調節する。
木片を踏むから、車輪がゴトンという音を立て、鉾が大きくかしぐ。


車方と車輪を微調整する道具と車止め

30人から40人の人が乗っているというのに、車方の人はそんなことお構いなしにガタゴトと車輪を操作する。

この無造作さ、ザツさ。

 

鉾は全長(真木のてっぺんまで)20メートルほどある。

だから、鉾が動くたび鉾頭(真木のてっぺんの鉾のシンボル)がゆらゆら揺れる。

鉾頭だけでなく、真木も右に左にぐらぐらと揺れる。囃子方の人が乗っている6畳ほどのワゴン(?)もぐらぐら揺れる。

鉾は、おもちゃのように簡単な、原始的な構造なのだ。原始的な構造を単に巨大にしただけのものだ。

揺れるのは当たり前だ。

けれども、倒れない。今にも壊れそうなのに壊れない。

本当に大丈夫なのか?でも、いままで鉾が倒れたというニュースを聞いたことがない。だが、乗っている人は怖いだろう。

 

こんな危ないことが、現代の大都市で行なわれているのか。なんてべらぼうな。

こんな原始的な、無造作な見世物が、大手を振って堂々と町を徘徊している。我がもの顔で、偉そうに、当然というように。

いや、原始的だからこそすごいのか、にも関わらず巨大だからすごいのか。

訳も分からずただすごい、そう呆れるばかりだった。

その驚き。

 

私は夢中になった。

鉾は、見物していると、なかなか動かない。

鉾を動かすためには長い段取りがある。

今か、今かと待っていると動かない。

お囃子方が鉾に乗り込み、お囃子を奏でるのを待ち、音頭取りが鉾の前に乗るのを待たなければならない。

そのくせ、いったん動き出したらあっという間だ。

あっという間に自分の前を通りすぎてしまう。愛想もくそもない。

この緩急の落差。それがたまらない。

それは、山鉾巡行の本番でも同じだ。

辻回しの地点に来ても、鉾はなかなか曲がらない。段取りがあり、準備があり、タイミングがあり、それらをクリアしてはじめていっきに回る。

このもったいのつけ方、もったいぶり方が初めはしんきくさい。いらいらする。

はじめは、鉾の巡行が、何てノロノロしているのだ、だらだらしてからに、さっさとせい、などと毒づいている。

けれども、だんだん山鉾巡行のこの緩急の落差に気がつくと、それが快感になって来る。

待つことで、動く時のダイナミズムのカタルシスが増幅されるのだ。

待って待って、待ちくたびれて、だるくなって来た時に、いきなり動く。

 

囃子方のお囃子が聞こえて来ると、背筋にぞくっとしたものが走る。

もうすぐ鉾が動く。お囃子の音が合図となって、それがこちらに認識されるのだ。

そんな段取りが、快感になってしまう。

「段取り」がある事柄は、古くさいしきたりに乗っ取っていることが多いが、しかしいったんその段取りを知り、それを踏まえてみると、とんでもない快感につながるのだ。

そのことを、曳き初めで知った。

そして、その段取りに、明らかな美意識がある。

祇園祭の、あらゆる部分、あらゆる側面にその美意識が貫かれている。

例えば縄の結び方であり、音頭取りの扇の動かし方であり、くじ改めでの所作である。

 

祇園祭が今の形になったのはおおむね室町時代とされる。

室町時代の絵に、もう現代に伝わる鉾の形がそのまま描かれている。室町時代に富を蓄えた京の町の町衆が、山鉾を今の形に作り上げ、今のような祭にした。

これは庶民の祭、当時の室町の裕福な金持ちが、自分たちの富を見せびらかし、自慢するための催しとして、発展したものだ。

だから、もったいぶった所作とか、格式ばった稚児の存在だとかは、すべて庶民がこの祭の権威を高めるために、わざと取り入れたものだと思う。

だから祇園祭のそこここに必要以上に形式ばった、もったいをつけた側面が現れるのだ。

私には、そんな町衆の子供っぽい権威づけがとても楽しくてたまらない。

どこかに遊び心がある。

わざと格式ばったことをやって楽しんでいる、そんな町衆の心意気を感じる。

格式ばったことを取り入れたのは、そこにこそ、町衆が美を見出したからだろう。

また、生活のあらゆる面に美を取り入れて過ごしていたからこそ、そこに(見えない部分にも)おのずと美が溢れ出たとも言える。

 

私が次に祇園祭に傾倒したのは、「懸装品」と言われる鉾のお飾りによる。

現在、鯉山、鶏鉾、函谷鉾に重要文化財の見送り(鉾の後ろを飾る)が収蔵されている。
(現在ではすべて復元新調したものを巡行に使い、実際にはもう使っていない)

重要文化財の美術品を山鉾が所有していることがすごいのではない。

そうではなく、重文の美術品を山鉾にくっつけて、ぐらぐらさせながら町中を練り歩く、そのことがすごいと私は思ったのだ。

私が見た巡行では、鶏鉾が復元品を使う前の最後の巡行で、重要文化財のタペストリーをひらひらさせて辻回しを行なっていた。

考えてみればすごいことだ。

本来なら、博物館や美術館にあるべき美術品を、町の中にさらして歩くのだ。

しかもその鉾は、右に左にぐらぐら揺れて、ガタンゴトンと言わせながら、車道や、屋根と屋根がすれて触れそうな狭い道を行くのだ。

この大胆というか、無造作というか、ざつというのか、美術品を大事にしているのか駄目にしているのか良く分からないこの祭のスケールの大きさに、すごさを感じたのだ。

そんなことは、普通ならとうてい許されることではないだろう。

重要文化財ならば、例えば宗達の「鶴下絵」とか「百鬼夜行図」とか「空也上人像」を、鉾の上に乗せて町の中にさらすようなものだ。考えられないではないか。

 

祇園祭でもっとも嬉しいのが、この貴重なものを惜しげもなくふんだんに使い、それを見せつけながら、大胆で、無造作で、大らかで、平気ですごいことをやってのける、このミスマッチの極致なところなのだ。

現代の高層ビルのただ中に、突如あの巨大な玩具めいた極彩色の山鉾が建つ違和感。

考えてみれば、現代のビルにも負けていないあの鉾の迫力は、ただものではないだろう。
500年前の人々の創造力は、現代人をも恐れ入らせるのだ。

500年前の人は、20メートルもある巨大なあのおもちゃに驚いただろうが、現代でもじゅうぶんに驚くに価する。

現代では、それを「動く美術館」と称して、それの重要性も、美的な価値も良く知っているけれども、それでもただそれだけではない。
いざとなったら何とも大胆に、平気で貴重品をさらし出し、ほうり出すような景気の良さを持ち合わせている。

それこそが町衆の心意気なのだろう。

 

巡行の終わった月鉾の前を通ると、すでに解体作業が始まっている。

月鉾には円山応挙の筆による図絵が屋根下(裏)に描かれている。

それが、道端に放り出されているのだ。

鉾が解体されて、木片に戻り、収蔵庫にふたたび収められる。その撤去作業の最中に、木片に描かれた円山応挙が道端にほったらかしにされている。ほかの木片と同じように無造作に。

大丈夫なのか?月鉾。いいのか?

私はあっけに取られながら、やはり祇園祭はすごい、ただごとではないとの思いをその時、新たにしたのだった。

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