06/04/12 関西のテレビ番組
06/04/20  見仏の困難

06/4/20 見仏の困難

夏と冬は暑く寒い。よって、外歩きはしたくない。

夏に歩こうものなら、汗がだらだら出て呼吸困難になり、何キロも歩くことを想像するだけで脱水症状になりそうだ。

冬はまだましだが、家の外へ出ることに勇気がいる。うじうじして、なかなか外に出ようという気にならない。

そういうわけで、春と秋、ほどよい気候になると外歩きをしようという気になる。

見仏、つまり仏像初心者としては、この良い季節にいっきに仏様を見て歩こうと意気込むわけである。

ところが、これが意外にもなかなか困難なのだ。

夏と冬の間はじっと我慢しながら、頭の中で涼しくなったらきっとあそこへ行こう、暖かくなったらあそこへ行くのが楽しみだ、などと想像して楽しんでいるのだが、実際にほどよいいい季節になったらどうなるか。

 

まず、春になると桜だ。そしてすぐにさつきやつつじが咲く。それから菖蒲、かきつばた、紫陽花、云々と花が美しく咲き乱れ、そちらに意識が飛んでしまう。

秋になると当然紅葉だ。あそこが色づいた、今度はあそこだ、と天気予報を毎日チェックして確める。

仏像どころではなくなるのだ。

お寺には必ず桜と紅葉がつきもの。

桜や紅葉を見がてら仏像も見て来よう、そうだそうだ、それが一挙両得、両手に花。

まあ当然そういう算段をする。

ところがいざお寺へ行ってみると、あまりの紅葉の美しさ、桜の見事さにみとれ、それだけで満足してしまう。

そして何としたことか、つい仏像にまで意識が行かず、つまり、忘れてしまうのだ。

あれ?あそこにこういう仏像があったはずなのに、どこにあっただろう?
という始末。

みうらじゅんのように何があっても仏像だけにしか驀進しないという幸福なマニアではなく、単なるミーハーで俗人の私は、桜も見たい、紅葉も見たい、甍も見たい、庭も見たいという欲張り根性でお寺へ行くものだから、つい、仏像を忘れてしまうのだ。

 

京都のお寺もいけない。

どのお寺も結構国宝仏を持っているくせに、仏像よりも桜や紅葉をウリにしている。仏像を二の次にしてしまっている。

三千院の阿弥陀三尊はちゃんと国宝になっているのだが、三千院へわざわざ仏を見に行く人はあまりいない。
三千院と言えば、恋に疲れた女が一人で紅葉を見に行き、アイスきゅうりとぬれおかきを食べに行く所、と決まっている。

または、仏よりも庭である。

京都のお寺は仏に加えて庭がもれなくついて来る。それで庭を見ているうちに仏様のことを忘れてしまう。

 

やはり、仏様を見るなら奈良へ行くしかない。

奈良でないと、ゆっくり仏像を見られないと思う。

奈良は、純粋に仏様をリスペクトしている。どの寺も、まずはじめに仏像ありきである。

でも私はつい、近場の京都で済ませてしまうのだ。京都なら市バスや地下鉄でお手軽に行けるものだから、つい、近場に走ってしまう。

本当は奈良の方がすごいのに、悪いことに京都にもそこそこ、という感じの仏があってしまう。だからよけい奈良へ行くのが後まわしになり、京都で済ませてしまえということになる。

 

はじめに見たのが東寺や興福寺の仏だったことも不幸の原因かもしれない。

いきなリ松坂牛を食べてしまった。

いきなリプルシェンコの4‐3‐2を見てしまったようなものだ。

五大明王や毘沙門や仁王様の飛び切りのものを見てしまっているから、ちょっとやそっとのものに目が向かない。
あまりにも大向こう受けのするかっこいいのをはじめに見たものだから、阿弥陀様とか、観音様の良さが分からない。
ふーん、でも大威徳の方がかっこいいもん〜、とか思ってしまう。

今年の春は、夏になるまでに、奈良へ行く、のが私の使命と課題であるだろう。

 

06/4/12 関西のテレビ番組

関西のテレビ番組は、UHFを除けば主に大阪で作られているものが殆どだ。

大阪には毎日放送、朝日放送、関西テレビ、読売テレビがあり、殆どは東京のネット局からの番組を放送しているが、各放送局とも、自分の局で制作している番組もいくつかはある。
ゴールデンタイムのしょうもないドラマやバラエティ番組はすべて東京からの放送だが、昼間とか、朝とか、土曜日の午後とか、深夜とか、そういうのが在阪のテレビ局の制作になる。

つまりメインの放送の間隙を縫って、自局の制作の番組を細々と放送しているのだ。これはどの地方でもおそらく同じ状況だろう。

そして、この在阪テレビ局の番組はどういうものか、が今回のこの駄文のテーマである。

以下の文には例によって不穏当な発言があるかもしれませんので、いやな方は覗かないで下さい。

 

***

関西のテレビ番組のいちばんの特徴は、まずだらだらしている、ということだと思う。

殆どがあまりお金のかからないスタジオトーク番組で、ゲストである在阪のお笑い芸人たちが、メイン司会者の言うことにあれこれと突っ込みを入れながら番組が進む。

このパターンは、先に挙げた大阪の放送局の如何に関わらず、どの局でも同じことをやっている。それは、びっくりするくらい同じなので奇妙だ。ワンパターン(死語)というか、お金がかからないから、どの局もこうした同じ番組作りになるのだろう。

スタジオではなく、ロケ番組も時にはあるが、パターンはスタジオ番組と殆ど変わらない。

お笑い芸人が出て来て、どこかへ旅をする。その芸人のリアクションをカメラが延々と撮っている。編集はされているが、不必要な部分や、長すぎるところを切ってあるだけであり、複雑なカットバックなどはない。ほとんどそのまま流しているのではないかと思うものもある。

 

つまり、関西のテレビ番組は、芸人の喋りをひたすらノーカットで流す、のが基本だ。

おそらく、在阪テレビ局は関西の芸人のトークは面白いので、カットせずにそのまま流せば面白い番組になる、と考えているのだろう。
その結果、芸人が複数出て来て、あれこれうるさい喋りがだらだら続く番組ばかりになっている。

芸人たちが、ひとつのテーマ、例えばその時のニュースや芸能ネタについてトークする。芸人のことだから、トークで目立ちたいのが第一目的だから、そのネタについては脱線しまくりで、殆ど真面目に語ろうとはしない。

こういうトーク番組は主婦が夕飯を作りながら見る番組なので、だらだらしゃべりの方が気軽に見ることが出来るのだろう。

テレビをかじりつきで見るような人間には不向きである。

 

ちちんぷいぷいという番組がもっとも顕著だ。

この番組は、月曜から金曜の昼過ぎ(3時くらいから)2時間(ひょっとして3時間かも)もあるニュースやら何やらのトーク・バラエティ?である。

角(すみ)淳一という「ぼけかけのおじいちゃん」が司会で、例によって大阪のお笑い芸人や、東京の役者がひとりくらい、きれいどころがひとりくらいというラインナップのゲストがいて、角アナのパネルトークにあれこれと切り返す。

この番組を真面目に通して初めから終いまで見たことはないのだが、見ると必ずイライラするのがメイン司会の角アナウンサーで、この人が何者なのか知らないが、見ているとほんとうに「ぼけかけ」としか思えない。

パネルに表示される文章を読み上げながら司会進行をするのだが、この文章を、彼は読めない。漢字を間違う、カタカナを間違う、言葉を知らない、正確に読めない。さらにろれつが回っていない。喋っている最中にしょっちゅう咳をする。

ハイヒールリンゴやモモコにその間違いを指摘されると、むっとして言い訳をし、自分の間違いを認めようとせず、逆ギレする。

よくこんな人が司会をしているなと思うが、これが関西のテレビなのだ。

多分主婦には、このようなまったりした司会進行が受けているのだろう。

私の恐怖は、この4月から編成が新しくなり、この「ちちんぷいぷい」の時間が午後2時から始まる、つまり1時間延長されるということだ。

時間が延長されるということは好評だからだろう。

とすると、ぼけかけの角アナに人気があるということなのだろうか。

分からない。大阪のテレビ番組のクオリティがまったく分からない。

 

あと、読売テレビというところで、朝の月〜金になるみ、陣内という司会のトークバラエティがある。

私はこの陣内という人の良さがまったく分からない。
喋りは下手くそ、間は悪い、突っ込みもボケも下手くそでよく司会が出来るなと思う。

若い子に人気があるらしいが、それほど顔がいいのだろうか。決して良いとは思えないのだが。

大阪のクオリティが分からない…。

 

関西テレビの朝10時から月〜金に放送しているのは「痛快エブリデイ」で、桂南光さんが司会だが、これの月曜日が「男がしゃべりでどこが悪いねん」。

これも、レギュラー(芸人)とゲスト(ほぼ芸人)がテーマに沿って、カットなしでだらだら喋るだけの番組だが、これは面白い。
レギュラーのざこば、桂きん枝、ボタン、太平サブローらのトークが面白いし、いいことを言う。
脱線しそうになると、誰かがいいタイミングで話を柔らかく元に戻す。
絶妙の間とボケ・突っ込みのテクニックが駆使され、ゲストはこのレギュラーの話術に入りこむのに苦労している。
それくらい、彼らの熟練の話術が楽しめる。特にボタンさんの間とボケと突っ込み具合は職人技。
辛口の政治ネタから男女の色話まで、トーク範囲も広く、トークのクオリティが高い。

同じ芸人でも、きちんとした話術を持つ人と、そうでない人が、大阪にもいるということだろう。

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