06/1/29 男性週刊誌について
06/1/29 男性週刊誌について
男性週刊誌という呼び名は、現在のところない。これは、私の造語である。私が、女性週刊誌と区別する意味で使っているのである。
女性週刊誌という呼び名はある。
それは、一般的に考えて、普通の週刊誌ではなく「女性」週刊誌である、と、少し軽蔑のニュアンスを伴って使われている。このことは、正しい認識だと思う。
普通の週刊誌に比べて、女性週刊誌は、内容なり何なりが劣っており、したがって、それを読む人種も「普通」の週刊誌を読む人間に比べて、人間が少し劣っている。
というようなニュアンスが、そこに含まれる。
このことに間違いはないように思うが如何。
私は、女性週刊誌というものを、生涯で買ったことが3度ばかりある。
それは順序は忘れたが、「XジャパンのToshiのスキャンダル」と「ジョンベネ事件」の時と、「オリバー・カーンの写真」が載っていた時、この3回である。
それ以外に買った覚えはない。
だから私は、女性週刊誌を、生涯においてほとんど買ったことがないと言ってもいいかと思う(ぱらぱらと立ち読みすることはないでもない。また職場の食堂などに置いてあるものを暇つぶしに読まないこともない)。
そう言えば、ジョンベネ事件はどうなったのだろう。本題と関係なく私はそのことに胸を痛める日々である。
私は、スキャンダルや芸能人の話題には興味がないので、普通ならば買わないのだが、このジョンベネ事件ばかりはなぜか興味が出て、買ってしまったのだ。
主人公の少女のルックスがあまりにも異様であり(少女なのにおばはんのように気持悪い顔だった)、それが美少女と呼ばれていることにあまりにも違和感があったので、思わず知らず週刊誌を手にしてしまったのだ。
私にしてみれば、それは「負けた」という、敗北感のつのる行為であった。
スキャンダラスな事件に興味を引かれ、なおかつ、女性週刊誌のような通俗的なものに手を出してしまった、という自分に、ある種のプライドを傷つけられ、自分が俗にまみれてしまったような、汚れてしまったような自己嫌悪を感じたのだ。
このように、私自身、女性週刊誌というものに、通俗、語るに足らないクズ、紙の浪費、資源の無駄、というイメージしか持っていなかった。
であるから、私にとって、女性週刊誌を買うという行為は限りなく恥ずかしいことであり、それを買う時には何らかの言い訳を自分にしつつ(どこにもないオリバー・カーンのプライベート写真が載っていたから仕方なく買う等)、そうでなければ、買う価値などないものなのだ、というスタンスを崩さなかった。
おおかたの女性にとっても、女性週刊誌などというものは美容院のセットの合間に退屈凌ぎに読むもの以上のものではないであろう。
女性週刊誌に対する通常の認識は、誰でもそのようなものと言っても良いのではないだろうか。
しかし、買った以上は本であるから、隅々まで読まなくては元が取れない、という意地汚い欲望から、そして、仕事の合間の暇な時間に時間つぶしに仕方なくという動機から、それを隅々まで読む機会があった。
そうして実はそれが、自分のイメージしていた女性週刊誌というものと、かなり違っていることが私には分かったのだ。
確かに芸能人の記事は多いが、そのほかに、生活に役立つ貯蓄や投資などの記事も載っている。
生活に役立つ料理や、最近の時事問題、経済、政治などに対する解説、また、苦労を伴う人間関係についてを軽く笑い飛ばしたりする記事など、女性が生活してゆく上で、女性週刊誌が、その指針というか、有用なガイドの役割を果していることに気がついた。女性週刊誌を読んでいれば、最低限、世情や世渡りのしかたなどの有用な知識が得られるのだ。
私は、女性週刊誌という呼び名によって、内容もよく読まずにそれを貶めている自分を深く反省した。
と同時に、では、女性週刊誌ではなく、普通一般の週刊誌はどうなのだ、という疑問が涌いて出た。
女性週刊誌、という冠詞をつけないで語られる週刊誌とはどんなものか。
それは当然、週刊誌と言われるもののうちで、女性週刊誌以外のもののことであろう。
週刊文春とか、週刊新潮とか、週刊ポスト、週刊現代、サンデー毎日、などのことであろう。
私は自分の認識の中で、それらの週刊誌が、所謂「女性」週刊誌よりもグレードの高い、高級な内容を持っているもの、という何となくの、暗黙の了解を持っていることに気がついた。
それは果して正しいのか。
いや、実は、そんな認識など大間違いだったのではないか。
ここまでが前フリで、これからが本題である。
私は、とうとう、それらの週刊誌の程度の低さに気がついてしまったのだ。
それは、私が騙されていたということではなかろう。私の認識がひたすら甘かったということだ。
私が、それらの週刊誌をあまりにも高く(?)評価しすぎていた。無意識に、評価していた。
女性週刊誌はくだらなくて、それら一般週刊誌はくだらなくない、いつの間にかそう思い込んでいた。そう思い込んでいたことが歯噛みしたいほど悔しく残念で、そのやりきれない思いを、ここにぶつけたいのだ。
*-*-*
一般週刊誌の中で私が最も馴染んでいるのが週刊文春である。
これは自分で5年に一度か、10年に一度、買う。
つまり自分の生涯のうちで、一度は買ったことがある。最近まで、その買った文春を保持していたから確かだ。あともう一回は、確認が取れない。
あとは立ち読みか、人が買ったものを読むかが接点である。
文春が好きなのは、被虐派哲学者土屋賢二の連載があるからでもある。
他の週刊誌にいたってはほとんど接点がない。
その、私が一番馴染んでいる週刊文春の口絵ページには、毎週、妙齢の女性のグラビアが掲載されている。
女優だったりモデルだったり、素人かなにか知らないが、とにかく女性である。それは必ず女性であり、妙齢の男子ということはない。
このことに私は、ずいぶんと前から気がついていた。
男女差別だと。
なぜ、判で押したように妙齢の女性なのか。なぜここに、美形の男子が登場しないのか。またはおばはんなり、おっさんが登場しないのか。
これを疑問に思った時、私自身の女性週刊誌への偏見と、一般週刊誌への過大評価がまるで雲が晴れたように明らかになり、私はとうとう、真実を発見したのだ。
文春の場合はまだマシなのである。妙齢の女性が裸体であることはない。
その他の週刊誌をあまりよく知らないが、文春以外は、口絵の女性が裸体であることが多いらしい。
そのことから類推して、私は判断した。
女性週刊誌の程度が低いなどというのは、今までの私の思い込みに過ぎない。
一般の週刊誌のこのグレードの低さは、女性週刊誌を凌ぐ。女性週刊誌には、有用な記事も多い。
一般の週刊誌は、確かに政治や経済のことなど、一見むつかしそうな話題をふっている。
しかし、そう見えて、それは実は女性週刊誌のものとそうたいして変わらないものなのだ。一般週刊誌が政治家の不正などを記事にする時、その政治家のしくじりが自分の会社に影響を与え、自分の身に降りかかっては来ないか、経済のことを話題にする時、自社の株が下がりはしないか、ということが結局、興味の対象なのだ。
優良会社はどこかといった格付け、どの大学出身者がどの企業に就職しているか。
要するに、それくらいの記事しかないのだ。
そのほかにはスポーツ選手の話題。そして、女子アナの話題だ。
女子アナが誰とくっついたとか、裸になったという話題が定番だ。
もう、女性週刊誌を「女性」という冠詞をつけて蔑視するいわれなどない。
オマエラこそ、程度が低いではないか。なんだそのザマは。
これらの一般週刊誌は、女性週刊誌と対比して、男性週刊誌と呼ぶべきだ。男性週刊誌と読んで、差別したい。
いや、男性週刊誌というよりもオヤジ週刊誌と呼ぶべきだろう。
女性がヨン様やらジャニーズやらと言っているのと同じように、オヤジは女子アナに鼻の下を伸ばしているのだ。
今、フィギュアスケートがブームである。
いつだったか、もう何年も前のことであるが、その、フィギュアスケートに関連することで忘れられないことがある。
確かそれは、幕張でフィギュアスケートの世界選手権が行われた時であろう。そんな気がする。フィリップ・キャンデローロが話題になった時だからだ。
私は、その時、幕張で(いや、リレハンメルの時から)活躍したキャンデローロ選手がたいへん印象に残り、彼に関する記事を捜し求めた。
テレビ画像では、演技を終えたキャンデローロに「民族大移動のように」ファンが押し寄せる様子が写されていた。その熱狂ぶりは、凄まじいものがあった。
さぞやどのメディアでも話題になっているだろうと思った。ところが、私がキャンデローロのデータを求めて書店をうろついても、彼に関する記事、彼を掲載している本、雑誌などは皆無だった。
今のようにネットなどはなかったころだ。もし、その時ネットがあれば、キャンデローロ・ファンがネットに大増殖していたことと思う。でも、そんな時代ではなかった。
書店ではキャンデローロどころか、フィギュアスケートの話題さえ、世界選手権が日本で行われたというのに、リレハンメルオリンピックの直後だというのに、どのような本にもそれが触れられてはいなかった。
わずかにフィギュアの話題を載せている週刊誌があった。
それは、幕張(多分)での、日本のある女子の選手の写真だった。
一ページのみ。そしてそれは、その女子選手の短い競技用のスカートがめくれている写真だった。私は驚いた。
あれほどキャンデローロ選手が話題になったのに。世界選手権にはキャンデだけでなくストイコ選手もウルマノフ選手も来ていたというのに!
そんな話題の選手はまるで無視して、無名の日本女子選手のパンチラ写真だけを載せる週刊誌!
それは、最近の安藤美姫選手の取り上げ方と何ら変わっていない、オヤジ週刊誌の体質だ。
安藤選手の実力や人気とは関係なく、ボディだけで彼女を贔屓にする。一般の人気や評判とはまるで遊離したオヤジ評価である。
のちに、キャンデローロ選手を掲載している雑誌を発見した。
それは、「JUNE」。
もしかして、ジュネは耽美だとか何とかというよりも、女性がメディアの主導権を握る、という、日本で最初のケースだったのではないかと思ったりもする。
「女性」週刊誌は、男性が女性向きに作っているのではないかと思う。
わざとらしい韓流ブームや、芸能界スキャンダルなど、女性のニーズに必ずしも合っているとは思えない。JUNEがある意味で、女性を覚醒させた。それは間違いないだろう。
だから私はオヤジ週刊誌の欺瞞に気がついたのだ。
オヤジ社会の通念を、V感覚しか認めないオヤジメディアの代表であるオヤジ週刊誌を、この際、徹底的にバカにし、あざけろうと私は決心したのだった。