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05/07/16 祇園祭の興奮
05/7/31  東大谷 ねねの道界隈の散策

05/7/31  東大谷 ねねの道界隈の散策

父の月命日に東大谷廟へ行った。

東大谷は、市バスのバス停で言うと「祇園」で降りる。

バス停の「祇園」は通り名でいうと四条通東大路、…ということになるだろうけれど、そんな風に言うことはなくて、やはり祇園、と言う。ここは四条通の終りである。

四条通のどん突きには八坂神社がある。四条通は、東大路通に面している八坂神社で終っているのだ。

東大谷へは、八坂神社の境内を歩いているといつの間にか到達する。

とにかく子供のころから、そんな認識がある。

祇園のバス停から横断舗道を渡り、八坂神社の門をくぐり、境内を歩いてゆくと円山公園に着く。

とにかくまっすぐ歩くと円山公園だ。

八坂神社を突っ切ると右に祇園祭の山鉾の倉庫がある。左が円山公園だ。

円山公園といっても京都市民はあまり有り難味を感じていないが、確か有名な作庭家の小川治兵衛(?)だかが作った、ちゃんとした庭園だ。

花見の時で有名な枝垂桜があり、それを見ながら鴨のいる池の前を右に曲がり、長楽館の前を過ぎると、東側に石の舗道があり、そこをまっすぐ歩くと東大谷廟へ行く。

まっすぐというか、東大谷は山なので、石の敷き詰められた参道(?)を昇ってゆく。

この辺、人力車が多くて、観光客と間違われてよくお兄ちゃんに乗って行けと進められる。墓参りだが、坂を登るのがひと苦労なので、母を乗せようかと思ってしまう。

連休のあとだったので、誰もいない。閑散として、蝉の声だけがする。

お盆の時には人でいっぱいになるのだが。

 

昔、子供のころには毎年お盆の早朝に東大谷へ行った。

朝の5時か6時くらいだったのに人がいっぱいで、ぞろぞろと人のあとをついて階段を昇った。

現在、最後の階段登り部分だけにエレベーターが出来た。ものすごい進歩だ。
高齢者が多く、足が悪くて登りきれない人もいるので、エレベーターを付けたということだ。

お参りが終わったあとに、円山公園の屋外のテントでかき氷を食べるのが子供のころのこよない楽しみだった。
かき氷のためにお参りに行っていたようなものだ。

現在は、お参りが終わったあと、長楽館でティーセットを頼むか、ねねの道へ歩き、抹茶アイスなどを食べるのが楽しみだ。

 

東大谷の南側へ出ると、なかなか風流な坂道がある。サイドには、墓石屋さんなどがある。

坂の途中に、西行庵と、芭蕉堂という萱葺きの趣きのある建物がある。

標札が上がっているので、個人の住宅らしいのだが、看板に案内が出ている。何らかの登録文化財かと思うのだが。西行に芭蕉なのだから。でも謎だ。

公開はしていないのかもしれないが、ふたつともすごい建物なので、その前を歩くたび、いつも気になってしようがない。

さらにもう少し歩くと祇園閣がある。

お寺の境内の一角にあり、とても不思議な建物で、祇園祭の鉾の形をしており、これが町なかににゅっと建っているさまは、たいへん曲々しい。

設計は伊藤忠太という人で、平安神宮を設計した有名な人でもあるが、変わり者だろう。

お化け屋敷と言ったら言い過ぎかもしれないが、それに近い趣きがある。

 

ねねの道はここを左へ曲がる道だ。

八坂の塔が遠くに見え、いわゆる京情緒をたっぷり楽しめる場所でもある。観光客でいつも混んでいる。

人力車が行き交い、まるで京都に来たみたいだ。

ねねの道は昔は高台寺道と言ったそうだが、一般ウケを狙って改名して石畳に舗装した。

ここの石畳は、かつて走っていた市電に敷設されていた敷石を使っているということだ。

京都の中でここだけ(?)電線がなく、舗装する時に電線を地下に埋めたのだろう。

時々野際陽子がテレビ撮影で歩いているという話だ。

このあたりの京都的なお休み処で抹茶アイスを買い、路傍の石に座って食べていると、蝉の声がし、人が少なく、木漏れ日が静かにさして気持ちがいい。

 

帰りには、抜け道を通って東大路通まで行くことを最近覚えた。

複雑な抜け道を通ると、石塀小路に出る。

まるで人家の裏庭のようなところを通っている気分になるが(実際そうなのかも知れない)、石畳と路地の木の壁と、犬矢来のある民家が続き、いい気分になる。

いわゆる京情緒の超有名処と、人にまるで知られていない抜け道を交互に歩いてゆくのは、なかなかスリリングでいつもどきどきする。

まるで2時間ミステリーの主人公になったつもりで石塀小路を歩き、東大路に出てそこで母と別れる。さらにそこから四条河原町まで歩くのだ。

南座、レストラン菊水、東華菜館を見ながら鴨川を渡り、河原町の雑踏へ姿を消す。

祇園芸妓・花簪に残された謎、京都八坂神社殺人事件。

鍵を握る女は、どこへ消えたのだろう。あっという間に見失ってしまった。

 

05/07/16 祇園祭の興奮

長刀鉾のお稚児さんは、祭の期間にはパンツをはいてはいけないらしい、というようなネタも、今年新たに仕入れた。
やはり、祇園祭は奥が深い(ここ笑うところ)。毎年新しい事実を知って驚く。

江戸時代以前は、旧暦の暦によって行われていたから、6月14日が山鉾巡行だった。

やはり梅雨が明けるかという夏の初めに行われていた。じめじめした梅雨時から夏にかけて、ものが早く腐り始める時期。疫病や伝染病が流行り出す。
疫病の神が、暑くなって目を覚ますからと考えられた。その災厄の神を鎮めるための祭が祇園祭。
暦が変わっても、季節感と、祭の意味を考えた時、新暦でも梅雨の明け時に行うのが適当、という判断だったのだろう。それで日付が一月ばかりずれることになった。

京都は古い町であるから、旧暦以来の行事が沢山ある。
多くは旧暦より一月ほどずらした日に行うことが多い。季節感を旧暦に合わせてあるのだ。旧暦の行事は、季節そのものを表わしているからだ。

だから祇園祭が終ると本格的な夏が来る、と京都の住民の誰もが覚悟をするのは今も昔も変わらないだろう。

祇園祭は京都を象徴する祭であり、この時期だけは普段大人しげな京都人のテンションが上がる。

息が荒くなり、顔が紅潮し、体温が上がる。そわそわし、落ち着かなくなり、目がうつろになる。コンチキチンの音を聞くと条件反射によって体が震え出し、駒方提灯を見ると涙ぐむ。

このくらい、京都人にとって祇園祭は重要な行事である。

梅雨明け、祇園祭、夏の始まり、この3つがワンセットとなって京都人の体に沁み付いている。

近年、祇園祭は観光イベントとなっているが…などという論調をよく目にするが、余計なお世話だ。観光客にとっては単なる見世物イベントであろうが、地元民にとってはそうではない。

水無月を食べ、コンチキチンの音を聞き、はもの落しを食べ、エンヤラヤーの音頭を聞き、かもなすを食べる。すべて季節の行事である。
これらのことは、京都に住んでいる住民がもはや無意識に行う季節の儀式である。

祭とは、もともとその地域の住民のものである。それ以外の人間は外から見るだけであり、参加することは出来ない。そして祭とは参加してナンボのものだ。どこの県でもそうだ。

祇園祭は室町の呉服商の祭であり、町衆が育てた都会の祭である。日本中で最も都会的な祭だ、と私は思っている。

御輿を担いでワッショイ、などというのは非常に田舎の祭である。
(祇園祭のなかにも御輿をかつぐ祭がある。それが、日本の祭の原点となった。)

祇園祭は、そういう意味で、普通に思われている日本のお祭とはまったく違う。
祇園祭は、美意識の祭である。儀式と所作の美であり、様式の美である。
そこに貫かれているのは、放埓なほどの美である。美が、祭の基準なのだ。

京都が歴史の中で培って来た、能や狂言、織や染色など、ありとあらゆる京の文化を凝縮した美意識で、貫かれている。
それであるから、土着的な祭とは逆に、文化を誇る都会人である京都の民の心をこれほどまでに掴んで離さないのだ。

祇園祭に関して、昔私はものすごく悔しい思いをしたことがある。

大学に入りたてのころ、サークルで祇園祭の話題が出た。

先輩の男子学生が、その人は多分地方出身者だったのだろう。
祇園祭は、ただ町をだらだらと練り歩いているだけである。退屈極まりない。あんなものは祭とは言えない。祭とはもっと勇壮で、男らしいものだ。
そのように、その男子学生は、祇園祭のことを評したのだった。

私はその発言にひどく傷つき、しばらく立ち直れなかった。

そのころ私は祇園祭に何の思い入れもなく、また、京都以外の祭も知らなかったので、祇園祭とはあんなものだと思っている程度だった。
けれども、それをこっぴどく批判されて、私は傷ついてしまった。

そんなにぼろかすに言わなくてもいいじゃないか。私たちはあれで満足しているのに。

祇園祭は間違っている、と言われたような気がしたのだった。

同時に、何かをぼろかすに言って平気な人間がいる、という事実に傷ついたのだろう。「季節の儀式」を否定されたような気にもなったのかもしれない。

それ以来、祇園祭はコンプレックスとなり、私はねじれた思考回路によらなくては祇園祭を語ることが出来なくなった。

四条通は京都のメインストリートであり、無数の信号機が設置されている。

山鉾巡行で、巨大な32基の山鉾は、この四条通を通りぬける。

山鉾が四条通を通る時、その車道に設置されている信号機は、いっせいに歩道側に畳み込まれ、通りから信号が姿を消す。

四条通(北側)の車道の信号は、折りたたみ式になっていて、1年に1度、祇園祭の巡行の時にだけ、巡行する鉾のさまたげにならないように姿を消す。祇園祭のためだけに、折りたたみ式になっているのだ。

他の地方の人間に、どれだけくさされようが、祇園祭は京都市民の血肉である。
他の地方人間にあれこれ言われる筋合いはない。

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