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10/5  美術手帖のドール特集
10/16 ファブリーズって汚らしくないですか。
10/24  カスタムドール

10/24 カスタムドール

最近は沢山の種類のドールが市販されて来て百花繚乱の状態だ。
ジェニーやバービーだけでなく桃子やブライスといった変り種まで出て来て、消費者は楽に好みのドールを手に入れることが出来るようになって来た。
女の子の人形に関しては、言うことがない。

以前カスタムした時は、多分、自分だけのオリジナルな、思い通りの人形が欲しい、ということで作ったような気がする(正確にはもう忘れた)。既成の人形に飽き足らなかったということもあったかもしれない。
しかし今はジェニーもずいぶん可愛くなったし、既成ドレスも、ユーザーが欲しいと思うものをどんどん取り入れている。
自分でわざわざ作らなくとも…ということになって来ている。

もちろん、不満を言うならいろいろあるし、理想を求めればいくらでもあるとは思うが。しかしとりあえず、女の子の人形はいやというほど供給がある。

でもそれは、女の子の人形に関してだけ。
こと、男の子の人形に関しては、まだまだだ。

男の人形に対してはずっと不満があったし、何とかならないかとはずっと思っていた。

以前、Dolls' Columnでドラゴンについて書いた時は、ドラゴンが出てやっと満足の出来る男人形が現れた、と書いたけれど、しかしドラゴンの人形はみなおっさんだ。
おっさん人形も好きなのでいいけれど、やはり若いお兄ちゃんの人形も欲しい。というか、それ―若いお兄ちゃん人形―が今までちょうど、ブラックホール的に、人形界に欠落していたのではないだろうか、と突然思ってしまったのだった。

 

タカラのジェニーのボーイフレンドドールの悲惨さ、バービーのボーイフレンド、ケンの情けなさ、改めていつもボーイフレンドドールは悲惨な歴史と共にあった。
それはきっと、いつも彼らは女の子人形の連れ、添え物という存在としてしか許されていなかったからだと思う。

でもそうではなくて、男の子だけで自立している(女の子の添え物でない)そんな男人形。
そんな人形は、ずっと欲しいと思っていたのだ。

自分で作れるとは思っていなかったが、最近人様のサイトを見て、こんな素晴らしい人形を皆作っているのか、それなら自分も作りたい、そう思って、男ドールを作ることにした。
ないなら、作るしかないのだ。

 

カスタムをする時に一番恥ずかしいのは名前をつけることだ。

どんなにそれらしい名前をつけても恥ずかしい。

西洋の名前をつけても恥ずかしいが(例、ルイとかエドワードとか…)日本名でも恥ずかしい(胡蝶とか月影とか…(^_^;))。いっそ一号とか二号でいいと思うが、それはそれで恥ずかしいのだ。
これが一号君、とか言うのはとても恥ずかしい。

他人のキャラクタードールを作る、ということも流行っている(アニメのキャラとか)。
それならあらかじめキャラも名前も決まっている。

しかし、他人のキャラクタードールを作ることは、とてもむなしい。私はそう思った。
せっかく苦労して自分のオリジナルなドールを作るのに、他人のキャラなんて、私には我慢出来ない。何が悲しくて他人のキャラを作らねばならないか。
喜ぶのはせいぜいそのキャラを知っている人たちだけという楽屋落ち的作品にしかならないだろう。
せっかくカスタムするなら、自分だけのオリジナルドールにしたい。

でも、作ったなら名前をつけなくてはならない。
いや、別につけなくてもいいのだが、せっかく作ったのだからやはり名前をつけて区別したいのが作り手の願望だ。

 

名前をつけて写真を撮る。
それだけでは物足りなかった。

作った人形がよっぽど素晴らしくて人に売るのなら、それでもいいかもしれない。
ポーズをいろいろつけて、その人形を美しく撮る。人形の美しさを最大限に引き出すために、撮る。
多くのカスタムサイトはそういう目的で人形を撮影しているのかもしれない。

でも、私には人形を崇拝する趣味はないし、それほどに自分の人形が良く出来ているわけでもない。
人形を人間のようにみなして写真を撮る、美しく撮る、ではつまらないのだ。
私にとっては写真に撮るのは人形を単に紹介することでしかないから。

けれど人形に名前をつけ、ポーズを取らせて写真を撮ると、自ずとキャラクターの設定まで出来上がって来る。

そこまで行ったら、ただポーズをつけて映すだけ、それはいかにも片手落ちのような気がした。
何となく中途半端。というか、やはり、そこまでしたらストーリー設定が欲しくなるのだった。

そこで、ちょっとしたミニ・ストーリーを考えて、その主人公、ということにしたのだ。
他人のイマジネーションの主人公にするのはいやだから、全部自家製だ。

そしてそのようにすれば、名前をつけても恥ずかしくないのだ。
ストーリーの主人公だから名前があるのは当然。

 

しかも、普通なら、男は女に惹かれるもの。
というよりも、「自分以外の女」に惹かれるもの。
でも自分でキャラを作ったなら、男が誰に惹かれるかは自分次第。
こんな痛快なことはないのだ。

ありふれた男と女の話なら、フィクションにしなくてもそこらにいくらでも転がっているではないか。
あり得ない話だからこそ、自分なりのイマジネーションを広げられるのだ。
だから男・バーサス・男。
ボーイズ・ラブは自分だけのイマジネーションを試せる恰好の場なのだ。

 

10/16 ファブリーズって汚らしくないですか。

ファブリーズという商品のコマーシャルをテレビで見かける。
私はあのコマーシャルが大嫌いだ。
というか、ファブリーズという商品自体が大嫌いだ。

スプレー式の消臭剤らしい。トイレのスプレー式洗剤のような形をしていて、衣類やその他のものに吹きかけると、臭いが消えると宣伝している。

 

私は、ずっと前にルームフレグランスというのを買ったことがある。

それはミスト式で、ヘアスプレーか、ヘアミストのような形をしていて、やはりそれを部屋(の任意の場所)に吹きつけるといい匂いが漂う、というものであった。

せっかく買ったのだからと、私はそれをしゅっ、しゅっと部屋の何もない空間に向かって吹きつけた。
瞬間に、アップルの匂いがする。
私も人並みにルームフレグランスに気を使うようになったかと、その時は有頂天になった。

だがあることに次第に気がつき始めた。

それはスプレー式である。中に入っているのは液体である。
液体を吹きつけることによって、それが噴出し、その液体に含まれている匂いが部屋に漂う。

それは、もとは液体である。

いくら霧状になってボトルから噴出するとはいえ、元は液体だったのだから、ボトルから噴出したあとは、やがて液体に戻る。
液体に戻った噴出物は、空気より重いので下方に移動し、私の部屋の畳に降りる。

つまり、液体が畳に沈殿し、畳が汚れた。

ルームフレグランスとは、私の部屋の畳を汚すばかりの商品だったのだ。

(もちろん時間が経てばしみは消える。だが、そういうことではなく、畳に液体がつく、ということに抵抗を感じたのだ)

それから私はすっかり懲りて、まだ殆ど使っていないルームフレグランスだったが、それの存在を忘れることにした。

 

ファブリーズという商品のCMを見るたびに、その時の経験を思い出す。
それどころか、CMでタレントがファブリーズからしゅっ、しゅっと液体を噴出させるたびに、あっ、汚い、と思ってしまう。

その商品は衣類や、座布団や、ソファなどに吹きつけるらしい。
しかし、吹きつけられる度に、私には、座布団が汚れる、背広が汚れる、としか思えない。

水ならまだいい。水なら無色透明で何の害もないだろう。
だが吹きつけるのは得体の知れない液体だ。
それでも液体である以上、吹きつけた部分が濡れ、水分を含むことには変わりない。
水分を含んでそのままにしておいたら黴など生えないのか。

またたとえそれが単に水だったとしても、水を背広に吹きつけるという行為すら、私にはうべなうことが出来ない。

そんなことを考えてあのCMを見るたびに汚い、汚れる、もうやめて。
そればかり思う。
汚い商品を開発したものだ。

あの商品自体がもうやめて、である。

 

10/5 美術手帖のドール特集

美術手帖からドール特集のイッシューが出た。
しかも流行りの私の嫌いな爆乳フィギュア付きだ。

これにはかなり驚いた。

 

美術手帖といえば、昔よく買った。

私好みの特集をする雑誌で、判型は小さいがページ数が多く、その半分は宣伝で、特集記事は総ページの半分以下だったが、ラファエル前派や象徴派の特集など、この雑誌が特集したおかげで日本で市民権を得た画派・画家も多いはずだ。

大変堅苦しい雑誌で、権威を有り難がたがっている訳ではないけれども、美術界の権威的な雑誌だと認識していた。

それがドール特集。
人形ブームもここまで来たかという、カルチャーショックだ。

私はバービーから始めて自分でカスタムするところまで人形にかかずらって来て、どちらかと言うとそのドールブームの渦中にいるはずなのだが、あまりにも真ん中にいすぎるからか、実感はない。

だがこうして美術雑誌にまで特集を組まれているということは、改めてブームなのだろうと思う。

雑誌や週刊誌にフィギュアがおまけで付く、という形も半ば恒例化して来たくらい、おまけフィギュアのついた雑誌をよく見かける。
だからと言って、美術手帖までが…とは思いもしなかった。

まるでユリイカにランボーのフィギュア胸像がつくようなものだ(将来あり得そうで恐い)。

 

今日のドールブームはなぜなのだろうか。

私には本当にブームなのかさえ分からないのだから、さっぱり答えは見つからない。

美術手帖には、桃子の紹介もされていた。

女性が飛びついたドールといえば桃子とブライスで、男性には可動のカスタムドールが人気を呼んでいる。
そして、それと並行して(食玩)フィギュアのブームがあった。
男女共通の人気には大型のSD(スーパードルフィー)がある。

これらがほぼ同時に展開して行って、今の大きなうねりに広がって行った。

それが、外部から見ると非常に大きなひとつの流行か動きに見えるのだろう。

 

私は確かに渦中にいるはずだ。ドールにも、食玩フィギュアにも関わっている。

でも、これらのうねりの中で、疑問に思うものも中にはある。

流行っているから次々にそれに飛びつく、という行為もそうだし、どこがいいのか分からないのに、仕掛人の仕掛のまま動かされて流されている、という気のするものもある。

以前流行った「たまごっち」とどこが違うのか、一緒なのじゃないかと思ったりもする。

私は「たまごっち」を買ったこともないし、あのゲームに関心すらなかった。
あれを買った人は、今あのゲームをどうしているのだろう。

ただ流行っているからという理由で買っただけなのではないのか。
今もずっと持っていて、あのゲームをしているという人などいないだろう。

主体的にドールに対しているのだ、と思っていても実はただ単に踊らされているだけの人もいるはずだ。

 

いちど「ファービー」という人形がほんの一ときだけ話題になったことがある。しかし、まさに一ときだけで瞬く間に消えてしまった。

ビーニーベイビーズという、くたくたの人形もあった。

あれは、ブームになる、といろんな雑誌が特集して関心を呼ぼうとしたにも関わらず、ついに人気が出なかった。

今流行っている人形も、出来ればこの二者のような例でないよう願いたいものだ。

 

女子玩具では、キャラクタードールが沢山作られた。

セーラームーンはことに人気を呼び、ジェニーの人気を脅かすくらいだった。
それでもやはり、消えていった。

キューティーハニー、東京ミュウミュウ、明日のナージャ…アニメキャラ以外にえと子ちゃんなどというドールもあった。

いろんな人形の、いろんな流行を見て来て、強いのは結局バービーやリカちゃんなど、変わらず伝統を持ち、長くスタンダードとして定着しているものなのではないか。
結局どれだけ長く続くのか。それが勝ち負け、或いは強弱の差だと思う。

バービーもリカちゃんもジェニーも、流行は取り入れつつ、出来るだけ末永く存続して欲しいものだ。

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