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4/11 アトムの誕生日 未来の子供たち
4/17  中学生でサトリを開く(?)
4/30  ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ〜「ライ麦畑でつかまえて」〜「神曲」

4/30 ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ〜「ライ麦畑でつかまえて」〜「神曲」

最近お人形を買うのを控えているので(それでもゲイパリを買ったり、ドレスセットを買ったり…しているのは控えていると言えるのだろうか)人形売り場には行かない。代わりに本屋へ行く。
というようなことを、前にもここに書いた気がする。

気はするけれどもどんどん書く。

本屋へ行き、どんな本が出ているか、何かいい本がないかと物色するのは癖のようになっている。
そんな中、「ライ麦畑の新しい翻訳」という宣伝が目についた。
村上春樹がこの名作を新訳で出したという。
売り上げもベスト内に入って入るようだ。

 

「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」…言うまでもなく「ライ麦畑でつかまえて」である。

あれを読んだのはいつ頃だっただろう。
文学を読むのは思春期と決まっている。
私も、多分高校生のころ読んだだろう。

一ページ目から、いきなり驚いた。
普通の文学のような文体ではない。
まるでこちらに語りかけて来るような、口語の文体だったんだ。
誰だって驚くに決まってるさ。そうだろう?そう思わないかい。


こんな調子の口語体だった。

そう主人公はホールデン・コールフィールドってケチな奴でさ。なつかしい。ひたすらなつかしい名前だ。
頭髪が半分白髪なんだ。

当時芥川賞を受賞した「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、このライ麦畑を剽窃したとか話題になったこともあった。
最近の人は、「赤頭巾ちゃん…」なんてもう、知らないだろう。

あまりに昔に読んだのでもう、内容はまったく覚えていない。
ただ、思春期に読む、思春期のための本だった…という記憶があるのみだ。

題名は、ライ麦畑のつかまえ屋…という。

子供たちがライ麦畑で遊んでいるのだ。
そして、ライ麦畑の端っこまで走って行くと、崖から落ちてしまう。落ちないように、ライ麦畑の端っこで子供たちを捕まえるのが、ライ麦畑のつかまえ屋の仕事。
…確かそんなことだった。
そしてホールデンは、このつかまえ屋の仕事をしたいと望んでいるのだ。

「ライ麦畑でつかまえて」は名訳との誉れが高い訳だった。
それはそうだろう。
あんな口語体でアメリカの小説が翻訳されるなんて、画期的なことだ。

今回新訳で出版された村上春樹の訳はどんななのだろう、興味があったから最初のページだけ本屋で繰って見た。
読みやすくなっているが、前訳を踏襲していた。
つまりは、やはりそれ風の口語体だ。

 

村上春樹の名前を知ってはいるが、小説は読んだことがない。
小説はもう読まないからだ。
名前は有名だから、それなりの仕事はしているのだろう。でも、思い入れは全くない。
訳はおそらく、それなりに成果のあるものなのだろう。
しかし、タイトルを訳さず、そのまま「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」としたのは承服しかねる。

映画のタイトルを訳さずにカタカナのまま邦題にしてしまうことがよくあるが、そのノリだ。
カタカナのままだとかっこよく感じられるからだろうか。
せっかくの新訳、気のきいた日本語にして欲しかった。
「ライ麦畑でつかまえて」が、あえて原題を直訳せず、少しずらして素晴らしい邦訳になっていたように。

***

もう1冊本屋で見かけて気がついたのが、ダンテの「神曲」。
文庫で再販されたらしい。

私はこれも多分思春期に、角川文庫で読んだ記憶がある。
こちらもひたすらなつかしい。

なぜ「神曲」などを読む気になったのだろう。
当時は文庫が好きで(今も好きだが)、少し気に入った作品は片っ端から買って読んでいたのだ。

「神曲」は地獄・煉獄・天国とダンテが巡っていって、そこで見聞する地獄や煉獄のさまが面白かった。
やはり今はもう、何一つ覚えていない。
ただ挿絵がボッティチェリの版画で、地獄で攻めを受けている人間たちの様子を克明に描いてあるのが楽しかった。
そう、地獄といっても、ボッティチェリの線描は何となく漫画っぽくて、楽しかったのだ。
そんなわけで、「神曲」は、地獄でどんな攻めを受けるのかなどの描写を、私は楽しんでいたのだ。

ダンテは、自分の悪口を言ったライバルなどを地獄篇に登場させ、いじめて喜んでいたらしい。

今はもう読む気力など失せているけれど、読めばきっと楽しいに違いない。

*永井豪の「デビルマン」を好きな人なら、読まなくてはならない本だ。

 

4/17 中学生でサトリを開く(?)

近頃の若い者は本を読まない、と新聞に書いてあった。

もしかしたら、若者ではなく、小学生くらいの子供のことかもしれない。
何が読みたいかが分からない、と言っていると。

私は本が好きで、しかも本を買うのが好きだ。

本屋に行くと、本売り場をぶらぶらと歩いているだけでたちどころに欲しい本が何冊も目について困ってしまう。

沢山買い込んだあと数週間ほどは、本屋へ行っても欲しい本が見つからず、その時はほっとする。
もうこれで欲しい本はおおかた買ったな…と、満足すると同時に安心するのだ。

しかしそれから数週間して本屋へ行くと元の木阿弥で、またまた欲しい本がずらずらと見つかる。激しく苦吟し、結局それらの本を後日必ず買っている自分がいる。

そんなわけだから、「何を読んでいいか分からない」などとたわけたことを言っている(らしい)小学生(か中学生)を、羨ましく思ったりもするのだ。
本を読みたくない、買いたくない、と私は切実に願っているが、それが叶わない。
どうしたら本を読みたくなくなるのか、中学生にぜひ教えてもらいたい。

 

***

 

もっとも私は、小学生の時は、本の嫌いな子だった。

ある理由があって、小学校の図書館の本は、6年間を通して殆ど借りたことがなかった。
小学生の時に読んでいた本といえば、家に置いてあった「小公女」とか、「足ながおじさん」とか、「アラビアンナイト」とか(すへて子供用抜粋版)、それくらいの数えるほどのものだった。

中学生になった時、ある日姉が、
「まず本を好きになるなら、とにかく面白い本を読むのがいい。」
と言った。

私は別に本を好きになりたいとも思ってはおらず、読みたいとも思っていなかった。
姉はお節介だと思った。
しかし姉はそう言うと、私になぜか「どくとるマンボウ航海記」という本を手渡した。

私は何気なくそれを手に取り、読んでみた。

私が本を好きになったのは、この北杜夫の「どくとるマンボウ」を読んだからである。

私は無我夢中になってその本を読み、面白さに笑い転げ、七転八倒しながら読み終えて、もっと読みたい、という欲望のとりこになった。
そして狂ったように、本を読み始めたのだった。

まったく姉の言うとおり、まず面白い本を読む、私はそれにまともに引っかかってしまったわけだ。

 

***

 

「どくとるマンボウ」はもう一つ私に影響を与えた。
それはサトリである。

「航海記」に、主人公(北杜夫である)がサトリを開いた、という記述が出て来る。
私は、姉にサトるとはどういうことか、と聞いて苦笑されたりした。

サトると怒りっぽくなる、などと書いてあった。
サトリとは何なのか。
何をサトるということなのか。さっぱり分からない。
しかし自分なりにずいぶん考えた。
そしてそののち、自分もサトろう、と思った。

つまり、サトったと思えば、サトれるのである。そう思った。

そして、中学生にしてサトリを開いた。
私は、中学生の女の子でサトリを開いている子は、世の中広しと言えどもそうはいないだろう、と自慢に思った。
そうなのか?
サトリとはそんなに簡単に開けるのものか?

多少疑問はあったが、何しろサトったのである。そんなことは大した問題ではない。

それ以降、私の人生において、サトリは重要なファクターになった。

中学生でサトった私は、その後かなりの間サトり続けた。
大学生になると、サトリが破れたこともあった。
サトったつもりだったがまだまだだと思ったこともあった。
30歳前くらいになると、またサトった。ような気がした。
もうサトるのはやめた、と自らサトリをやめ、人間界の喜怒哀楽、苦難に身を任せることもあった。

その時サトっていても、サトリをやぶっていても、それは常に意識された。
今はサトっていないから、どんなに人を憎んでも、悪口三昧言いまくっても構わないのだ、などと都合よく考えることもあった。
サトリは常に私の人生と共にあったのだ。

 

つまり、やはり思春期に読む本というのは、それほど影響力があるということだろう。
そ、そうなのか?

 

4/11 アトムの誕生日 未来の子供たち

4月7日は鉄腕アトムの誕生日だとして、日本全国で(私にとっては)予想外の盛り上がりを示した。
京都駅にある手塚治虫ワールドにも寝ているアトムの人形が置いてあり、7日にはきっと目を覚ましただろう。寝ているアトムの顔はたいそう可愛らしいのだった。

これほど「アトムの誕生日」が盛り上がったのはなぜだろう。
誰かがふと言い出したのを、いろいろなメーカーが商品化を見込んでここぞと乗ったのに違いない。

新しくテレビアニメも始まった。すっかり忘れていて見なかったが…
でも、新しいアトムは顔が微妙に違う。あんなのはアトムじゃない。ウランも全然違う。かわいくない。おまけに訳の分からない女も登場する。あんなのアトムじゃ…
そんな風に文句を言いたくなるのはきっと、古い人間だからだろう。

 

年がばれてしまうが、私が子供の時にアトムのアニメをやっていて、とても好きだったのを覚えている。
いや、好きどころではない、愛していた。
ロケット*の中にアトムの絵を入れて歩いていたくらいだ。

*ロケットというのは、ペンダントのトップの部分に写真が入れられるようになっている首飾り。当時流行った。

アトムは、当時の私にはお兄さんで恋人だったのだ。
今ではアトムを見るとかわいいと思ってしまうほどになってしまったけれど。

しかしそれほど好きだったのに、アニメの内容は今はもうまったく覚えていない。

アトムが歩く時のキュピ・キュピという音、悪漢がやられた時のピーポポという音などの効果音や、ウランちゃんの歌、アトムの「えーい、これでもかー」という声など、耳で聞いていたものは強烈に覚えているのに。
ビジュアルが今は全然、頭に残っていないのだった。

 

私がテレビのアトムに夢中になっているので、親がアトムの漫画本を買ってくれたらしい。
毎月発売される光文社のカッパコミクス(光文社の刊行だったので)というものだった。
それも私がいつ買ってくれとねだったのか、それとも親が自主的に買ってくれたものか覚えていなくて、いつの間にか我が家にあり、そしてそれは毎月我が家に届くのだった。

私のアトムの記憶はむしろ、そのカッパコミクスのアトムだ。

A4判くらいの大きさだっただろうか、今のまんが週刊誌よりも大きいサイズで色刷り、巻頭は必ずカラーで、細かくコマ割りがされているオリジナルに忠実な刊行で、アトムの漫画数篇のほか、あと一篇くらい手塚治虫の他の漫画が載っていた。
それから毎号「読み物」が掲載されていて、その号に載っているアトムの物語に因んだ読み物が載っているのだった。

当時は少年週刊誌にも漫画以外の活字による読み物が掲載されていた。そういう時代だったのだ。

私はアトムの漫画はもちろん、アトム以外の短編漫画、読み物も楽しみにしていて、むさぼるように読んだ。
「キリストの目」の巻が載っている号にはキリスト像の奇蹟に関する読み物が、そしてたしか「ZZZ総統」の巻にはフランスの探偵ヴィドックに関することが載っていた。
何十冊とカッパコミクスを持っていたが、今強烈に覚えているのはこの二つ。
ヴィドックを知ったのもこの本によってだった。

何度も何度も繰り返し読んだ。テレビのアニメが終わっても、何年も繰り返し読んだ。

私が大きくなってから母が全冊捨ててしまったが、惜しいことをしたと今も思う。

 

***

 

私は、そのカッパコミクスの「鉄腕アトム」でヒューマニズムというものを学んだ。

「人工太陽球」のシャーロック・ホームスパン、「火星探検」のケチャップ大尉、「十字架島」のランプ…、それらの人物の生きざまから、人間というもの、悪になり、善にもなる人間の心の不思議さを学んだ。
彼らの強烈なキャラクターは今も忘れられない。

そしてそんないかにも人間くさいキャラクターに対し、生身の人間には言えないだろう理想を常に口にし、そしてそのゆえに、いつも眩しかったアトム。

母の膝に泣き崩れたブラックルックス、「赤い猫」の四ツ足教授(コミクス版は確かこの名前だった)、ヒゲオヤジの愛犬ペロ…
思い出すのは彼らだけではない。
物語に陰影を与え、そして読んでいる者にいろいろなことを考えさせた登場人物たち。

それは幼い私の心に、子供の頃の学校や公園で遊び、駄菓子屋でお菓子を買い、紙芝居を見、家の前の道路でゴムとびをした、数々の記憶と共に生涯忘れられない思い出を残した者たちだった。

人間は悪にでも善にでもなれる。
善人であっても、土壇場では悪人になってしまうかもしれない。
悪人だと思っていた人間が、間際で優しさを示すかもしれない。

そして、悪を働く人間は、必ず悪に陥る原因があるのだと、アトムの漫画は教えていた。
人間というものそのものを、私は「鉄腕アトム」で勉強した。

 

手塚治虫は、私にとても悪い影響を与えたと思う。

「人工太陽」のラスト、ホームスパンがアトムに感謝し、自らの運命を受け入れるシーンに感動の涙を流しながら、アトムの正しさは、どんな心の偏狭な、一方的な考えの人間にも必ず理解されるのだ、そう思った。
正しいことは、必ずいつか理解されるのだ。

手塚治虫のヒューマニズムはとかく楽観的過ぎると、批判されて来た。
そうかもしれないと思う。

私はそんな手塚ヒューマニズムの洗礼をまともに受けて育った。
そのせいで、人間はたとえ間違った道を歩んでも必ず間違いに気づき、必ず何が正しいかを理解し、やりなおすことが出来る。
人間は信じられるんだ。

そう思って来た。

「火の鳥」や「ブラックジャック」を読んで、あの頃の懐かしい手塚治虫が、社会の問題を、決して解決出来ないこともあるんだと放り投げているのを読んで、落胆したわけではない。
そう、それでも問題を提示し、それによって人は考え、そしてより良くなることは出来るのだと、手塚治虫のメッセージを私はそう、解釈した。

だが。
世の中は、それでも良くはならない。

殺伐とした少年犯罪は増え、子への虐待も増えた。

手塚ヒューマニズムを信じすぎていた私は、なぜと思う。
なぜ人は良くならないんだ?
かえって悪くなっている。

もし「鉄腕アトム」を読んで大人になった人間が多くいるなら、犯罪など少なくなるはず。
アトムを読んで感動した者が大人になったのなら…
それなのに。

 

 

今、思う。

社会に楽しいことはそう沢山あるものじゃない。
むしろ嘆わしく、悲劇的で、そして修復不可能な落胆ばかりだ。
腹の立つこともある。不公平もある。

しかし、子供たちに、未来の自分たちが担うはずの社会が、自分の力では何も出来ない、歪んだ、不公平な、そんなどうしようもないものなのだと言って、それで彼らが将来生きていく力となるだろうか。

考えて欲しい。

今の日本社会は政治家と公務員だけが得をして、すぐに忘れられるから汚職をしたもの勝ちで、年寄りは軽蔑され、不満があっても何にも世の中変わらないんだし。
そう子供に教えて、それで子供が将来に希望を持つだろうか。

子供たちは未来人であって、私たちは、来たる次の社会で生きていく彼らに歴史の橋渡しをしなければならない。
私たちが何も出来なくても、彼らが大人になった時、何かが出来るような人間に育てることは出来るかもしれないではないか。未来は彼ら次第なのだから。

 

手塚治虫は、たとえ将来、子供たちが幻滅しようと、未来に希望を託す子供を育てたかったのに違いない。
未来の子供たちが、ひょっとしたら淀んだ社会を変えてくれるかもしれないから。

 

今はそう思う。

手塚ヒューマニズムに犯された世代の私。
でもきっと、それは誇るべきことなのに違いない。


この項、ケチャップ大尉の名前を調べた以外はすべて記憶によるものです。
もし間違いなどありましたらご指摘下さい。

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