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03/1/13 お正月のテレビ番組録画は忙しい
03/1/24 貴乃花は好きではない

 03/1/24 貴乃花は好きではない

先日、貴乃花が引退した。

私は相撲にあまり関心がないので、誰が引退しようが入門しようがふうんという感じだったのだが、世間は貴乃花の引退をトップで報じ、まるで皇太子が皇位継承を辞退したかのような激しい報道ぶりだ。

そう言えば松井選手のヤンキース入団も、まるで日本人がアメリカの大統領になったくらいのようなニュースの扱いだった。
ニュースというか、報道というものはどう考えても公平とは言いがたいものがある。

***

 

それはともかく、我が家では貴乃花はすこぶる評判が悪かった。

父は生前、貴乃花、若乃花が嫌いで、彼らが相撲に負けると喜んだ。
母も二子山部屋が好きでなくて、相撲のシステムが彼らに甘く、二子山部屋に有利なようになっていることに憤慨していた。

父母二人とも相撲は好きで、仕事(うちの家は家の中で仕事をする家内工業である)の合間にというか、テレビを見ながら仕事をしていた。
相撲のある時は、ずっと相撲番組を見ながら仕事をしていた。
だから父母は相撲には詳しい。

その父母に評判の悪い貴乃花、若の花であり、両親が彼らを嫌うのはそれなりの理由があってなのだろうと思っていたから、いきおい私も彼らに対してあまりいい印象がない。

恐らく父が貴乃花を嫌った理由は、「親の七光り」だったからではないかと思う。
それと共に、マスコミが異様なほど彼ら兄弟力士を取り上げたからではないかと思うのだ。
実力以外のところでマスコミに過剰にもてはやされる。
実力とは関係なく人気が出る。
相撲協会も相撲人気を高める彼らに甘くなり、彼らに贔屓の軍配やシステムが取られた。
父は、彼らが実力で横綱になったとは思っていなかったのではないか。

***

 

貴乃花は頑張ったのだろう。
彼の気持ちも分からないではない。
沈黙を続け、戦うしかない、という状態に自分を置いていたのだろうことも分からないではない。

いろいろ新聞を読むと、筋肉増強剤も使用していたという。
大型力士に対抗するため肉体改造さえした。そうまでして、相撲に賭けた。
ジリ貧人気の相撲を支えるのはもう自分しかいない、という悲愴な自覚があったのだろう。

しかし、あの往生際の悪さはいただけない。最後で再び印象が悪くなってしまった。

気の毒だとも思うが、スポーツマンが気の毒だと思われてはおしまいだとも思う。

私は、貴乃花というたった一人の関取の人気にしか依存出来なくなってしまった相撲の体制自体がいけないのだと思う。

***

 

幼児の頃は私がもっとも相撲を好きな時代だった。
私が子供の時に全盛だった相撲取りは、年がばれるので言わないが、とても強い横綱で、同じくらい強いライバルがおり、その横綱が好きだった私は、いつもどきどきしながら相撲を見ていた。

それから相撲に興味をなくしてしまったが、それから私が生涯でひとりだけ、すごいと思った相撲取りがいた。

それは千代の富士だ。

千代の富士の試合をいつも見ていたわけではない。
相撲には興味がなかったし、千代の富士もそれほど好きだったわけではない。

でも千代の富士の相撲をたまたま見ていると、そんな相撲音痴の私でさえ、この人はすごい、と思うのだった。

とにかく上手い。

負けそうになっても決して諦めない。
しかしがむしゃらに突っ込んでいくのではなく、冷静に相手の手を(瞬間に)読み、それに応じた技を出して瀬戸際で相手を負かす。

確かそんな相撲ではなかったか。
(素人の相撲音痴なので、変な事を書いていたのならば笑って下さい)

矢吹丈のクロスカウンターのような、カウンター相撲とでも言うか。
小柄な相撲取りだったから、相手の力や技を利用した、冷静な読みによる技術で勝負していたのだろう。

それが見ていてとても美しかったのだ。
相撲に品格があった。

テクニシャンだと思った。
相撲にセンスがあった。
千代の富士の相撲を見ると、いつも、溜飲が下がった。
やっぱりうまいや、この人。
と、彼の相撲を見るのが喜びになるのだった。

 

残念ながら、貴乃花の相撲に一度もそういう思いを持ったことはない。
何度彼の相撲を見てもうまい、と思うことはついになかった。
美しいとも思わなかった。

私は千代の富士が好きと言うよりも、千代の富士の相撲が好きだったのだろう。

貴乃花があのような美しい相撲を取っていたのなら、私も今回の報道に納得がいったかもしれない。

しかし、あの頃から比べると、相撲の世界はダーティになってしまった。
人気取りのために表層的な対応しかして来なかったから、一人の人気に依存するしかない、情けない状態になって来たのだろう。

自分には関心のない、違う世界のことだけれども、思わずそう考えてしまった。

 

03/1/13 お正月のテレビ番組録画は忙しい

お正月もすっかりどこかへ行き、毎年思うが、元旦から10日も経つともうお正月だったことをすっかり忘れてしまう。
どうしてこんなに短期間で気持ちが切り替わってしまうのか、毎年不思議に思うのだ。

 

それはともかく、お正月のテレビ番組は、どれも長い時間をぶち抜いて特別番組を放送する。
スポーツの他はお笑いばかりで、出演するタレントもどのチャンネルを見ても同じ。
だからつまらない、といえばつまらないのだが、しかし私はお正月のテレビをチェックするのに忙しく、とても油断出来ない。

毎年ウィーンフィルのニューイヤーコンサートがあるし、歌舞伎、フィギュアスケート、それに美術の番組などが特別にどんどん放送される。
どれを録画したらいいのかと気が気でない。
見たい番組が重なることもあるから、どれを録画しようかますます混乱するのだ。

 

ニューイヤーコンサートは生中継の時にはあまり見る事が出来なかったので、再放送で見た。

指揮はニコラウス・アルノンクール、バロック音楽の指揮で有名な人だ。

ブラームスのハンガリアン・ダンスとウェーバーの「舞踏への招待」がプログラムに入っていた。
ニューイヤーコンサートにハンガリアン・ダンスは…と最初少し違和感があった。
シュトラウス・ファミリー以外の作曲家の曲を演奏するのは殆どないことだ。

ウェーバーのはワルツだからまだ違和感はないが、ニューイヤーコンサートでいきなりハンガリー舞曲は少しえっと思う。
しかし5番も6番もとても有名な曲だから、新年のリラックスしたコンサートには、これでいいのかもしれない。

 

歌舞伎では、猿ノ助のスーパー歌舞伎「三国志」孔明篇をやっていたが、どうも猿ノ助孔明は…。スーパー歌舞伎が素晴らしいのは知っているが、でも猿ノ助の孔明は…どうもイメージが…。ううむ。ううむ。

*

フィギュアスケートではプロフィギュアのショーを1、2日に放送していたが、これはまるで期待はずれだった。
何でこんなものの放映権を買ったのか理解出来ない。
3、4日にはプロフィギュアの競技会を放送して、やっと何とか見られるものになったが。

よっぽど好きな選手が出ているならともかく、名前も知らないような(或いはかろうじて知っているくらいの)選手たちがただ漫然と氷の上を滑っているだけである。

日頃フィギュアスケートは技ではないとは言っていたが、これではあまりにも芸がなさ過ぎる。
3回転を飛ばないフィギュアなんて、見ていてただ退屈なだけだというのが嫌というほど分かった。

それでもアメリカはこんなショーをやって採算があうのだからやはりフィギュア大国なのだなあと思う。

*

美術の番組はなかったが、恐竜の番組をやるので期待して見たが、再放送でその上退屈だった。
いつか見た恐竜のCG番組(これも教育放送だったが)は恐竜が戦い合っていたりしてすごく迫力があり、恐く、気持が悪いくらいだったのだが…
再放送なら、あれを再放送して欲しかった。

それよりも、ウリナリの社交ダンスだった。

私は以前からウリナリ社交ダンスが好きで、もてないブラザースのピアノなんかも好きだったのだが、番組が終わってしまって残念に思っていたのが、新年の特番として復活したらしい。

社交ダンスの競技会のもようが時々テレビ放送されることもあったが、それも結構好きで見ていたりした。
このウリナリでは、出演者が男女ペアを組んで実際の競技会に出るが、芸能人だけあって踊りに華がある。みんなうまいし、特に女性はどんどん上手になる。
芸能人の女性というのは、やはりこういうことに最初から才能があるのだなあと思う。
その中で、男性のゴルゴ松本が妙にうまいので驚く。

ザッピングしながら見るのに苦労した。

バラエティでもうひとつ。年末の番組になるが「笑っていいとも」の年末特番のものまね合戦で、デーモン小暮のまねをした人。
名前を何というのか知らないのだが、確か関西のお笑いコンビのかたわれで、ものまねが異様にうまい人だ。ケイ・ウンスクの真似などもうまい人だが、この人のデーモン閣下が完璧だった。
歌い方、たたずまい(笑)、笑い方それにシャウトのしかたが最高だ。
あのものまねは今までで一番エキサイティングだった。永久保存版だ。撮ってないけど。

 

あれもこれもと見て録画していたら案の定、間違って録画したのもあった。
これだけあれこれ見ていたのだから間違いもするだろう。

***

ひとつだけ、とても素晴らしい番組があったのでこれだけは是非とも記憶に留めておきたい。

NHKの総合だったか、教育番組だったか、タイトルさえも正確に覚えていない。
「魅惑のバロックオペラ」とか、そんな感じのものだった。

バロック時代に作られた朽ち果てたオペラハウスを修繕し、その中にそのころの装置を復元して、そのオペラハウスで、バロック時代のオペラを上演する、という試みを、修復師たちの修復する様子を中心に追った、1時間ほどのドキュメンタリーのような番組だった。

日本のこんぴら歌舞伎が、小屋を修復して興行しているのと同じような西洋の試みに、是非ともこの試みが成功して、活動が続けばいいなと願わずにいられなかった。

バロック時代に、どのような形でオペラを上演していたかは正確には分からないらしいが、残されたスケッチなどから大掛かりな装置を復元してゆく。

この装置が動いて、一瞬であざやかに場面転換をするさまは、バロック時代のアイデアの素晴らしさに驚嘆せざるを得ない。
おびただしい蝋燭の光を使っての照明は、夢のように美しい。

「カストラート」や「フェリーニのカサノバ」などの映画で、バロック時代のオペラや、貴族の屋敷での催しが再現されているが、それらを見るとバロック時代の舞台がいろいろな工夫を凝らし、信じられないようなイリュージョンを生み出していたことが分かる。

確かにこの番組を見れば、バロックオペラの舞台空間が、人々を夢の世界にいざなう途方もなく贅沢なものだったということを知ることが出来る。
このような劇場が残っていたこと、それを修復をして使えるようにしたことは、とても意義のあることだ。

テスト上演を経て、修復師たちはバロックオペラの上演にこぎつける。
上演されたのはスカルラッティのオペラ。

ただ、バロック時代のオペラはカストラートが主役だったはずだ。
カストラートを女性に代えていたのが残念だ。

そして、上演されたオペラがラストシーンしか放送されなかったのも残念。全部放送してくれるのかと思っていたから…。

ともあれ、お正月に見たテレビ番組のだんとつのベストワンが、この番組だった。

 

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