Doll Maniacs

Opinion

最近のドール事情
韓国ドールのコピー問題

05/11/22

 

韓国ドールのコピー商品については、これまでもさんざん言われて来た。

事の起りはボークスのスーパードルフィーのコピー人形の存在で、韓国では球体関節人形が、ボークスの人気にしたがって爆発的に増えた。
ボークスは訴訟問題まで起し、韓国ドールを牽制している。

コピー人形は、当然道義的に許されるべきではなく、褒められたものではないことは明らかだ。

けれども、私自身の考えで言えば、結論は、コピー人形を認めるかどうかは、あくまで買う側の自由である、ということだ。

認めると言うよりも、是とするか否とするか、またはコピーを鬼畜の仕業だと思うか思わないか、かもしれない。

もともと私はコピーとか、ぱちもんが大好きな性格だ。だから、怪しげでうさんくさい、という物品は大歓迎で、何でも来いなのだ。そういうものに限って食いつく、という性格でもある。

ただコピーをカタキのように思う人にとっては、私のような人間は許せない存在だろう。

 

現在問題になっている(?)のは、A氏のUというドールをコピーしたN-- Dollだと思うが、これは、A氏の情報サイトの表紙ページでも警告されているとおりだ。

この場合、A氏という個人のアーティスト作品をまるまるコピーしたものを、韓国の人形作家(原型師?)の名前で発売していることに問題があるのだろう。

ただ、原型を制作したのがA氏だとしても、それが量産されて多数の人に販売されておれば、それは流通ルートに乗った商品であると思うし、それをコピーしたものは、個人の人間が制作した表現作品をコピーして売る、という行為とは少しずれが出て来るのではないのだろうか。と私などは思うのだ。

 

マテルのバービーを考えるとよい。

バービーが最初に発売されてから、バービーと同じサイズ、同じボディ構造のドールがいやというほど発売された。

それは、ボークスの言い分ならばコピーであり、違法であり、法律にのっとって訴えるべきものだろう。
けれどもマテルが訴訟を起したとは聞いたことがない。

(シンディがあまりにも似すぎているので、訴訟になったことはある。これは、顔がそっくりだったから、この場合はしょうがない。けれども、それまで何十年もシンディは販売され続けていたが、その時まで訴訟はなかったと思う。販売を続けるうちに、バービーそっくりの顔になって行ったのだ)

そもそもバービー自体が、ドイツのビルド・リリーという人形のコピーだったのである(これはとても有名な話だ)。

消費社会では、そもそも何かヒット商品が生まれれば、それに追随する商品が次々と出てしのぎを削る、のがノーマルな消費の形態だと思う。

発泡酒がヒットすれば、どのビールメーカーも同じものを発売する。
プラズマテレビが発表されたらどの電気メーカーもプラズマテレビを発売する。
パソコンが流行ればどこもがパソコンを発売する。

パソコンをひとつのメーカーが独占して販売しているということはない。それを発明した人が、メーカー相手に訴訟したということは聞いたことがない。

もしそうなれば、独占企業であり、価格はその企業が勝手に決めることが出来、商品の質は停滞し、それ以上の発展や改良はあり得ない。

商品がひとつのメーカーに独占して販売されたら、消費者にとって良いことは何もないのだ。

最初に自分がこれを発明したから、と、それをタテに他のメーカーをつぶしにかかるのであれば、競争がなくなり、その商品は、それ以上のバリエーションがなくなる。

消費者は、そのために、もっとより良い商品を手にする機会を奪われてしまう。
選択が許されなくなる。
それは、決して正常な流通のあり方ではないと思う。

 

ボークスの前に、タカラのジェニーとリカちゃんを、私は考える。

ジェニーとリカちゃんも、日本ではジェニー、リカ以外の選択肢がなかった。これはとても憂うべきことだ。

日本の人形は、タカラのフェイスモールドにずっと独占されて来ており、そのバリエーションは望めなかった。
そのために、今、ブライスや桃子や、または自分でカスタム出来る素体などが流行っている。
そして、リカ、ジェニーは衰退の一途を辿っているのである。

これを、ひとつの社が独占状態でバリエーションがなかったため、消費者が叛乱を起したのだと私は捉える。

自分の好みのものがなければ自分で作ってしまう。消費者はここまで来ているのである。
一社による独占状態は、決して良くないことなのだ。

もしタカラに、バンダイのようなキャラクタードールでないライバルがいたらどうだっただろう。タカラは、ライバルに負けないような研究と努力を重ねただろう。
タカラはその努力を怠り(或いは他社を排斥し)、「守り」に入ったのではないだろうか。
そのツケが今頃来たのである。

 

このことは、A氏の作品である人形とは少し違う形態だとは思う。

けれどもA氏のドールは個人の作品か、或いは商品なのか。
人形というもの自体が子供のおもちゃである以上、私はそれは個人作品ではなく、消費商品だと思う。

A氏は、コピーに対する対抗措置として、自作の人形を限りなくマイナーチェンジしてゆく、或いはバージョンアップしてゆく、という方法を取っている。
そのことによって自己の作品のオリジナリティを守ろうとしている。

これは、本来企業としてあるべき姿であろう。

もちろん、改良した先からコピーされてゆくということもあるだろうが、けれども、A氏には気の毒だがそれはパイオニアの宿命なのではないだろうか。

最終的に、コピーの方が売れ、パイオニアの商品が消えてしまったとしても、それは後発のコピーの方が魅力的だったということで、文句は言えないと思う。

 

ここで、コピーの方法を考えてみる。

コピー商品を売る時の売り方、買い方である。

オリジナルと寸分違わない顔、ボディパーツ、素材などであれば、コピー商品を買う必要はない。
それが、オリジナルよりも半額であるとか、かなり安い、場合には私ならば買う。

コピーは、そもそも安い粗悪品、という概念がある。だから、コピー品は顔、ボディなどはそのままで、コストを押えるために素材をいいかげんなものにしてあるのだろう。
消費者はそれを承知でコピーに手を出すのである。
シャネルやヴィトンのコピーを、コピーと知っていて買うのと同じだ。

けれども、韓国ドールの問題は、コピー品でも安くない、ということにある。

先述のA氏のコピーの場合などは、むしろコピーの方が高い。これではコピー商品を買う人はいないと思う。韓国内で、それがコピーだと知られておらず、オリジナルだという認識であれば、韓国で買われることはあるだろうが、日本人が買う理由がない。
A氏のものの方が買いやすく、安く、オリジナルであれば、当然だ。

韓国コピー品で分からないのはこの点だ。

けれどもボークスのコピーでは、事情は違って来る。

日本人の消費者が今どんどん韓国ドールを買っている。

当然、日本の商品よりも買い方にネックがあり、値段も、ボークスのものよりかなり安い、というわけではない。それでも、韓国ドールは(日本人に)売れる。

私はこのことを、それはなぜなのかを、ボークスが正しく認識し、謙虚に研究しなければならないと思う。

自分たちはパイオニアだとふんぞり返っているだけでは、決して良い解決にはならない。

日本では、球体関節人形がボークス以外ではほとんど作られていないのに対し、韓国でこのように乱立してる現実。

ボークスが日本の市場を押えている、ということがそもそも間違いだと思う。
もっと(日本の)他のメーカーも参入して、競争するべきだった。
ボークスはタカラと同じことをしている。
ボークスが、消費者の選択を狭めたのだ。

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