Doll Maniacs

Opinion

このコラムも、殆どHPを開設した当初に書いたものです。
これらのことに関して、松尾貴史(タレント)の「オカルトでっかち」という本が含蓄のある論を展開しています。近々紹介できたらいいなと思います。←いつだ? 
02/3

curse of the dolls
人形はこわいか

過激です。

99/12

人形はこわい、魂が宿っている、などという人がいる。

夜になると人形が自分を見つめているようでこわい(自意識過剰なやつ)、人形を粗末にすると呪われる、髪が伸びる…云々。その他、噴飯物の迷信が、ある。

長い間私は、これらの風説に反論が出来なかった。

それは私がそれらの噴飯物の迷信を信じているからでは決してなく、反論する論理的な説明ができなかったという理由から、である。

私には、これらの説がばかげた、愚かしい、時代外れの、おおばかたれのまぬけな間違いであると明確に証明する手立てがなかった。そのため随分悔しい思いをしたのだ。

まちがいだ、とか、ばかげている、とか大声で言うだけならたやすいが、何故かと証明せよとなると難しい。

だがひとつ言える事は、人形はこわい、魂が宿っている、などと思っている人間は占いを信じ、ノストラダムスを信じ(て裏切られ)、風水などを信じ、何とかダイエットがいいと聞くと無批判に飛びつく、というような人間であるに違いないということだ。

つまり無批判に風説を信じる傾向がある人間だということだ。

*

私は、「人形はこわい、魂が宿っている」などということはない、ということを証明したかったのだが、実は、証明すべきなのは、なぜ、人間はそのように思うのか、なぜ「人形はこわい」と思われているのか、なぜそのように思う人間がいるのか、ということなのかもしれない。

なぜなら、人形に魂が宿っている、などという事実があるはずがないことは、考えなくても明らかだからだ。バービードールは単に大量生産されるソフビの玩具ではないか。そんなものにいちいち魂を吹き込んでいては(神様も)しんどくてならない。

単なる玩具に魂などあるはずもない。大体、私は魂というシロモノにも懐疑的な人間であるのだ。しかしこんなところで魂論議をしていたのでは日が暮れるから、この問題ははしょろう。

*

「人形の呪い」というおどろおどろしい風説もある。

私は現在200体くらいはソフビ玩具人形を所有しているが、箱のままそこらへんに放り出しているなどは、充分人形を粗末にしているといえるかもしれない。

あまつさえ私はカスタムをし、そのため人形の首を引っこ抜くとか、のっぺらぼうにするとかしたことさえある。

しかし、私に人形の呪いがかかったという覚えはまだない。

家族はいままでのところ全員元気で、親類にもおおむね異変はない(そのことが不幸であるといわれればしょうがないが)。

しいて言えば嫁に行けなかった、ということであろう。

しかし残念ながらこれは、人形を集める前から発生していることであり、人形の呪いというよりは、本人の心がけに原因があると思った方がより適切であろう。

であるから、嫁に行きそびれたということと、人形の呪いとの間に関連はないといえよう。

人形を集め始めてからはむしろ、個人的には精神が安定し、友人が出来、お金が減った以外はいいことばかりであった。

部屋中の人形に圧殺されるわけでもなし、何百という人形の目に見つめられ続けておっぱいがちぢんだ、ということもない。何故なら私は最初からおっぱいが小さいからである。

そんな訳で、あるいは私は数少ない例外なのかもしれぬが、私以外のコレクターは、それぞれこっぴどい目に逢っていて、目も当てられない状態なのかも知れぬが、私自身は人形によって呪いは受けていない。

*

さて、そこで、「人形はこわいか」という命題に戻らねばならない。

「人形はこわい」というのは、人形そのものよりも、人形がこわいかどうかよりも、そのように思ってしまう、その人間の心に問題があるように思うのだ。

言い換えればコレクターという生き物は人形をこわいとは微塵も思っていない。だから集めるのだ。

基本的には、だからコレクターは、人形がこわい、という人間の気持ちは分からない。人形に関してはむしろ意外に即物的だ。

単なるソフビの玩具に、なぜ昔ながらの魂だの呪いだのという考えが導入されるのか、その理由が分からない。

何度も言うが、そういう人間は心霊写真を信じたり、スプーン曲げを超能力だと信じたりする人種に違いないのだ。

彼らの中では心霊写真も人形の呪いも同等に意識されている。

信じることが悪いとは、言わない(悪いが)。ただあまりにも無批判に、頭からそうした迷信のたぐいを信じて疑わないという、風説に無批判な、向上心のない人間としての態度にいらつきを私は隠せないのだ。

私は占いを信じない。ここでこの問題を語り始めると夜が明けてしまうからはしょるが。

だが、あまりそのようなものを信じていると、コナン・ドイルのように赤っ恥をさらさなくてはならなくなるであろう(何のことだか分からない人は勉強するように)。

*

信じる前に疑え、と私は言いたい。

人間が、試行錯誤のその歴史の中から学び、成長し、培ってきた人間としての尊厳を、一瞬にして原始のネアンデルタール状態に引き戻してしまう「無批判な信仰」を私は憎む。

ファシズムは信じる事から始まる。

追記 02/3

これを書いた99年当時から、状況は変わった(こればっかり)

まず、身内では父親が亡くなりました。
私は男に裏切られ、友達はいなくて、いまだに嫁に行けないでいます。
だからひょっとしたら、人形の呪いがかかっているのかもしれません。

押入れの中の200体の人形が念を送っている〜

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