人形者への質問
のこたえ
04/1/9
最近、時々質問を受けるようになった。
曰く私のHPに掲載されている人形はどこへ行けば売っているか、もう売っていないのか、いくらくらいの価格か、等など。
その度に私はため息をつく。
人形を好きになってもらえるのは嬉しい。
とくにバービーを好きになってもらえるのはとても嬉しい。どんどんと好きになって、どんどん人形にお金を使って欲しい。
仲間が増えることは嬉しいことだし、頼もしいことだ。
だけど私はもう十年くらい、人形者をやって来た。
最初のころにはインターネットもなかったので、人形に対する情報すらない。
ひたすら人形が発売されるのを待ち、待って待って待つ日々だった。どこかに少しでも情報がないかと鵜の目鷹の目で探し、焦燥にかられる日々だった。
インターネットをするようになってからは、情報が入るようになった。
そうしたらそうしたでよけいな画像を見てしまい、よけいな物欲が出てしまった。
見なければ欲しくなることもないのに、見たばっかりに欲しくなってしまうのだ。そんなことを続けて何年もやって来た。
それで集めるつもりもなかったのに、いつの間にか集まってしまった。集まった人形たちは、そんな私の、長い時間をかけて私のもとにやって来た、積み重ねの結果である。
人形探しにやつして来た、時間の集大成みたいなものだ。
バービーのサイトや、或いは雑誌などを見て人形に興味を持つ人がいることはとても嬉しい。
それだものだから、訊いて来る人には出来るだけ答えなければ、とも思う。
だが、どこへ行けば売っているか、と訊いて来られるような人形は、たいていどこにも売っていない。
どこにでも売っていて、入手が容易なものならば訊いて来たりしないのだ。
どこにもないから私のところにまで訊いて来る。しかし私に訊いたからといって入手出来るというものでもない。
誰に聞いたって、ないものはないのである。だから当然ないと言う。
訊いて来る人にはむごいかもしれないが、ないものはないのだからしょうがない。
そうしたら、質問した人はひどくがっかりする。
がっかりするのは当然だろう。
だが、まるで私のせいで入手出来ないかのようにがっかりする。
そして私には気まずい思いだけが残る。
いつごろ買った人形だったか(たいてい忘れている)いろいろ調べ、どこかのショップに在庫がないかとネットで探し、オークションに出ていないかと検索してみる。
質問されたらその質問に答えるためには、大抵このくらいのことはしなくてはならない。
あれこれ手間をかけて、結局ないと言わねばならない。
そして相手をひどくがっかりさせてしまうのだ。がっかりするのはいいが、人にそれだけ手間をかけさせておいて、まるで私が失望させているかのような態度を取る。
そしてあまりにもがっかりするあまり、こちらの手間ひまなど少しも斟酌しようとしない。
と、質問される方はとても不愉快な思いをする。
何だかとても気分が悪い。質問される度に、何だか気分が悪くなるのだ。
質問をするということは、答える方に、手間をかけさせるということだ。
質問する前に、そのことをよく考えて欲しいものだ。
質問者は、大抵そんなことまでは考えていないから気楽なものだ。それでも、人形がどうしても欲しい、という気持ちは分かるから、少しでも答えなければ、と、せっせと検索してあげるのだ。まるで仏のような私である。
しかしいくら仏でもやはりむかつく。
多少の愚痴はこぼさせていただく。
私にも、今欲しい、すぐ欲しい。どこにもないけれど今欲しい、という気持ちが抑えられない時がある。
けれど、欲しいなら自分で努力するのは当たり前のことだろう。人に頼って、人頼みで自分の望みが叶えられるはずがない。
人は誰でも自分ほど切実ではないのだから当然だ。どうしても欲しいのならそれだけの努力がいるのだ。努力を怠ってはいけない。
と言うよりも、それだけの努力をしないという事は、結局そこまで本気ではないということだ。オークションに参加していないのなら、参加する手続きをすぐ取るべきだろう。
オークションに料金を払うのがいやなら、それほど本気ではないということだ。外国のショップにしか売っていないのなら、英語を習得するべきだろう。
英語が分からないから、という言い訳は、そこまで本気ではないからだ。外国のオークションにしかないのなら、外国のオークションのやり方を学ぶべきだ。
もしどうしても欲しいなら死に物狂いで努力するべきなのだ。
当然のことである。また当然そうするだろう。
どうしても欲しいならそうするのが自然だ。
もちろん、人のものを盗んだり、譲ってくれとごねたりすることは努力の中には入らない。
努力して得てこそそのものに価値が宿るのだ。
そこまでの根性がないなら、人に愚痴は言うべきではないだろう。
あとはただ、待つだけだ。
もうないと諦めていたものが、忘れた頃に不意に手に入ることがある。
長いこと集めていると、そういうことも起こって来るのだ。
だから長いスタンスでものを考え、継続させること、それが一番大事なのではないか。経験から言うと、そういうことだ。
***
インターネットさえ発明されていなかったころ、私は海外通販をした。
FAOシュワルツというアメリカのおもちゃ屋さんに直接手紙を書いた。
そこは、当時海外からの個人通販は受けつけていなかった。しかしどうしてもバービーが欲しくなり、手紙を書いてなぜ日本に販売出来ないか、と無心したのだ。
乏しい英語力で、FAOがいかに素晴らしいおもちゃ屋であるかなどのおべんちゃらを書き、ついに通販にこぎつけた。
FAOの住所、そして依頼の手紙の書き方、調べられることを調べ、そして試した。だめもとである。
対ドルレートは当時、円高であったが、人形の値段は高かった。
手紙代も何通もやり取りをしたので結構な金額になった。
おべんちゃらのためにミニ扇子など入れて送ったため、いっそう高くついた。馬鹿なことをしたものだと今でも思う。
しかし、FAOの担当の人は名前を覚えてくれ、親切にしてくれた(当たり前だ。お土産まで送ったのだから)。もうあのころのような、何も分からないまま馬鹿なことをするようなことは今はない。
けれど、いろいろな失敗を重ねて、その重なりの、時間の長さが今の私のお人形たちなのだ。
何の苦労も、失敗もなく得たものたちではない。私の言いたいことを分かっていただければありがたいのだが。
[ Doll's Column | Doll Maniacs | HOME]